Get&Gift

□【Get】雨露
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 ネットワーク上で、いかにもリアルめいて交わされるやり取りに麻痺し始めたのはいつのころからだったんだろうか。パソコンに内蔵された/或いは外付けの ウェブカメラを使えば相手の姿はリアルに見えるし、まるでヴァーチャルだという意識がない。そうして佐久間よりも若い分、ネットワークに潜んだ毒に犯され てしまった佳主馬は、たぶん勘違いをしているんだろう、と思う。
 聞いてるの、と画面のむこうがわ、ネットワークで繋がれた佳主馬が、いらいらとしたかんじに返事を催促している。佐久間は、夢だかなんだかわからないと思ってしまって、目を瞬かせた。
「ええと、エイプリルフールはまだだけど」
「冗談じゃないから、今日言ったんじゃない」
 パソコンに内蔵されたスピーカーは、佳主馬の声をすこしゆがめている。実際の佳主馬の声は、不純物など何もないような、きれいな声をしているのでそれが なんだか残念だ。佐久間は佳主馬の、うつくしいところはとてもすきだと思う。恋愛的にどうこうではなく、たとえばばらの花を見てああきれいだなあすきだな あと思う、ああいうかんじに。
 佳主馬のひとみが、ディスプレイ越しにこちらをまっすぐに見ているので、ほんとうにめのまえに佳主馬がいるような気になる。実際にはヴァーチャルだから 目が合っているわけではないけれど、カメラを通して見据えてくる佳主馬のひとみは、なんだかすべてを見通しているような角度で光るので冗談にすることはで きそうにない。
 唐突に外界の、滴り落ちる雨の音がした。昨日から降り続いている雨の、その音を室内にいるときはあまり意識しないのだけれど、一瞬うまれた静寂が、耳の 奥にかんたんに忍び入る。イヤホンを差し込んだ片耳が、佳主馬の声を鼓膜に直接打ち込んでくるのでひどく困る。いますぐにパソコンからイヤホンを引き抜い てネットワークを切断してシャットアウトしてしまいたい。
 そもそも佐久間は、ヴァーチャルな世界に浸ってはいるけれどもそれらを好んでいるわけではない。リアルといくら密にリンクしていようとも、ヴァーチャル はヴァーチャルであり現実とは異質なものである。割り切っているから、たとえばOZでも信頼の置ける友人をつくったことはない。
 ネットワークを通じて演出される自己というのはリアル世界のそれよりももっと作為的なので、信頼をすることはなんだかできない。OZがこれだけ普及したいまでもそう思っているんだから、佐久間は考え方としては古いのかもしれなかった。
「だってヴァーチャルだよ」
 断り文句のような、ひとりごとのようなかんじの呟きをマイクに拾われ、画面に映る佳主馬の表情がゆがんだのが見える。怒ったというよりは、傷ついたふうな表情で、なんでだろうとぼんやり思った。
 佐久間の、言葉がだれかに強い影響を及ぼすかもしれないなんてことを、いままで真剣に考えたことはなかった。それなりにコイビトだっていたけれど、ささやかな、かわいらしいお付き合いだったので、佳主馬のように直接的な反応をしてくれたことはなかった。
「それでも」
 声変わりもまだしていない、ボーイソプラノがすこし掠れている。きれいでかわいそうでかわいらしい、うつくしい生き物だなと佐久間は思う。OZの世界ではかんぺきなヒーローとして、あこがれていたキング・カズマだとはとても思えなかった。
 こうして見ると、佳主馬はただの年下の少年だった。あこがれていたかんぺきなヒーローでも、天才実業家でもない。頼りない年下の少年でしかなかった。
 泣くのかな、と思ったのは、佳主馬が泣きそうな素振りをしたわけではなかったし、カメラにまっすぐ向けていた目をそらしたわけでもなかった。そもそも粗い画像では、佳主馬が泣きそうになっていたって気付ける自信なんかあまりない。
 もう、ネットワークを切断してしまおうか。全世界に張り巡らされたネットワークの網を潜り抜けることは到底できそうにはないけれど、少なくともいまは逃れられる。
「ヴァーチャルだろうと何だろうと、好きだよ」
 佳主馬の、青年期の訪れつつある少年の、凛としたボーイソプラノが、ネットワークを通じて耳に運ばれてくる。佐久間が、佳主馬について知っていることな んかとても少ない。キング・カズマだということ。まだ中学生だということ。夏希の親戚だということ。まっすぐに目を見てくるということ。……数え上げてみ れば、これくらいのもので、そういえばフルネームだって知らない。
 佐久間は一目惚れだとかの、そういった直感的なことも信じないタイプだ。つめがきれいだとか足がきれいだとか、そういう部分から惹かれるのはたしかに真理だけれど、それでもきちんと相手を知らなければ恋なんかしなかった。
「……わかってる? ねえ、おれは男なんだよ」
「見ればわかるよ」
 そういうことではなくて、と思った。世間的には、男同士で恋愛をするということは、タブーなのだった。セクシャルマイノリティだからわるいというわけで はないけれども、日本だけでなく、世界にとってもヒーローである佳主馬を、いっときの思い込みで間違いに引きずり込むことはできない。
「佐久間さんが女の子を好きだろうなってこともわかるよ」
 佳主馬の声はとても淡々としていたけれど、そのぶんだけきれいに響いた。わずかにゆがんで届く音がほんとうに残念だ。カメラ越しにこちらを見る表情に、迷いだとかは一切見えない。佐久間があこがれていた、キング・カズマそのものだ。
「ねえ、でもさ、お願いだから」
 佐久間の声はマイクに吸い込まれないまま、佳主馬が淡々とつぶやいている。ノイズ交じりの、強いんだか弱いんだかわからないシグナルを発し続ける無線LANのあいまに、佳主馬の声が落ちる。目に見えないシグナルに乗せてとどく言葉は、ほんとうに、うつくしかった。
「僕が佐久間さんをすきなことを否定しようとしないで」
 語尾が、弱々しく揺れた。キング・カズマ的ヒーローの面を見せたり年下の少年らしさを見せたり、佳主馬の印象がくるくると変動する。佐久間さん、と返答 をうながすような、縋るような声が、右耳に差し込んだイヤホンからしている。雨の音が、左耳から入ってくるような気がしたけれども気のせいかもしれない。 昨日から降り続いている雨は、予報ではもう上がっていてもいい時刻だから止んだだろうか。それともまだ降り続いているだろうか。
「佳主馬くん」
「…………、なに」
「名古屋は雨、降ってる?」
「降ってるよ」
 右耳に、差し込んだイヤホンから名古屋で降っている雨の音が届かないだろうかと思った。ふと画面から視線をはずし、手を伸ばしてカーテンを開けると、雨はまだ降り続いている。佐久間はぼんやりとした声で、佳主馬くん、と呼びかける。
「東京も雨が降ってるよ」
 笑って言うと、佳主馬はつられたように笑ったので、佐久間はなんだか安心してしまって、そこでネットワークを切断した。佳主馬の画像はかけらも疑わずに笑ったままでぶつりと途切れて、そのことはなんだか、降る雨と同じようにやさしげだった。







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楸の御礼と呟きは次へ。
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