妄想の滝〜天童寺side〜
□暗い夢
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彩にはどうしても哀川和彦という人間を好きになれない理由が有った。
それは和彦が天童寺から逃げ出したからではなく、まして常に彼と比較され続けているからでもない。
確かにその事が全く気にならないわけではないが、彩にとってさして気に止めようとは思わない程度の理由だ。
それでもどうしても和彦が気に入らないないのには他に大きな理由が有った。
天童寺のキャプテンとして将来を嘱望されていた和彦が突然去った時、誰もが大なり小なり『裏切られた』とショックを受けた。
やりきれなさを振り切りそれでも常勝天童寺を支えてきた中、和彦が一度逃げたはずのバスケを瑞穂で続け、勝ち続ける重みもプレッシャーもないバスケを楽しんでいる。その事実を目の当たりにして腹が立った。
その腹立たしさを増長させているのが沢登聖人の存在である。
パートナーで有り親友の和彦の裏切りに一番ショックを受けているはずの彼が、今だに和彦のことを大切に思っている。その事実が一番許せないのである。
もう和彦の居た位置に居るのは彩だというのにも関わらず……
彩は毎晩同じ夢を見る。
最初にその夢を見たのは聖人が一晩帰ってこなかった日。
そう、和彦の家へと一人押し掛けていったあの日である。
その頃はまだぼやけた画像程度だった。それをはっきりとした物にしたのは、和彦が一人、再び天童寺へと足を踏み入れた日である。
その日から今になっても悪夢は彩を蝕み続ける。
「彩?おい、彩、大丈夫か?」
揺り動かされて目が覚める。
いつのまにか眠っていたようで、心配そうな顔の聖人が顔を覗かせる。
「うなされてたみたいだけど…」
まだよく目の覚めていない彩は、聖人の顔をじっと見つめた。
「彩?」
なおも心配そうな顔を続ける聖人を彩は腕の中に抱き締める。
「彩?どうかしたのか?」
心配そうだが優しい声に、ようやく悪夢から目覚めたことを実感する。
「…聖人」
「ん?」
悪夢を振り払うかのように彩は聖人に深く口付ける。
聖人は少し驚いたように目を見開いたが、そっと目を閉じると、彩の背に腕を回した。
「んっ…」
抱き締めてこの腕の中に生徒が居ることを確認しても、彩は不安を拭い去ることができない。
「彩?どうしたんだ?」
どこか上の空の状態で自分を組み敷く彩に、雅人は不安げな声を掛ける。
「…嫌か?」
「否、嫌ではないけど、何か有ったのか?おかしいぞ?」
見上げてくる聖人の真っすぐな瞳にぶつかり、彩の顔に動揺が映る。
「彩?」
聖人が、諭すように優しい声を掛ける。
「ゆめを…」
「ん?」
呟くように彩が喋る。
「夢を、見たんだ…」
「夢?」
「ああ」
コクリと頷くと、聖人がふわりと笑う。
そう、夢。暗い、暗い闇の中で和彦が彼を奪っていく夢……。
「恐かったのか?」
恐い?
「お前にも恐いものが有ったんだな」
笑顔の聖人に、彩もようやく小さく笑みを作る。
「有るよ」
そう言うと、軽く音を立ててキスを落とし、彩はにやりと笑う。
「お前」
「へ?!」
笑顔の下に隠した小さな本音に、彼は気付いてくれただろうか。
今度は少し暖かい思いに包まれて、彩は聖人の身体を温めていった…