文章1

□彼が真剣に読んでいたのは「昆虫図鑑」でした
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駅前の本屋は相変わらずざわざわとしていて落ち着きがない。そこらの商業施設よりはずっと静かな方だけれど本屋としての静けさとは縁遠い感じで俺は嫌いだ。
やっぱり自分の町にある小さな本屋が性にあっているとか思うけど待ち合わせをしているから仕方がない。場所を指定してきたのは幼なじみの兵助で、俺の高校の最寄り駅にわざわざ来てくれることになっている。彼の通う大学は逆方向だから面倒くさいだろうに、兵助は女の子を歩かせるのは云々と丁重な扱いだ。
携帯で時間を確認すると、そろそろ雷蔵と三郎が着く頃合いになっていた。彼らは俺の駅とふた駅しか変わらないから直ぐに到着するはずだ。
今日は幼なじみ−1が密かに集まり−1の誕生日プレゼントを買いに行く手筈になっていて、異様にサプライズに拘る三郎が完全なる秘密裏に事を進めている。家が洋菓子店の彼は毎年誰かの誕生日に標的を絞り、ケーキから設計してサプライズパーティーを開きたがるのだ。そんな自分はサプライズされるのが大の苦手で、去年しかけたら大激怒した末に泣かれて大変だった。みんながこそこそしているせいで寂しかったらしく、そういうところは本当に室町の頃から変わらなくておかしい。
そんな懐かしい思い出をパラパラと思い出しながら、あまり縁のないせいで構造がよくわからない本屋の中をうろうろと当てもなく歩いた。うっかり官能小説やグラビア雑誌の棚に迷い込んだ時はやや早足で脇目も振らず一目散に抜ける。
そんなことを繰り返していたせいでいつの間にかにかなり本屋の奥地まで来てしまっていた。それに気付いてキョロキョロと周りを見渡すと、棚の中にびっしりと詰まった様々な背表紙に圧倒される。大きなサイズの書籍たちがご丁寧にケースに入れられて重厚に鎮座している姿は一種図書館のようでもあった。
その棚の終わり、つまりドン詰まった角にたった一人の学生が分厚い書籍を立ち読みしているくらいしか客がいない。学生は俺くらいの年だったけれど異様な落ち着きを持つ少年で、サラサラしていそうな長い前髪が白い頬にかかっていて綺麗だった。小さな頃近所に住む一個上の無口な先輩が見せてくれた妖精図鑑から飛び出してきたみたいだと思った。
それくらい彼は現実離れした空気を纏い、超然と静かに立っているのだ。つい昔の癖で気配を探ってしまう嫌いが俺にはあるが、彼が堂々と立ち読みしていなかったら、或いは人ごみやもっと違う場所だったら彼に気付かなかったかもしれない。妖精と忍者と言えば件の妖精図鑑を見せてくれた先輩を彷彿させるけれど……。彼の見た目は妖精くさいけれど、存在は幽鬼的なものの方が近いかもしれない。
きっと室町にいたら良い忍者になってそうだ。記憶に薄く残る一つ上の先輩だった立花先輩とか、微妙に種類は違うけれどそちらの路線での忍者になってそう。
そこまで考えた時スカートのポケットの中で携帯がムームーと唸りだした。きっと三郎たちからだと慌てながら携帯を取り出して、通話ボタンを押しながら携帯を耳に当てる。
なんだか後ろ髪が引かれる思いだけどここに居たってしょうがない。現実離れした空間に背を向けてパタパタと本屋入り口へと走りながら、無意識に足音を消していたことに俺は気付いていなかった。
やがて合流する三郎と雷蔵に「忍者かよ」と呆れられるまであと三分。何故だか俺の心が微振動に揺すられている。少しずつ昔の感覚に引っ張られていっている。
それが何を意味するのかその時の俺にはわかるどころか、引っ張られていることにさえ気付かなかった。





それから1日経って気付いた事実はたった一つきり。
俺は本屋の奥深い閉じられた場所で真剣に「昆虫図鑑」を読んでいた彼に恋してしまっていたことだけ。

幼なじみ−1の−1であった尾浜勘右に「左八子って八左ヱ門の時から面食いだよね!」と笑われた言葉の何気ない意味には気付かぬまま。





end




時系列的に紋白蝶の前で、正確には今回は高校一年の秋。紋白蝶は高校二年の初夏です。
わかりにくくてすみません;

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