テキスト

□本当も真実も
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文学を愛でない人なんて嫌いだ。




今日もあなたはわたしの部屋に来た。

「相変わらず奥さんと上手くいってないの」

そう聞くと決まって答えは、

「もういいじゃないか、そんな話は。」

そう言うとあなたはマルボロの箱を取り出すと、灰皿の無い部屋で煙を吹かし始める。
吸っていいなんて言ってない。
ちなみにわたしは嫌煙家だ。文庫本で鼻より下を隠しながら、顔をしかめた。

飲み終わった後の缶ビールに灰を落とす。
タバコの吸い方なんて、みんなどこで学ぶんだろうか。
ぼうっとその仕草を眺めていると、「どうした?」とあなたが言う。
「なんだもないわ。」そう返して瞳を逸らした先には、白と赤でデザインされた例の箱が無造作に置かれていた。
何気なく手に取ったそれにはこんな意味があるらしい。


“Man always remember love because of romance only”


(男は本当の愛を見つけるために恋をする)


なんてあなたに相応しい言葉なの、この浮気者!

そう言いたくなる気持ちを堪えて、わたしは再び愛する文学の世界へ目を落とした。

「また読んでる。好きだね、それ」

「この前とは違う話よ。」

「ああ、そうなんだ。」
わたしが読んでいる文庫本の表紙を見ると、こころ、とあなたは呟いた。

「そうよ。こころ。知ってる?作者の名前」

「知ってるよ、夏目漱石だろう?」

そりゃ、題名と一緒に表紙に書いてあるんだから、答えられて当たり前だ。
腑に落ちない。少し意地悪をしたくなった。

「じゃあ、舞姫は?舞姫は誰?」

そうあなたに問うと、あなたは眉間に皺を寄せた後、苦笑いをしながら

「ええと、宮崎賢治だったかな?」

なんて。ああ、頭が痛い。

「宮沢賢治って言いたかったんでしょうけど、はずれ。」

あなたはちっとも恥ずかしくなさそうな顔で、そういうのは弱いんだ、俺は
なんて言いながら、吸いかけのタバコを空き缶に押し付けると頭を掻いた。

文学を愛でない人なんて嫌いだ。
なんて、思っていたはずなのに。


寂しさを埋められるなら、方法は何だって良かった。
人の温もりなど、欲してはいなかった。
好きな文学の世界に逃げていれば、それで良かった。
それで、良かったのに。

わたしの世界に、たくさんのお土産を抱えてあなたは土足で踏み込んで来たのよ!

そんな風に荒れるわたしのこころも知らないで、あなたは知らん顔でまた次のタバコに火をつける。

あなたに対しては本気の気持ちを伝えてはいけない。
素直に口に出せたらどれだけ救われるだろう。
救われることのない言葉がわたしの頭を占領し、時々どうしようもなくさせる。
ああ、今夜、伝えてしまおうか…
ルール違反なのは、知っているけど。

「夏目漱石を答えられたのだって、表紙を見てカンニングしたからでしょう?」

黙っていたら余計な言葉が出てきそうで、終わった話題を必死に引っ張る。
なかなかわたし、情けないね。
あなたと会うまで知らなかった。

「いや、夏目漱石くらい本当に知ってるよ。千円札にもなった人なんだし。」

「ならテストよ。今からわたしの言うことに、わたしの求めている答えを返してね」

「え、それってどういうこと?」

こんなことくらいでしか、想いを伝えられないの。ねえ、


夜、カーテンで閉め切って、外の様子なんて分からない、蛍光灯に照らされた部屋でわたしは言った。

「月が綺麗ね」
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