パラレル

□第二章
4ページ/12ページ

再び通りに出たホルマジオは、キョロキョロと辺りを見回してから薄い雲の下を歩いた。上着越しにもわずかに肌寒さを感じさせる風は、この街への冬の到来を告げていた。
たった今彼を横切った老人も、茶色のコートの前を合わせ、寒そうに背中を丸めてゆっくりゆっくりと歩いている。何気なく目で追うと、どうやら彼もまた花屋に向かっていたらしい。ようやく辿り着いたガラス造りの扉を押し開ければ、中からは導くように細い腕が伸びた。先程の少年だ。何とはなしに腕の中の花束を見てそう思った。

……その時。

「っ!」

ドン、という音と共にホルマジオの肩に軽い衝撃が走った。人間がぶつかってきたのだ。それがわかったのは、足元でバサリと散る荷物の音のおかげだった。
やべ、と思いながらそちらに目を向けると、案の定反動で尻餅をついたのだろう、自分よりもはるかに体格の劣る少年が大きな荷物の間に挟まれて腰をさすっていた。

「っと、悪い。大丈…」
「っすみません!」

ホルマジオが伸ばした手を見るより先に頭を下げたのは少年だった。座り込んだまま、ガバッと音がしそうな程の勢いで、額が地面に付くのではないかというほど深く腰を折る。慌ててその頼りない肩に手を置くと、少年はますます体を縮めて謝った。

「あの、本当、すみません。ぼくあんまり前見てなくて…」
「いや、そんな謝んなって。道の真ん中でフラついてた俺だって悪かったんだからよぉ」

可哀想なほどに萎縮している少年の腕を引いて立ち上がらせてやると、おどおどと顔を上げたそばかすの少年は突如、ハッと息を飲んで両手に視線を落とし、続いて狼狽したようにキョロキョロと首を動かした。

「たっ!大変だ!電話!電話がッ!」
「電話?」

慌てたように叫びながら再び地面にしゃがみ込み、ガサガサと荷物を漁る少年。その慌て様に思わずポカンと口を開けてしまったホルマジオだったが、彼の背中の向こう側。車道と歩道の境に転がるシンプルな携帯電話を見つけると、なるほどな、と納得しながらヒョイとそれを拾い上げた。通話状態のまま放られた電話は、未だに相手側と繋がっていたのだ。

「……なあ、あんた。電話ってコレか?」

たった今拾ったものをヒラヒラと揺すり、少年の目の前に吊るす。

「っあああ!電話!ありがとうございますッ!……もしもし?ボス?聞こえますか?もしもし?」

少年はそれをほとんど奪い取るように受け取って、必死に取り縋った。そんなに大事な電話だったのか?思わず心配になって彼の動向を見守ると、やがて返事があったのだろう、彼はホッとしたように表情を弛ませていた。

「よかった、壊れてないぞ!……あぁボス、すみません、ちょっと人にぶつかってしまって。はい、はい、大丈夫です。もちろん荷物も無事に。はい。そうです、今から会社に戻りま……あ、そうか、そうですよね、すみません。じゃあそのまま少し待っていて下さい。
……あの」

最後はホルマジオへの言葉だった。なんだ?軽く聞き返すと、少年は再び頭を下げて謝った。

「本当にすみませんでした。ぼくいっつもどんくさくて。ボスにも怒られちゃいましたよ、ちゃんと詫びたのかって」
「今の電話でか?ハハ、なんだそりゃ。保護者みてえなボスだな」
「ふふ、似たようなものなんですよ」

パパッと足の汚れを払い、顔を上げる。まだあどけなさの残る、純朴そうな顔立ちだ。この若さで会社勤めか。感心して、足元に散らばったままの大きな紙袋を二つ拾って手渡してやった。

「ほらよ、荷物はこれで全部か?何か壊れてないといいんだが……」
「あっ、それは大丈夫です。これ全部服ですから。落としたくらいじゃあ壊れません」

笑って、改めて礼を言う。ボスとやらに躾けられているだけあって礼儀正しい。そんな彼を見て、ホルマジオは思い出したように胸ポケットを探った。

「そういやあよお、ちょっと聞きたいんだが。ここに書いてある住所ってどの辺りかわかるか?」
「どこです?」

少年は横から手元のメモを覗き込み、ああ、と顔を上げる。

「裏通りのほうですね。この店ならこの通りをまっすぐ進んで六本目の細い道を曲がるとわかりやすいと思いますよ。道の先はそのまま裏通りに繋がっていますから、そこに出て右に曲がった五、六軒先にあります」
「そうか、六本目な。グラッツェ。助かったぜ」
「いえ、お役に立ててよかった。ではぼくはこれで失礼しますね」

そう言うと、もう一度ぺこりと頭を下げて再び電話相手と会話をしながら歩いて行った。

「……あーやって歩いてっからぶつかるんじゃねえかな…」

その背中を見送って、まあいいか、と少年の示した道を歩く。四本、五本と路地を見送り、ようやく現れた六本目の道に足を踏み入れて歩く。角を曲がってすぐっつってたよな……思いながら、ポケットにしまいこんだ腕時計を取り出して眺める。約束の時間より一時間早い時間を示すそれを見て、早く来すぎちまったな、と一人ごちる。が、どこかで時間を潰すにしては大きな荷物を持ちすぎた。手元の花束は、手渡される瞬間を楽しみにしているかのように青々と輝いている。
……ま、しょうがねえか。
早く着いた事に対するプロシュートの反応については楽観的に考える事にして、狭い路地から抜けるように一歩踏み出した。

その瞬間。

「……ッ!」

ドンッ!再び何かとぶつかった。小さい。が、先ほどとはまた別の少年だ。今度はさっきよりも強く肩が押される。まるで自分の足の先でも見ているかのように深く俯く少年は、一言も発することなくそのまま脇をすり抜けて走り去ろうとしている。まずいと思った。この雰囲気が何を示しているか、ホルマジオは嫌というほど知っていた。

「ッのやろう、財布を!」

スリだ。頻度の違いはあれどどの国にも必ずいるそれは、主に旅行者といった風貌を持つ人間を狙う。諸外国で、あからさまな旅行者という風貌のホルマジオが被害に遭ったのは一度や二度ではない。しかし、必ず取り逃がしたかといえばそうではなかった。対処さえ間違えなければ捕まえることも出来る。
少年は今ホルマジオを通り過ぎたばかりだった。ますます速度を上げ、狭い路地を表通りに向かって走っていく。しめた、と思った。見渡しのいい大通りは犯人を追いかけるのには最適だった。次の瞬間にはホルマジオは身を翻し、少年の背を追っていた。

荷物を放り出し、ガッと地面を踏みこんで足に力を入れる。強く収縮する筋肉の動きに従ってグンと進む体は徐々に少年に近付いていく。
それに気付いたのだろう。走るだけだった少年は、突如脇に設置されていたゴミ箱を蹴り倒し、ホルマジオの足元へと転がしてきた。体を捻ってそれを避けると、続いて道を塞ぐように倒された放置自転車。間一髪でそれをも飛び越え、グングンと走力を上げていく。少年は速かった。しかし、その身長はホルマジオの肩よりもまだ低い。体格の違い。それは確実に少年を追い詰めていた。

そして

「っら!捕まえた!」

言いながらその襟首に手を伸ばし、がしっと掴んだ。

……と、思ったのだが。

「なっ……!?マジかよ!」

それより一瞬早く少年は、ほとんど倒れるようにして体を前に傾け、文字通り追っ手を逃れた。そして、思わぬ行動に体勢を崩したホルマジオを後目に、地面と顔面がぶつかる寸前を狙って地面に手をつき、グイッと体を前に押し出して表通りに躍り出た。尋常ではない度胸と身体能力だった。ようやく体勢を立て直したホルマジオが続いて表通りに飛び出したときにはもう遅かった。ひやりとした初冬の風を残して、少年は霧のように消えていたのだった。
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ