文章1

□カンタータで踊れ
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夕暮れカンタータの完二視点






「先輩って実は好きな人いるでしょ?」
「………いないよ」



「嘘つき」


九慈川が唐突に吐き出した言葉に俺は驚いて足を止めた。九慈川も自分で驚いたのか口を抑えたまま呆然といった調子で立ち竦み、俺らの二歩前にいた先輩が眩しいくらいの夕陽を浴びながら「え?」と首を傾げる。
正直、参ったなと思った。面倒臭ぇことに巻き込まれたとも思った。
今日は珍しく俺と先輩、九慈川で帰ることになって、九慈川のやつが舞い上がってはしゃいでいた。最初っから俺なんて眼中にないって言わんばかりの態度で九慈川が先輩に纏わりついていて、女っつーのは自分に正直なんだなと半ば感心していたぐらいだった。
それなのに、アレだ。「………いないよ」って笑った月森先輩を見たとき、この人はいつも自分の腹の中は見せないタイプなんだと感じた。リーダーやってて慕われてるっていうのに、いつも一線を引いているのはわかっていた。そういう性格なんだろうと深くも考えずに。
先輩が誰を好きかなんて俺は気付いていたけどそれこそ俺が口を出す範囲ではない。俺も一時悩んだりしていたせいで先輩の気持ちはよくわかるつもりだから、こっちに頼れば楽だろうにとか思ったこともあったが気付かれていることに気付いていない可能性なんか考え出すと結局口を噤むしかないのだ。細々考えるのはめんどくせぇ。

「……ふ、うぇ……っ」

九慈川も先輩も発言しない異様な間に耐えきれなくなった時、九慈川が泣いた。泣き出した。
先輩が戸惑った顔で「りせ」と呼びかけながら歩み寄ってくる音が夕日の中にじゃりじゃりと響く。今正に最高潮の赤さが目を灼いて「陽が……」と俺は囁いた。その光を背にした先輩が赤に呑まれているせいでこちらからは黒い影に見える。それが妙に恐ろしかったから、先輩から目をそらして九慈川の頼りなく揺れる細い肩を代わりに見た。
さっきより勢いを増した泣きっぷりが酷くて、朝お袋から持たされた藍染のハンカチの存在を思い出した。
「……おい、九慈川」
そっと横から差し出てやったハンカチはあっと言う間に奪われて九慈川の目元を覆う。暫くそうやってぐずついてる間に空は赤と藍が混ざった柔らかい色合いに移り変わって、何故だか先輩のようだと思った。曖昧でどっちつかずな色合いのくせに、俺らを無条件に惹きつける月森孝介とこの空はよく似ている。その曖昧な優しさで先輩は九慈川の頭を壊れ物でも扱うみてぇにそっと撫でた。
「りせ、ごめん」
静かだった空気に落ちた音に俺はもう一度視線を反らして、河川敷にいる野良猫らしい小さな影を睨む。あまりに重たいものを含みまくった一言を俺は正面から聞く自信などなかったからだ。
それから九慈川が一頻り泣いた後、先輩は何も聞くことなく俺に九慈川を託して分かれ道を歩いていった。「また明日」とだけ言って。
足下には薄闇が迫っていて俺と九慈川も先輩へ「はい、また明日」とだけ返してそれから黙々と歩いた。
「……完二、私のこと、馬鹿だと思ったでしょ?」
何が憎いのかローファーの爪先を睨みながら久慈川が突然喋った。俺はまさかそんなことを聞かれるなんて夢にも思っちゃいなかったから一瞬躊躇ってから、「思わねーよ」と呟いてため息をつきながら後ろ首を左手でさする。
「人ってやつは、分かり切ってる答えでも目の前に突きつけられないと、納得出来ねぇ生き物だろ」
「……完二も知ってたんだ、先輩が別な人好きって」
久慈川のローファーの爪先が小石を蹴り上げて、それが路肩の隅のほうに転がり込む。俺は嫌な空気になったものだから「あー」っと言葉を濁しながら後ろ首をまたさすりながらどう返すべきかと思案した。
久慈川の言うとおり俺はかなり前から先輩が誰を好きかなんて気付いていたが、それを先輩は本人に告げる気もなさそうだったし、相手も相手だったから素知らぬふりを通していた。なんとなく俺の中で触れてはいけない部分になりつつあった場所にあっさりと久慈川が斬り込んでくるから、また無意味に「あー」と声が漏れる。
「たぶん、九慈川と俺しか気付いてないんじゃねぇ?」
無意味に声をひそめたが、周りには誰もいない。なんだか後ろめたい気まずさがあって勝手に声が小さくなっちまった感じだ。
「あの人、気持ち隠すの上手いだろ。でも、上手すぎて、違和感で俺は気付いてたっつーか」
「ふぅん、完二のくせによく見てるじゃん」
「"くせに"は余計だろが」
余計な一言のせいで一気に喋る気が失せた俺は首を傾けて一番星が瞬きそうな薄暗い空を見上げた。久慈川も細い首をうんと反らして俺に倣って空を見上げているのを気配で感じながら、掴み所のない月森先輩のことを思い浮かべる。リーダーなのにいつもひっそりと立っていて、内心を覆い隠した様に微笑む食えない感じ。
「俺ぁ、正直恋愛とかわかんねぇけどよ、あの人が気持ち隠すのはどうかと思うぜ」
もっと仲間を信用しろ、とかそんな面倒なことを言う気はない。そういう臭い役割は花村先輩辺りに任せておけばいい。でも押し隠してなんでもないように微笑まれるのは気分が悪い。
「でも言ったって解決しないってわかってるじゃない。相手………花村先輩なんだから」
久慈川が唇を噛んで悔しそうに吐き出した名前に俺は曖昧に頷いた。先輩が好きになってしまった相手はよりによって彼の親友で、今の形を壊したくないからだとかいう理由で先輩が黙っている気持ちも俺はわかっている。それは久慈川もだ。
端から見ていて歯痒くなるのだから、先輩のことを好きな久慈川からしたら歯痒いどころの話じゃないのだろう。
「……なーんか、変なの」
突然の言葉に俺は思考を中断して、低い位置にある久慈川の頭を見下ろした。
「人が何人も死んでる事件解決しようとしてるのに、それと同時進行で恋で悩んでるなんて」
久慈川の視線が商店街に向いて、ゆっくりとガソリンスタンドを眺めている。その姿は答えなど当てにしていないようだったから、俺は投げやりな気持ちで「俺らはまだガキなんだからそんなもんだろ」と適当に返しておいた。
高い位置で2つ結ばれた髪が揺れて、明日どんな顔して先輩に会えばいいんだろうと不安そうな声が囁く。相変わらずくるくるくるくる感情が変わる奴だと呆れながら「普通でいいだろ」と助言したら、不服なのか無視されて溜め息をつかれた。こういう時、久慈川という生き物がよくわらなくなる。漸く帰り着いた丸久の暖簾が矢鱈有り難いものに見えた。
久慈川から解放されるために「じゃあな」と声を掛けたら何故か「バ完二!」と罵られたうえにあっかんべえされた。予測不可能な奇行に怒る気さえ失せて、揺れる丸久の暖簾を数秒静観してから自分の家の方へ踵を返す。
明日あいつはどんな顔で先輩と顔を合わせるつもりなのか。何かまたフォローしなきゃいけないかもしれないと思うと面倒臭い。
だからといって直人に押しつけるわけにはいかないから結局俺がフォローすることになるのだ。




end

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