文章1

□潮時にしてしまおう
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いつもいつも染め物を見つけると手にとってしまうのは、あいつが染めたのではないだろうかと思ってしまうから。
「今回は自信作なんです」そう言ってあいつがはにかみながら笑ってくれるのではないかと夢想するのだ。


*******


得意先の旅館の土産コーナーで藍染の手拭いを見つけて、俺はついそれを手に取ってしまった。いつもの悪い癖だ。
俺は今生でも漁師の息子として生まれて、今日はお得意様の旅館に穫れたての魚を配達しに来ていた。大学を出て結局実家の家業を継いだのだが、今は室町の三郎次が出来なかったことが出来てそれなりに毎日が面白い。
「あら、池田君それ気に入ったの?」
突然かけられた声に驚いて手拭いを売り場に戻すと、廊下から顔を出した若女将が「戻すことないのよ」と柔らかく笑った。この町のミスコン一位に輝いたことのあるという彼女の笑顔は綺麗でつい見とれてしまう。
「そういえば池田君はよく染め物を見ているけど、好きなのかい?」
ぼんやりと若女将を見つめていたせいで、いつの間にか横に立っていた支配人に気付かずまた俺は驚いて、引っ込めた手をジーンズのポケットに突っ込んだ。ここの支配人はいつも突然現れたり消えたりしてまるで昔の幻術使いのようで心臓に悪い。
「この手拭い友人の染め物工房から入荷してるんだけどね、そこの新人さんが考案した商品なんだよ」
気に入ったのなら持っていくといい、と支配人は人の良さそうな笑顔とは裏腹の強引さで、こちらの返答も聞かずに手拭いを一枚俺の手に押し付けた。
「でもこれ、売り物じゃあ……」
「いいんだよ。池田君は若いのに頑張ってるから」
まだ30に差し掛かったぐらいの支配人の口から出たにしては嫌に年寄り臭い台詞に一瞬俺は違和感を覚えたが、10近く年の離れている年齢差を考えればそんなにおかしくないのかと納得する。支配人に礼を言って受け取ったものの、足元に積んだ発泡スチロールの箱をこれから運ばなければいけないことを思い出したが、貰ったものを無造作にポケットに突っ込むのも躊躇われて手拭いは頭に巻いて箱を持ち上げた。
「それ、よく似合うよ」
「ありがとうございます」
支配人がにこにこと嬉しそうに誉めてくれるものだから、少し赤らんでしまった頬を箱で隠しながら礼をもう一度言って旅館の入り口に停めている軽トラへと足早に歩く。荷台に箱を置きながら伝票をもらい忘れたことを思い出してもう一度旅館の入り口を振り返ったら、若女将が忘れた伝票を持って出てきたところだった。
「すみません」
「いいのよ。それよりね、池田君」
若女将がいつも絶やさない笑みを少しだけ深めて、何か悪戯を思いついた子供のように目を煌めかせる。こんな表情をすると俺より年若く見えるのだから本当に年齢不詳だ。
「この手拭いを考案した子がね、もうそろそろ商品を入荷しにくるんだけど」
会ってみない?と続けた若女将の顔を俺は馬鹿みたいに呆けた顔で見つめる。
「少し変わった子でいつも海とか漁船ばかり見てる子なんだけど、お互い興味があるかと思って」
「………はぁ」
返す返事が曖昧だと失礼かもしれないと思ったが、今の俺は興味が持てなくてそのまま口に出してしまった。大体、俺が矢鱈と染め物に目を留めてしまうのは室町の三郎次を辿ってしまっている結果で、純粋に俺の興味だとは思えないのでなんとも次の言葉を繰り出しにくい。
「………あの、折角なんですけどまだ仕事あるんで」
結局捻り出されたのは当たり障りない断り文句。若女将は「残念ね」と笑みを絶やさずに伝票を渡して旅館へ戻っていく。
その後ろ姿を見送りながら俺は小さくため息をついた。
「三郎次、もう忘れてしまえよ」
その方がお互い救われるだろ?
続く言葉は胸の内で呟いて軽トラに乗り込む。
エンジン音に呑まれて昔の俺が霞んだ。




end




梶山へ捧ぐ!
お持ち帰りは梶山のみでお願いします。

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