壱之花
□添臥
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「……んっ‥」
「起きたか」
耳元で囁かれたその声に身動ぎした静蘭はゆっくり眼を開く。
ほんの少し視線を上げると、自分を見つめる双眸。
「良く眠れたようだな」
昨夕のまま、全く同じ姿勢で皇毅の胸に抱かれていた。
「申し訳ございません……」
静蘭がゆっくり身体を起こすと、回された腕もゆっくりと解かれる。
温もりが離れてゆくのが切ない。
何もなく、ただ抱き締められて眠る。
幼い時ですら、そんな事をしてもらった記憶はない。
おそらく、産まれたその日から。
優しく背や髪を撫でられた感覚を思い出す。
自分が寝てしまった後も、そうしてくれたのだろうか……髪に、背にその感触が残る。
深く眠る事によって掛っていた靄が晴れ、目覚めはすがすがしかった。
本当に深い眠りに付けた……悪い夢に侵される事もなく。
「……目が醒めたのなら帰れ」
そう言って立ち上がり掛けた皇毅は、不意に静蘭の首筋に顔を近づける。
「……私の香が移ったな」
静蘭は言われて初めて漂う香に気がついた。
一晩中己を包んだ、その薫り。
「だがお前の肌の匂いと混じって、もう私のものとは違う香だ」
皇毅の口元が微かに笑む。
「……香の薫りとはそういうものだ」
付けられたものが己の一部となり、何時か消える。
消えないのは、記憶。
消せないのは、自分。
──言外に言われたような気がした。
「……良い薫りです、貴方に良く似合う……」
皇毅は何も答えない。
「……ありがとうございました」
静蘭は立ち上がり、頭を下げると室を後にする。
もう、悪い夢は見ない。
そんな気がした。
──香の薫りは、何処までも漂っていた。
─ 終 ─