文章1

□潮に飲まれる
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学校特有のざわめきが鼓膜をじわじわと擽っているようで俺はひっそりと首を竦めた。ついこの前までこのざわめきの中に居たというのにこのざわめきは排他的で一回外に出れば交われない何かがある。教師という職業に就いている者はこの中から出ることなくまた浸かり続けて年を重ねていくのだろうが、果たしていつまでもこの中に溶け込むことが出来るのだろうかと疑問に思った。
この高校に勤めていて俺を今日呼び出した古い古い友人に聞いたらきっと笑われるだろう。彼はそういう空気に少し鈍い。司書をしている別の級友は割とそこらを読む男だから彼なら笑わず聞いてくれるだろうが、彼も俺と同じ外に出てしまった者だから答えることはきっと出来ない。
そんなことを考えながら辿り着いた事務室にて来訪の意を告げると友人の待つ保健室の場所を簡単に教えられた。緩い学校だから友人だと言えば入れると前もって言われていたが、出てきた小柄な事務員に「川西先生から聞いてます」とにこやかに笑われて少しだけ安堵する。口通しだけはしてくれていたらしい。
来客用のスリッパを履いてペタペタと廊下に出ると通学鞄を提げた生徒達がすれ違う度に好奇の視線で俺をじろじろと見ていく。今日は三者面談があるから午前放課だと聞いていたが、まだ12時半を回ったばかりなせいか生徒はまだ残っているようだ。昔卒業した後に訪れた忍術学園の空気を思い出してしまって後ろ頭がむず痒くなる。
そろそろ我慢の限界に来た頃「保健室」と掲げられた札が目に入って救われたと思った。これで漸く好奇の目からは逃れられると引き戸を引いたら、目の前の薬品棚の前で作業をしながら笑い合っていた二人の女子生徒といきなり目が合う。
くるりとしたアーモンド型の瞳と目尻の下がった甘めの瞳が俺を捉えた後意味深な含み笑いを浮かべて目を見交わした。二人とも似たような茶色の髪を揺らして「こんにちは」と挨拶してきたから俺も軽く会釈すると、片方をショートにしてもう片方を肩まで伸ばしたアシメの学生が「先生は今職員室で、もう帰ってらっしゃいます」と愛想のいい笑顔で俺を部屋に迎え入れてくれる。
それから二人の女子生徒は肘でお互いをつつき合いながらお茶を淹れると言って奥に引っ込んでしまった。俺は気まずいうえに手持ち無沙汰で無意味に薬品棚や机を眺め回していたが、それさえも気まずくなって手近な椅子に勝手に腰掛けた。部屋の奥にある給湯室という扉の奥からは抑える気がないらしい少女等の無責任な俺への感想がだだ漏れていて余計に居心地が悪くなる。
「……結構かっこよくない?」
「うん、かっこいいねー。先生の、後輩だっけ?」
「そう、左近センセの、二個下だったかな。だから、タカちゃんの五個上」
「じゃあ、伊助さんの一個上になるね」
そこで言葉が途切れてカチャカチャと金属のぶつかり合う音が鳴り「やっぱポット欲しい……」とぼやきが聞こえる。どうやら水を沸かすところから始まるらしい"お茶を淹れる"はまだまだ時間がかかりそうだ。
「伊助さんって言えばさ、足の骨折ったって本当?」
「伊作美ちゃんも知ってるの?」
「ふふふ、うち保健委員連絡網あるからね」
「えー、僕も伊助さんと連絡網作ろうかなぁ」
「二人ぼっちでかい?」
「しょうがないよぉ、うちはまだ二人だもん」
そこでまた会話が途切れてガタゴトと何か漁っている音と共に「緑茶?コーヒー?」と相談し合う声がする。俺はそれを聞きながら段々と不穏な胸騒ぎを感じ始めていた。
「ねぇ、伊助さんが骨折したのって軽トラに跳ねられたからって本当?」
「違うよ〜、なんか軽トラ追いかけようとして転けたらしいよ。あと骨折じゃなくて捻挫」
「そうなんだ、情報大分曲がってるみたいだね」
「うん、元恋人と偶然再会して、逃げられたから追っかけようとしたらしくて」
「何それ!えっ?!詳しく聞きたい!!元って、嘘、まさか」
「しーっ、伊作美ちゃん声大きいよ。お客さんに聞こえちゃう」
今更声を潜めるのも遅いと心中でツッコミを入れても彼女たちには届かない。

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