宝 殿

□惑月
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 その月が、再び近づいてくる。

「──なんでこんなことすんの?」

 眼前の月を見つめ、蘇芳は初めて問い掛けた。

「清雅、俺になんて興味ないだろ? なのに、なんでこんなことすんの?」

 蘇芳の問い掛けに清雅の鼻が鳴らされる。

「単にあの女の腰巾着を苛めたいだけだ」

 悪びれする事もなく清雅は言い放つ。

「ふぅん……」

 だが返ってきた蘇芳の気のない呟きに、清雅の眉が苛立だしげに寄せられる。

「余裕だな、榛蘇芳。俺は本気でお前の事泣かしてやろうと思ってるんだぜ?」

「だって頭でもかなわないけど、腕力の方も自信ないから。まぁ女の子と違ってあんま困ることないし……痛いのはやだけど」

 それに……と、蘇芳は呟く。

「ソレ、お嬢さんに向けないだけマシだと思うよ?」

 つまるところ、それなのだ。清雅の苛立つ原因は。

 
「ふんっ……」

 苛立たし気に吐かれた吐息の温度を耳元に感じたと同時に、しゅるりと小さな音が響いた。

 戒めを解かれ自由を得た髪が歪んだ月の元へと導かれる様が酷く蠱惑的に見えるのは抑えきれない緊張のせいだろうか。

 抜き取った髪紐を人差し指と親指でつまみ上げ、蘇芳の眼を見据えたまま、逆の掌で慇懃尾籠に掬い口付ける。

 掌一つの動きでここまで相手を小馬鹿に出来るその芸当。いっそ天晴れ!と拍手したくなってくる。

「……その髪紐、お嬢さんがくれたんだけど」

「──どこまでも目障りな奴だな」

 そう呟いた清雅の指先から髪紐が滑り落ちる。

 床に落ちた髪紐が清雅の爪先に踏み付けられた。

「ひでー」

 床と清雅の爪先との間で秀麗手製の髪紐が無惨な姿をのぞかせている。

 髪紐一つまでこんなんされちゃって。俺、……ヤバい?

 ほんの数瞬の静寂が耳に痛く響き渡る。

 きっと、踏み躙じられた髪紐は自分だ。

 清雅が自分を捩じ伏せようとするのは、嫌いな相手が身につけた物に当たるのと同じ。

 
 蘇芳は笑った。

 足を引っ張るばかりで役に立たちはしないけど、髪紐程度の代わりならなれるし、こんな程度ならどうって事もない。

「別にいいよ? 清雅の好きにすれば? でも俺もお嬢さんも、大した痛手は受けたりしないと思うけど?」

 蘇芳が言えば、清雅の眉がきつく寄せられる。

 だが再び、月が現れる。

「いいぜ、試してみよう──」

 迫り来る下弦の月を前に、蘇芳はそっと瞼を閉じた。





─ 終 ─

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