文章1

□酒を酌み交わすのは
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※五年→六年





















月明かり照らす中で俺はゆっくりとみんなの顔を順々に見て回った。
ああ、これが最後だなんて六年前からわかっていたことなのに胸にこみ上げてくるこの感情は何なのだろうか。涙は昔々に忘れて来たはずなのに、忘れて来るように学んでいたはずなのに目頭の方にじわりと浮かんできやがった。
「ほら、やるぞ。最後の」
三郎が半眼の目で俺の肩を小突く。応、と頷いたら涙がはらりと手元の盃の中へと滑り落ちる。
「あれ、はっちゃん泣いてるの?」
のんびりとした上っ滑りする声は兵助だ。ぐるりとでかい瞳が感情を乗せずに俺をひたりと見つめているがその奥にどういう感情が渦巻いているのか全くわからなくて優等生らしいと苦く笑った。兵助は真面目すぎる性分が祟って感情を何処かに置き忘れてしまっている感があり、俺達のように自由に引き出すことが適わなくなっていた。
その横で「もらい泣きしそう」と呟きながら既に丸い目に涙を溜めている勘右衛門は兵助と違って要領がよく、感情を引き出しの中にきちんと整理して入れているからいつでも引っ張り出すことが出来るらしい。同じい組でもえらい違いだと思う。
「ハチも勘の字もその面どうにかしろ。しめっぽくなる」
「………悪ぃ」
むっつりとした三郎の声に慌てて目を擦って盃を握り直す。三郎の横では雷蔵がいつも通り人の良さそうな笑顔でみんなを見ているが、一言も言葉を発さずじっとしていた。くるりとした瞳は灯りに照らし出されゆらゆらと揺れていて、その様がなんとも泣き出しそうな寸前の色を作り出していて切なさが増す。
「明日卒業だけど、絶対みんな長生きしてね」
てっきり三郎から始めるのかと思っていたら今まで喋る素振りも見せなかった雷蔵が一番に発言して酒がなみなみと入った盃を掲げた。団栗眼は膜が張っていて今にも涙が零れ落ちそうで、共感しやすい勘右衛門が一回しゃくりあげる。
「這いつくばって泥を食ったって生き延びるさ、私たちは忍なんだからな」
続いて雷蔵に応えるように盃を掲げたのはやっぱり三郎で、同じ顔が目配せ合うのを見ながらこの二人が双忍として同じ城に就職を決めたのを思い出した。
「みんなとは戦場で会わないことを祈るよ」
ふ、と薄い唇を緩ませた兵助が盃を掲げた後眉を僅かに歪めたのに気付いたが俺はそれに見なかったふりをした。まるで見てはいけないものを見てしまったような心地がしたのだ。
「生きて、戦場以外で再会しよう」
ぐずぐずとまだ鼻を啜っている勘右衛門が盃を掲げ、残るは俺だけとなる。
五人全員で酒を酌み交わすのはこれが最後かもしれないというのに、俺の頭は途端に真っ白になって言いたいこともわからなくなってしまった。そもそも言いたいことなどあったのだろうかと我が頭を疑いだして段々と思考は怪しいものになっていく。
また三郎に小突かれて盃から酒が少しだけ溢れた。酒に濡れた指をただ眺めながら考えるのは、辛かったけれど楽しかった学園生活のことだけで。
「……お前らと、六年間やってこれて良かった」
つるりと零れた言葉を聞いて四人が一斉に丸く目を開いてから、それぞれに表情を崩していく。四つの「応」が俺の肩をどやして掲げられた盃は次々に干されていった。
俺も溢れて少なくなった酒を飲み干したら苦い苦い味がして、その味がこれからの人生を物語っているようで静かに胸の内が覚悟を決めて固まっていくのがわかった。
長生きが無理なことなどわかっている。戦場以外での再会など希望を寄せるだけ無駄なことなどわかっている。俺達がこの道を選んだ瞬間からほとんど決められている未来に抗う気持ちなど疾うに失せている。
それ等を全て酒と一緒に飲み込んで、明日は何事もないかのように笑ってみんなと分かれようと心に決めた。

あいつ等の最後の記憶に遺すのは笑顔がいい。そして俺の中に遺るのも四つの笑顔だといい。





end






月が我らの世界を呼ぶ様に参加させていただきました!
有り難う御座いました。

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