□独白
1ページ/1ページ

彼女の周りには波が取り巻いている。そんなふうな言い方はひどく比喩的に聞こえて俺らしくないかもしれないが、確かに取り巻いているのだ。
その波は、彼女の全身を包んでいる。色は緑であったり青であったり様々だが、とにかく向こう側が透けて見える、ゼリーのような色合いをしている。それが波打ち漂いながら彼女自身をカモフラージュするように、繊細に光っている。美しいというよりは神々しく、近づけば息ができなくなる。だからあれは多分水なのだろうと想像できた。そう、彼女を見ているときのあの感覚は、たしかにプールに潜り、上を見上げた感じに似ている。

「柳くん」

透明な声は今にも消えてしまいそうだ。だから彼女の周囲は波が包んでいるのだろう。俺は彼女を見ながらそう思う。

「なんだ」

涼しげな指が俺に触れる。俺が発した言葉は陽炎のように輪郭を持たず、そばからそばから消えていくようだ。彼女に聞こえているのだろうか。あの波を、自分の陽炎の声は切り裂けるのだろうか。

「あのね、明日の朝の練習のことなんだけどね」

洞窟に入って耳元で何事か囁いたように、彼女の言葉が耳に響く。ノイズを持たない、澄んだ声だ。俺はその声を言葉として捉えず、響きとして捉える。だから、俺は彼女の言葉を良くきいているようで、その実何も聞いていない。

「ああ」
「7時集合でいいかな?」

どきどき、と心臓が鳴った。
ああ、と初めて理解する。たくさんの本で読み下した甘酸っぱい気持ちが、リアルな感情となって押し寄せる。

「それで構わない」

いつもの表情を崩せば切り込まれそうだった。濃淡だけでできた俺の曖昧な言葉なんて彼女の前では何の役にもたたない。三文小説のほうが、今の状況を示す言葉が見つかりそうだ。

「じゃあまた明日」

今朝咲いたばかりの花弁のように彼女は優しく笑って、手をひらひら振ると身を翻した。彼女の周りを包む波も、彼女のスカートと同じようにふわりとたゆたう。俺はその波に触れようと手を伸ばすが、届かない。だから触れるかわりに、その手を彼女と同じようにひらひらと振り返す。
彼女が立ち去ると、呼吸がひどく楽になった。が、今度は心臓が激しく痛みだす。本でしか知識を得ようとしなかった自分に、現実はひどく単純に痛みを押しつけてくる。

「…また明日、か」

波の余韻は未だ残る。俺は息をゆっくりと吐き、それを消そうと努力した。


#
なんか失敗した
(09/08/17)

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ