壱之花

□触髪
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 夜も更け、朝賀参内に賑わった宮城も流石に人気が途絶え、日頃の静けさを取り戻している。

 与えられた室に一人戻った悠舜は小さく息を吐いた。

 まだ全ての案件が片付いた訳ではなく、明日も朝から駆け回らなくてはならない──

 早く休もうと髪を解きかけ、ふと室内に人の気配を感じた悠舜は笑みを溢す。

「久し振りですね──黎深」

 名を呼ばれ、几帳の蔭から姿を現した黎深は不思議そうに小首を傾げた。

「……何故解った?」

「さぁ、何故でしょうね?」

 ふふふっ‥と笑った悠舜は髪を解くのをやめ、卓上に用意された茶器に手を伸ばす。

「久し振りに飲みましょうか…と言いたいところですが、明日も早いのでお茶しか出せませんけれど良いですね」

 尋ねるようでいて答えを待たず悠舜は茶の準備を始めている。

「元気そうで何よりです」

「お前は随分と痩せたぞ」

 茶を入れ始めた悠舜の斜向かいに大人しく座り、その顔をまじまじと見た黎深は眉を寄せた。

「彼方では色々と苦労が続きましたからねぇ」

 わざとらしい溜め息を吐きつつも、悠舜の口調は至って呑気だ。

 
 丁寧に茶を注ぎ分けると、悠舜は柔らかい湯気の立つ茶器をそっと黎深の方へ押しやる。

「本当に変わらない──その眉を寄せた顔も」

 勧められた茶器を取り上げ、口に運ぶ黎深の眉の寄せられたままの顔を見つめ、悠舜は笑う。

「貴方のその顔を見て、王都に戻って来たんだと実感しましたよ」

 悠舜の言葉に黎深は更に深く眉を寄せた。

「鳳珠に会いに行ったな」

「ええ、仕事の話もありましたから」

「……飛翔にも会いに行こうとした」

「ええ、残念ながら会って下さいませんでしたけれど」

「前に帰って来た時は一言もなく茶州に戻った」

「あの時はまだ、のんびり留守をしていられる程の余裕がありませんでしたからねぇ」

 全てを当然とばかりに返され、黎深は押し黙る。

「お茶のお代わりは?」

 空になった茶器に気付き悠舜が尋ねると、黎深は無言で茶器を差し出す。

 茶器に新しい茶を注いでやりながら、悠舜は思い出したように続けた。

「そうそう、朝賀でお見掛けしましたが絳攸殿は立派な青年になられましたね。貴方も末が楽しみでしょう……百合姫の方はお元気ですか?」

 
「そんな事、どうでもいい」

 不愉快そうに呟くと黎深は扇を広げ、そのまま苛立だし気に閉じたり開いたりを繰り返す。

 それに対し悠舜は、取り立てて不服を唱える事もせず、穏やかな笑みを浮かべたまま茶を啜った。

「他に言う事はないのか」

 焦れた黎深が先に口を開く。

「他に言う事、ですか──ああ、お礼がまだでしたね」

 一瞬だけ考え込んだ悠舜は思い出したように呟き、殊更にっこりと笑った。

「……礼?」

「ええ、茶州に赴く時、護衛を付けて下さったでしょう?」

 黎深の扇がぴたりと止まる……今の今まで忘れていた事を思い出したかのように。

「………怒っているのか?」

 勝手な振る舞いをしたと自覚のある黎深が恐る恐る尋ねるのに対し、悠舜が首を傾げる。

「貴方が私の為にして下さった事をどうして怒るんです?」

 出迎えた少年州候が気付いても苦笑するしかない程ひっそりと、まるで影のように傍らに控え何時の間にか消えた護衛。

「だから何も心配していなかったのでしょう?」

 頼もしい州候に迎え入れられたと報告を受けて。

「それで、文もくれなかった」

「そっ、それは‥っ!」

 
 慌てて弁明しようとする黎深の言葉を悠舜は遮る。

「ふふっ‥何て書けば良いのか解らなくて──だから一度もくれなかったんですか?」

 文字にすれば官吏を辞めろ、帰って来いとしか書けないから──

「っ‥」

「解っています。貴方の事ですから──」
 

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