作品2

□逃げ水
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 チョコラータは暑いのがニガテだ。でも寒いのはもっとキライ。ワガママなんだ。一番好きなのは、クーラーのガンガンかかった部屋でホットコーヒーを飲みながら、窓の外をえっちらおっちら歩くヒトビトの汗を鼻で笑うこと。強くて地位もあってカネもあって性格最悪。それがチョコラータ。
 で、そんなチョコラータよりも強いのがこのおれだ。だってチョコラータは、おれが散歩に行きたいって言ったら、暑い真夏の昼間でも寒い雪の降る夜でも、ちゃあんとおれに付き添って歩いてくれる。チョーイヤイヤだけどな。

 今日の空は、雲ひとつない快晴。太陽がガンガンに幅を利かせているから、日なたにいるとサンマみたいに焼け焦げそう。だから日陰を選んでフラフラ歩くんだけど、たまに飛び出てサンマの気分を味わうのもサイコーに楽しいってわけ。

「チョコラータ、水たまり!」

 ぴょんと日向に飛び出して、長く続くアスファルトの向こう側を指差してみると、水たまりはふよふよと湯気を立てているようだった。
 あれ。最近雨って降ったっけ。降ってないよなあ。あ、もしかして誰かが水撒いたのかもしれない。打ち水って言うんだっけ。それとも水鉄砲で遊んだ後かな。だったらおれも混ざりたかった。水鉄砲はないけど、おれは自分の泥鉄砲を持ってるからいいの。プッて口から吐いてさ。当たったやつは死んじまうけど。

 そんな風に考えてたからかな、バシャッて蹴ってやろうと思っていた水たまりは、いつの間にかどこかに消えていた。おかしいな。確かにこの辺にあったのにな。
 そう思ってると、また道路の向こう側に水たまり発見。今度は目を離さないようにして近付いて、思い切りジャンプした。けど、やっぱりバシャッていう音はしなかった。また、水たまりはどこかに消えた。

「チョコラータ! なあ、絶対あったよなあ、ここに! ……チョコラータ? ちょーこらーたー、聞いてる?」
「…………なにがだ……」
「水たまり、水たまり! 絶対ここにあったのに、ないんだよ、なんでか! 近付いたら消えんの!」

 あれだよあれ、と、また向こう側に現れた水たまりを指差すと、チョコラータはああ、と言ったっきり、建物の陰に背中をつけて歩くのをやめちまった。近寄ると、そこのカベや空気だけが妙にひんやりとしていた。そういえば、すぐ横の窓が少しだけ開いている。閉め忘れってやつだろう。ずるいな、チョコラータのやつ。ヒトの家のクーラーでまんまと涼んでるなんてさ。

「ああ、じゃあなくて、あれ、あの水たまり、すぐ消えちまうんだぜー。さっきっから全然捕まらねー」

 わざと耳元で騒いでやると、チョコラータはうっとおしそうに片目を開けて、はあーと当てつけがましくため息をついた。

「……セッコ。いいか、存在しないものは捕まらない」
「……は? なに」
「水溜りなんて初めから存在しない。あれは逃げ水だ。夏によくある現象。太陽によって温められた地表の空気は膨張するだろう。すると上方に比べて下方の大気の密度が下がるため、部分的に光が屈折して錯覚が」
「……なに。おれ、難しいこと、わかんねーよ」

 なに言ってるか、さっぱりだ。むくれて見せると、チョコラータはもう一回ため息をついて――これでチョコラータの幸せは二回分逃げたな、ざまみろ――とにかくあれは本物の水たまりじゃあないってことだ、と言った。

「……まあ、言ってしまえば蜃気楼と同じだ。遠くからはそう見えるが、実際は水なんてどこにもない。近寄れば消える。そしてまた遠くに現れる。いくら頑張ろうが追いつけない。それが逃げ水だ」

 おれは、ふうん、と言って、また向こう側を見た。絶対あれは水たまりなのになあ。でも、言われてみれば変にゆらゆらして見えるかも。でもでも、やっぱり不思議だ。だってそこにあるんだぜ。絶対触れないのかな。おれくらい強くて、チョコラータくらい頭がよくても、絶対かな。

「チョコラータ!」
「なんだ」

 おれは一生懸命一生懸命考えて、ピン、とひらめいた。クーラーの流れ風に当たって少しだけ元気になったチョコラータを、ぐいぐい日なたに押し出してみる。もちろんチョー抵抗されたけど、暑くてへばったチョコラータより、暑くても元気な強い子よい子のおれのほうがずっとチカラが強いんだから、無駄無駄無駄ァ!
 ぽい、と日なたに放られたチョコラータに、体いっぱいを使って指示を送る。あっち行って、水たまりんとこ。走って行って。はやくはやく。

 チョコラータは足をダンダンしてキィーとかなんとか言ってたけど、おれの勢いと、体中を焦がそうとゴウゴウ燃え続ける太陽の攻撃に負けて、肩をいからせながらズンズンと向こう側へ歩いてくれた。もうちょっと右。もっと先のほう。大きな声で指示をして、おれはようやく満足した。遠くに見える水たまりと、その上に立つチョコラータ。うん、やっぱおれ、すげえ。捕まえられないはずの水たまり、捕まえちまったぜー。

 おれは嬉しくなって、勢いよくチョコラータに駆け寄った。思い切り飛び付いて、ヤッダーバァアーとブッ倒れたチョコラータと一緒に熱い地面をゴロゴロ転がる。すげえな、チョコラータ。すげえすげえ。おれたちフタリなら、不可能なんてねーんだぜぇー。
 おれたちが揃えば無敵なんだ。だからこれからもずっと一緒にいようなーって言ったら、チョコラータはこめかみをピクピク言わせながら、わかったから離れろッ! って思いっきり怒鳴っていた。なあんだチョコラータのやつ、すっかり元気になったじゃあねーか。やっぱ散歩はいいな。これからも暑い日はめいっぱい連れ出してやろーっと。





End.
2012/07/22

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