文章1

□蟷螂
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みん、と鳴く蝉の声に耳を傾けながら社の縁側に腰掛けて、みんながいるだろう木々に隠れた参道を見つめていた。
幼なじみたちの手によって届けられた携帯とおまけにと渡された綿菓子の袋を弄びながらみんなは今頃祭りを楽しんでいるんだろうな、と寂しくなる。左門が寂しくないように、と置いていった可哀想な蟷螂が俺の横でじっとこちらを見ていた。
相手の遣い役は幼なじみたちが訪れていたせいで気を遣ったのか姿がない。

背後できし、と床が鳴って振り返ると化粧を落として見慣れた顔になった――といっても今日で会うのは三度目なんだけれど――遣い役の彼が俺を見ていた。その後ろから小走りに駆けてきた女の人が何か引き留めるように彼の腕をそっと掴む。長い髪を後ろで束ねた、薄化粧の可愛らしい女の人と彼はどういう関係なのか気になって胸がざわりと騒ぐ。
「あの、たけ「化粧、落とさない?」」
低い心地よい声を掻き消して女の人が俺の方にやって来た。手に持ったポーチを示しながら愛想良く笑う女の人は「気持ち悪いでしょ?」と言いながらポーチの中からメイク落としシートを出して俺が断る前に手際よく顔を捕まえてメイクを拭いだした。さっき掻き消された台詞はなんだったのだろうかと悩む隙さえ与えない女の人にただ為されるがまま俺は身を任せる。
すっと目許を優しく拭われた時、女の人がとても優しい目をしたのがわかってよくわからないけれど胸がぎゅっとした。抱き締められるんじゃないだろうかと何故か思ってしまうほど優しい目だった。
「はい、おしまい」
「…ありがとうございます」
「どういたしまして。さ、神輿衆の面倒見てくるんで何か用があったら呼んで下さいね」
お礼を言うと女の人はさらりと笑って腰を上げながら、遣い役の彼を振り返って念を押すような口調で伝えた後会釈をして去っていった。残された俺は女の人の細い後ろ姿を見つめていたが、声を掛けられて目の前の和装の少年に視線を戻す。
「まだ、名前を伝えていませんでしたね」
「あ、そういえば…」
少年に言われて漸くそれに思い至った俺は恥ずかしくなって下を向いた。視界の隅で蟷螂が鎌を下に下げてじっとしている。
「伊賀崎…伊賀崎孫兵です」
「いが、さき、まごへい」
少年の声を辿るように発音すると何故だかかっと目の奥が熱くなった。泣き出す前のような感覚に戸惑いを覚えたけれど、涙は出なかった。
顔を上げると、伊賀崎孫兵と目が合う。
「えっと、伊賀崎、くん」
「孫兵でいいです」
「孫兵…くん、俺じゃない、えっと、私は竹谷左八子。左八子でいいよ」
いつも俺と言っている習慣でつい出てしまった言葉に慌てながら言い換えると彼はふ、と笑って俺の横に腰掛けて「蟷螂」と小さく呟いた。
「あ、こいつ左門が寂しくないようにって勝手に置いてっちゃって」
「左門、来たんですね」
孫兵くんに言われて蟷螂をつまみ上げて手のひらに乗せると、今まで温和しかったくせに蟷螂は鎌を振り上げて俺に威嚇してくる。手のひらを差し出されたから蟷螂を移動させてやると途端に温和しくなって孫兵くんが指先で頭を撫でてもじっとしていた。こいつ雌だったんじゃなかろうかと疑念が湧き始めた頃、「輪廻転生って知っていますか?」と静かな声が空気を揺らして、突然振られた不自然な話題に俺は意味がわからないまま彼の顔を見返した。真面目な顔に少しだけ気圧されて頷く。
「それを信じるなら…蟷螂は命が短いから生まれ変わるスピードがとても早いんでしょうね」
ふ、と笑った孫兵くんが一瞬言葉をすり替えたのがわかって俺はなんとなくドキドキして落ち着かなくなってきた。正に、俺や、その友人たちこそが、その"輪廻転生"をやってのけてここに存在していると喉元に押し込めているのが弾みで零れるんじゃないかと思うと余計に落ち着かない。
俺の手の中で袴がくしゃくしゃになっているのを孫兵くんが見ていることになんて気付かず俺は唇をきゅっと噛み締めた。
「知ってますか?罪を犯した人間は何百年も転生出来ずにさ迷うらしいですよ」
「…ぇ?」
びくりと肩が震えて噛んでいたはずの唇が外れて小さく声が漏れる。一瞬自分のことかと思った。
ぶわりと脳裏に過ぎった記憶は錆びた鉄の臭いと足元に転がるさっきまで生きていた肉塊。それを懐かしいと感じてしまうくらい俺はそれ等に慣れきったオカシイ部分を持っていた。極端な話、真横で殺人が起こっても同様の感慨を抱きかねないくらい、俺は死に慣れしていた。
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