晦日ノ月

□通過儀礼【五】
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 その無機質な呼び出し音に、桑原の指先がなぜか一瞬緊張したのに、飛影はどういうわけか、過去に引き戻された。
 自分の胸元から落ちて行く氷泪石をただ見つめるしかなかった時に。
 その時と同じように、今、大切な何かが自分の手からすり抜け、落ちていくような気がしたのだ。
 ケータイを取ろうとした桑原の手を、飛影が先に掴んだ。
「なにすんだよ、飛影」
「…出るな」
「でも」
「出るな」

 着信音は鳴り続けている。

「んなこと言わずに離してくれよ…」
「いやだ」
「電話、切れちまうから…」
「だめだ」
 この手を離したら、またあの時と同じ気持ちを味わうことになる。飛影のそれは、予感ではなく確信に近かった。
「大事な用かも知れねぇだろっ」
「…」
 飛影は無言だ。

 着信音は、鳴り止まない。

「飛影!」
 怒鳴って飛影の手を振りほどこうとした桑原の口唇に、飛影は自分の口唇を押しつけ、そのままリビングの床に桑原を押し倒した。
 はずみでテーブルに置かれていた食器がいくつか落ちてカーペットに転がり、ケータイも一緒に転がり落ちる。
 桑原を全身で押さえ込んで、飛影は桑原の口唇と舌とを貪った。いやがって首を左右にする桑原の顔を両手でこちらに向けさせる。
 結局、着信音が鳴り終わるまで、飛影は桑原を解放しなかった。桑原がくやし涙を浮かべた目で飛影を見上げると、不安そうな、迷子の子供のような表情で自分を見下ろしている。
 そんな飛影に桑原は何かを言おうとして、やっぱり何も言えなくなった。

 再び、同じ着信音が鳴る。

 だが、桑原がじっ、としているのに、飛影は桑原の背中に手を回し、抱きしめた。
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