BOOK

□受戒
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「ふん、まさか貴様が相手とはな。」

目の前の大男は口内の物を咀嚼しながら遼に言った。

遼はボイルされた腸詰めとフランスパンを口に詰め込みただ黙々と眼前の食料を胃に流し込む。

遼はちらりと大男を見上げてグラスの水を一気に飲み干した。

「ひどーい海ちゃんてば、久しぶりなのに“ふん”なんてぇ。」

サングラスに隠れた奴の瞳が見開いたのが上がった眉で分かった。

相変わらず鋭い。

ニヤリと唇を歪めて身を乗り出した。

「噂は本当か?」

フランスパンをかじりながら低く問われて今度は遼が小さく鼻を鳴らした。

「まだ雛らしいな。飼っているのは。」

雛どころか生まれてもいない。

脆弱な卵。


「気分転換さ。」

「どうかな。」

心底愉しそうに肩を揺らす。
その様子を見ながら遼はサラダボールに手を伸ばした。

「ほら、な。」

茹卵を手にしながら背もたれに背を預けテーブルの淵にコツリと当てる。

小さくひび割れた殻はそれでも頑なにその実にこびりついていた。

「雛に躾られたのか?」

片肘をテーブルに付けた手の中の卵を差し出す。

黙ってそれを受け取ると遼はそれを皿の横に置いた。

「喰わないのか?」

卵を指差しながら窺う様に覗き込むと遼はその視線を受けるでも無く流してフォークにトマトを突き刺した。

真っ赤なトマトは突き立てられた場所から果汁を流してフォークに伝い落ちる。

口に入れて歯を立てたら青臭い香りが口内一杯に拡がった。

くつくつと笑う海坊主に本題を切り出そうとした時、その太い腕が伸びて卵を手に取った。


「喰わないなら、貰うぞ?」

ひび割れた殻に指を掛けて殻を剥ぎ取る。

白い殻は力に敵わずぽろぽろと剥ぎ取られ滑らかな白身が暴き出されていく。

殻を剥ぎ取られた卵は白く艶やかに光り。

その卵に歯を立てて飲み下されるまでずっと見ていた。

ただ ずっと

「…相棒の妹だそうだな。」

「……まあな。」

グラスの水を煽り口元を手で拭う。

「……ままごとは、女を狂わす。」

「…………。」

「もう手放せ、遼。潮時はとっくに過ぎてる。」

二人の間に、冷たい緊張が走った。

ふっと小さく口元を歪めて遼は笑う。

漆黒の髪に隠れた遼の瞳に澱んだ光彩が僅かに浮かんだのを海坊主は見逃さなかった。

「相手がユニオンだからなー、油断出来ねぇよ。」


嘘だ。

道化を気取り、飽くまでふざけた態度を取る遼の心理は、たやすく海坊主の前に暴かれた。

ユニオンは日本から一時撤退したのは海坊主の目から見ても明らかで。

女を本当に安全な所に行かせたければ海外に行かせるなり戸籍を変えれば済む筈だ。

しかし名前を変えさせる事も顔も変えさせる事もせず素人を手元に置きつづける。

まさにそれは周囲にアキレス腱はこれだと知らしめているのと同様だった。

意図が解らない。

しかも、最近はあの槙村の後釜に落ち着いた様子だ。

素人の堅気のしかも女

しかし色艶めいた関係は無し

この奇異な噂は裏では既に浸透しつつあった。

気まぐれか?

同情か?

しかし先程の遼の瞳からは底知れぬ闇を感じ取り、この男が何かの策略を廻らせているのは紛れも無い事実。

黙々とまた食事を始めた遼はもうこの話をする気はどうやら無いらしい。

海坊主もこれ以上詮索する気はしなかった。

少なくとも遼の気まぐれでも同情でも無いと言う事実が分かっても自分には関係の無い事。

それでこいつがくたばっても所詮関係の無い事。

今の最重要課題は依頼の完遂のみ。

喰えぬ男を見据えながら海坊主は今回の依頼内容について話し出した。
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