ロクマ小説2

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こいつの手に負えないところは、まともに狂っているということだ。
精神崩壊が起こった訳でも無い。エラーが起きた訳でも無い。何処かおかしい訳でも無い。
これがコイツの「まとも」なのだから最悪なのだと、そう、思っていた。

「スネーク殿、もう逃げないのでござるか?ああ……もう、逃げる脚も無いでござるなぁ。失敬失敬」

そう言う、シャドーの顔は穏やかに笑っている。
恐ろしい程、穏やかに。
俺は、床に本物の蛇のようにはいつくばって、ただシャドーを睨み付けることしか出来なかった。
脚は逃げれぬよう切断された。
俺を助けようとしたサーチスネークは、全てその脚に踏み付けられて果てた。

逃げれるはずは無いのだとわかってはいても、俺は抵抗しようと腕の力で上半身を浮かす。
シャドーは、微かに眉を動かすと「ほぅ」と感嘆の声を漏らす。

「蛇とは、かくもしつこいものでござったか……何度蹂躙してもまだ諦めぬとは。まあ、そんなところがたまらないのでござるが」

シャドーが、笑った。
その狐の様な瞳が、いつもにも増して細められて。
途端、目の前に錆色の液体が舞い、熱すぎるそれが顔にかかる。
それが、自分のオイルなのだと気がついたのは機体がバランスを崩して床にたたき付けられた時だ。
ぶざまに床に顔をもろにぶつけ、俺は呻いた。何事かと、腕を動かそうとしても感覚神経回路がエラーを訴えてくるだけで。
顔だけを動かし、腕を確かめようとした。

「…………ひ」

腕など、とうに無かった。
ひじから下はおびただしいオイルが流れ続ける。
今まで俺を支えていた両の腕はシャドーブレードによって切断され、廊下の隅に投げ出されていた。

廊下の床に突き刺さる、俺の腕を綺麗に切断したシャドーブレードは、ぎらぎらと錆色の光を放っていた。

「さあ、次はどんな抵抗をしてくれるのでござろうな?」

シャドーが、オイルで濡れた廊下に膝をつく。
その黒い指で俺の顎を掴むと、無理矢理上を向かされる。
相変わらず、シャドーは穏やかに笑っていた。いつも通りの、いつもかわらぬシャドーの顔だ。

腕も脚も武器も無い状態で、抵抗できる訳など無いではないか。
ただ、睨むことしか出来ない自分が情けなくて、洗浄液が零れてくる。もしかしたら、恐怖からエラーが生じているのかもしれなかったが。
シャドーは、俺を慈しむように微笑んだ。頬を伝う洗浄液を、優しく拭う。

「泣かせたい訳ではなかったのでござるよ」

「…………」

「スネーク殿が逃げるのが悪いのでござる」

シャドーの手が、俺の半壊の機体を持ち上げる。今までの暴力行為とは正反対の優しさで、その黒い胸に抱かれ、吐き気がした。

「これで、もう逃げられぬ」

そう、俺の聴覚サーチの側で優しく囁く彼の顔は恐らくいつも通りの穏やかな微笑みをたたえているのだろう。
酷く優しい口づけを俺の渇いた唇に落とすと、彼は珍しくうっとりとした表情で俺の顔を見つめた。

「逃げられぬよ」

もう一度呟いた彼の瞳が、揺れる。

「まとも」なのだと、そう思っていた。しかし、その瞳を見た瞬間、それは間違いだったのだと確信する。
いつも変わらぬ張り付いた笑顔の中心にある赤い瞳は、狂気で満ちていたから。

彼は狂っていたのだ。
俺と会った瞬間から、ゆるゆると、我知らず少しずつ、狂っていたのだ。
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