short story

□阿修羅間
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 ある夜、森で迷った一人の女が粗末な小屋に宿を求める。
小屋には一人の年若い男が住んでいた。
男は女に
「このような男の家に女が一人、泊まっても良いものか」と問う。
しかし女は
「この森に住むという鬼に食べられてしまうくらいならば、
言葉の通じる人間と共に過ごした方が良い」と答えた。
その鬼は黒い髪を振り乱し、背には醜い傷があり、
口は耳までかっぱと裂けて、その口からは金の牙が覗いているのだという。
 男は女を一晩泊め、翌朝になると里の近くまで送っていった。

 さて幾日か後、女はまた男の元を訪ねた。
森で木の実を集めているうちに陽が暮れて閉まったから、いつかのように泊めてほしいと言うのだった。
快い顔はしなかったが男は女を泊め、また翌朝に里の近くまで送っていった。

 そうして女は幾度も男の小屋に足を運び、どういう訳か小屋に居着くようになってしまった。
男は「嫁入り前の女が男の家に入り浸っても良いものか」と言うが
女は「里の者たちはどこにいるかを知らないから」と笑うだけだった。
そして男は「自分がお前の言っていたこの森の鬼かもしれないのだぞ」と言う。
けれど女はまた笑って「本当に鬼ならばとうの昔に食べているだろうに」と言った。

長く一人で暮らしていた男にとって女の存在は不思議ではあったが、不快ではなかった。
このままこの時間がいつまでも続いてくれれば、と
夢のような事さえ願うようになった。

 ある時女は男に「何故里で暮らさないのか」と問いかけた。
男は押し黙り、躊躇いを見せたがやがてゆっくりと口を開いた。

「自分の存在は、里の者に知られてはならない」

女は何かがあると感じたもののそれ以上問う事はなかった。

 その数日後、女が里に降りたきり戻ってこなくなってしまった。
男はどうしても気になって自分もまた里まで降りていった。
すると里の長者の蔵に女は閉じ込められていた。
女はもうすぐ嫁がなければならない身であったが、
それが嫌で屋敷を飛び出して男の小屋に隠れていたのだった。
そして女は姦淫の罪に問われて殺される事になってしまっていた。

 男は森の小屋に戻ると、太刀を手に取りまた里へ降りた。
その太刀は粗末な男の生活に不似合いな程豪奢で鋭いものだった。

「私は一度、阿修羅間におちた者。今更何を躊躇う事があるだろう」
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