テキスト

□腫瘍`
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斉藤八恵子は頑張った。
頑張れば好きになってくれるかなぁと、淡い期待を抱きながら。


斉藤八恵子は良い女だ。
父は厳しく亭主関白、母は昭和歌謡が良く似合う美しい女性である。
八恵子はそんな二人に可愛がられ、母に似た物腰穏やかな良い女に育つのである。

特別見目麗しいという訳では無い八恵子。その美しさはその心にあった。
嘘をつくな、勤勉でいろ、慎ましく、それでいて何でも一人で出来るようにしなさい、と、親の教えを守り続け早16年。
八恵子は高校2年生になった。
八恵子の通う私立高校は名門とまではいかないが、それなりに名の知れた進学校だ。
八恵子は勿論勉学を怠る事は無い。成績はいつでもトップクラス、順位は一桁代をキープしている。
しかし、そんな八恵子でも休みの日にはこっそり本屋に出かけ、少女漫画を読む事だってあるし、たまには化粧だってする。
斉藤八恵子はそんな女の子だ。

長い、少し癖のある髪を風に遊ばせながら校門をくぐる。
クラスメイトに、「おはようございます」とにこやかに挨拶をし、背筋を真っ直ぐに伸ばすと靴箱までの道をゆっくりと歩いた。
そのまま、上履きに履き替えて、すぐ右側にある階段を3階まで上り、一番奥のK組である自分のクラスまで、
行くつもりだった。
靴箱まで約5mの所でゴンッ
という大きな音がしたのだ。
その場に居る誰もが振り返る。

数名の友人に囲まれた赤毛の男が、盛大に転んでいる。
今時、コントでもこんなに綺麗には転ぶまい。
正に地面に張り付いたように、これでもかという位に、男は転んでいた。

「…何やってんのお前」

男の友人である一人がしゃがみ込み、転んだ男の様子を伺う。
長毛の茶色い猫のような頭をした男は立ち上がると大声で笑ってみせた。

「あっははははーなぁなぁ!見た!?俺凄くね?ビターッて音したって今、俺、何かもう自分で、オイ俺ー!みたいな!」

転んだ事を恥ずかしいと思っている様子は無さそうだ。
変わった人だな、と思い八恵子は男の足元を見た。
靴紐がほどけている。
原因はこれだろうと八恵子は判断すると、また靴箱へ向かって歩き出そうとした。
すぐ後ろで話し声がする。

「てか何で転んだの」

その問いに男はこう答えた。

「地球にキスしてみたくなったのさ」



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