文章1

□アダージョに踊る
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四時限目の授業中ぐぅ、と鳴ったおなかをそっと抑えて誰にも聞かれていないかをそっと確認。
教室の中にはシャーペンの走る音とカーメンの甲高い声が響いているだけで誰もあたしなんて見ていない。安心して息をつくと、隣で灰色の冷めてるのに柔らかな目がゆっくりと細くなって、唇が「おなか、空いたね」と形だけ動く。やっぱり聞かれちゃってたらしい。
胃の部分をさすって「聞こえた?」と口だけ動かすと可笑しそうに月森君が頷いた。その綺麗な顔から慌てて視線を逸らしたけど頬は熱くなってしょうがない。前を向いて黒板の文字を辿りながらシャーペンを走らせる作業に戻っても頬の熱は引かなかった。
そのあたしの視線の端に赤いカチューシャと真っ黒で綺麗な黒髪が映って、複雑な思いに目を伏せた。
昨日花村に言ってしまった言葉を思い出しながらノートの隅に落書きを作る。小さく月森君をイラスト化してその横に花村も描く。逆の方に雪子を描いてその横にあたし。花村から月森君へ向かって矢印を引いた。それから雪子から月森君へ。そしてあたしの矢印は二つに別れて月森君と雪子を差した。
あたしは今、揺れている。雪子を好きな気持ちと月森君が好きな気持ちの両方で贅沢にゆらゆらとしてる。まだ淡い月森君への思いの方が正常かつ健全だというのに、あたしはそちらを諦めようともしている。
だから花村をけしかけた。簡単に断ち切れるように。それからほんの少しだけ、花村が自分に重なって見えたから。
ふ、とノートに影が差してぎくりと肩が揺れる。カーメンにバレたのだろうかとドキドキしながらさり気なくイラストを隠そうとしたら、骨っぽい大きな手がそれを遮ってパタンとノートを閉じた。
「授業終わったのに気付いてないとか、珍しくね?」
見上げた先で笑ったのは花村。慌てて周囲を見回すと隣では月森君が教科書を纏めていて教室の前の方では雪子がまだノートを開いて何かを書き留めている姿。
一度瞬いて、唇だけ動かして「見た?」と尋ねれば肩をすくめられて苦笑い。
「そうゆうこと、か」
「……そうゆうこと」
仕方なく同意すれば花村は納得したように頷きながらあたしの髪の毛をくしゃりと混ぜた。今まで一度も男子にされたことなんてないその行為に頬が一気に熱くなる。
「ちょっといきなり何よっ!」
「や、なんか里中もオンナノコなんだなーと」
「……何それ」
「まんまだよ、誉めてんの。女子って勘すげーだろ?」
花村の手を振り払ってくしゃくしゃになった髪の毛を手で直す。答えになってない返事でへらっと笑った花村は机の上に両腕を載せてあたしの方へ屈み込んだ。なんとなく、周りに聞かれたくない話をするつもりなのだと感じてつい月森君を見ると彼は鞄の中を探っていてこちらを見ていない。安堵したあたしに花村は「俺そんなバレバレ?」と小さく呟いた。
「…わかんない。月森君と雪子見てたら、なんとなく気付いたって感じかな」
「ふぅん。で、里中は俺をどうしたいわけ?」
潜められた声に正直嫌な質問が来たと思った。絶対バレたらつつかれるとは思っていたけれど、実際そうされると身が竦みそうになる。
「…わ、わかんないよ。あんたが動いてくれたら、私も動ける気がして…そんだけ」
辿々しくなる言葉は少しだけの嘘を孕んで毒のように私に滲みた。それでも花村は気にした風もなく軽く頷いて「お互いさまだな」とぼやく。そこでギシリと音を立てて花村が勢いよく立ち上がるものだから、釣られたあたしが顔を上げるとお弁当を持った雪子と目があった。
「話、終わった?」
「おう。わりぃな天城、バトンタッチ」
気遣わしげに尋ねる雪子に花村はいつもの調子でちょっとおちゃらけながら自分の席に戻っていく。空席になった前の席に座りながら、雪子が「なに話してたの?」という当然の疑問に今度のテストのヤマを張ってたと尤もらしい嘘の言い訳をした。
「ヤマって、外した時大変だよ?」
「ま、ま、いいじゃん、ちゃんと勉強はするしさ」
はははーと笑いながらチラリと横を見ると購買にでも行ったのか花村はいなかった。ただ残された月森君だけが携帯を弄っていたけれど、あたしの視線に気付いたのかこっちを横目に見る。その目が一瞬びっくりするほど冷たくて、ぎくりと肩が揺れた。直ぐに彼は笑ったけれど、あたしはぎこちなくしか笑い返せなくて直ぐ鞄を探るふりで視線を逸らす。
とんでもないものを見てしまった。多分、素の月森君を見てしまった。
彼が何を思っていたのかもあたしにはわかってしまって、何故だか雪子に申し訳ないような気持ちが湧き上がる。雪子は純粋に月森君が好きで、だけどきっと、月森君は、花村が好きなのだ。
だってあの目は花村とあたしと同じ目をしてた。
「どうしたの、千枝」
「え?あ、なんでもない!あーお腹減ったね!ごはんごはーん」
「うん、今日千枝の好きな肉巻きポテト入ってるからあげるね」
「ありがと雪子ー!大好き!」
「千枝ったら大袈裟なんだから」
ふふ、と笑う雪子にちっとも大袈裟じゃないのだけどと肩を竦めたとこへ花村が戻ってきて、月森君と連れ立って教室を出て行った。きっと屋上にでも行くのだろう。
今静かに二つの恋が破れた。
何も知らない雪子はあたしを見て不思議そうに首を傾げる。なんてあたしは卑怯なんだろう、と思ったけれどそっと首を左右に振った。
きっと月森君は花村が好き。あの目は嫉妬の目だ。あたしもあんな目をしているのかと思ったらなんだか笑えた。





end

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