作品2

□人間依存症
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 頼りなく薄い胸板と、それよりもっと頼りなげな二の腕との間に手を差し込む。持ち上げてみれば、それは驚くほど軽かった。

 大人の記憶と意識を保ったまま体だけが幼く退化してしまったイルーゾォは、足先を宙に漂わせながら、いつまでも彼を抱き上げたままにしている俺を睨み付けた。
 それでも、子供ならではの柔らかさと甘さを備えた可愛らしい顔には迫力というものがまるで無い。

「どうしてこうなったんだろうなあ」

 ベッドに腰掛けて、膝の上にイルーゾォを下ろして問うと、小さな唇をきゅっと引き締めて、わからない、とだけ言う。消え入りそうな、不安をたたえた声だった。知らない間にスタンド攻撃を受けたんだとしたらちょっと迂闊だったよなあ。思ったことをそのまま伝えなかったのは、この儚く小さな存在がこれ以上傷付くところを見たくなかったからだ。中身が冷酷な暗殺者であると知っていてなおそう思わせる。子供とはそういうものだった。
 これで、少しでもその口から弱音が聞ければ俺はもっと彼を甘やかしてやれるのに。

 肩より少し伸びた黒髪を梳く。サラサラと指の間を抜けていく髪はいつもよりずっと細い。後頭部に手をやって引き寄せると、大人しく胸にもたれてきた。頭のてっぺんが俺の喉元までしかない。その頭を支える首なんて、片手がぐるりと一周してしまいそうな程にたおやかだった。それでも、こんなに小さな存在なのに、戻れなかったらどうしよう、とか、怖い、とか、そういう不安を口にしないイルーゾォが不思議だった。しょうがねえなあ、いい加減自分の無力さを自覚しろよ。手足だってこんなに細いのに。今のお前なんて、俺が少し力を入れるだけで簡単に死ねるんだぜ。何度そう思って、何度そう告げてしまおうとしたか。それでも何も言わずにこうしてくっ付いているのは、俺の中に沸き上がる征服欲と同じくらいの加護欲が邪魔しているからだ。


 元々ヒトは好きだった。物心ついたときから、困っているのを見逃せない性質だった。何かありゃあ俺自身を頼って欲しかった。実の親にすら捨てられた俺にとって、他人に必要とされる事が俺の存在意義だったからだ。『子供』は俺にとって、そういう欲を満たしてくれる存在だった。知恵も力もない子供は他人に頼るしか生き残る術がない。泣いて俺に縋るしかないのだ。
 しかし子供は成長する。
 大きくなるに従って、自分で解決する力をつけてみせる。そうして誰もが俺を必要としなくなる。それを成長と喜んでやれるほど、俺は出来た人間じゃあなかった。心の根底の部分に、歪んだ欲求があったんだと思う。こいつらに力さえなければ、俺に頼る他は、ない。


「ホルマジオ、離して」

 イルーゾォは、紅葉のような手のひらで俺の胸を押す。顔を上げて、じっと俺の目を見つめた。自分でも原因を探りに行こうとしているのだろうか。だとしたら愚かとしか言いようがない。今も原因究明に奔走している他の仲間が戻ってくるのをじっと待っていればいいじゃあないか。お前は今、一方的に守られるだけの子供だ。

「オレも、」
「だーめ」

 彼が続きを言うより先に、甘く否定を囁いて、回した腕に力を込める。「何度も言ったろ。お前はアジトで待機。リーダーにも言われたはずだぜ。それが嫌なら答えてみろよ。スタンドも使えなくなったお前が、いったい何の役に立てるって言うんだ?」
 ぐっと押し黙るイルーゾォはしかし、じゃあせめて下ろして、と居心地悪げにもぞもぞと体をもぞつかせた。それだって俺には何の抵抗にもなりやしないってのに。


 小さくなった人間は、無力だ。スタンドを手に入れた瞬間、俺は俺自身の歪みと対面した。人間を縮めるチカラ。相手の力を完全に奪い取る能力。そうして無抵抗になった人間は、俺に縋るしかなくなるのだ。生かすも殺すも俺の采配に委ねられた状態が、実は俺の望みなのだと知った。支配したいんだと思う。俺は誰にも見放されないという、絶対的な安心感が欲しい。弱くて儚いヒトを屈伏させて、俺無しではいられないようにして、いつか成長してしまってもずっと、俺だけを見ていて欲しいんだと思う。
 それを叶えてくれるんなら、愛玩動物を愛でるよう、可愛がって甘やかしてやるから。だから犬のように俺に媚びを売って。俺を必要としてくれ。それができなきゃ、殺してやったっていい。


 寝転がると、さしたる抵抗もなくイルーゾォも転がった。抱き締めたままなんだから当然だが。枝のような手足がばたついたって、脚を絡ませれば終わりだ。胸の上から漂う子供特有の甘ったるい匂い。眼下に見えるつむじに鼻を埋める。戸惑ったように、服の裾が引かれるまでずっと。

「ホルマジオ、あんた今日、……ちょっと変だぜ」
「変? どこが」
「どこ、って、言えるわけじゃあないけど……」

 縮めた人間と同じくらい、今のイルーゾォは無力だ。俺がその気になりゃあ、首をへし折ることも、暴れる体を押さえつけて、いっそう慎ましく締まった可愛い蕾に性器を突き立ててやることもできる。それをしないのは、ひとえに『子供』が俺にとって、守るべき存在だからじゃあないか。

「でも、いつものホルマジオなら、離してって言ったら、離してくれる」
「そうか? でも離さねえときもあるよな」
「それだって、オレが本気で嫌がればきちんと聞き入れてくれる」
「今は? 嫌なのか。俺とこうしているのが」
「嫌なのは、あんたがオレを対等に扱ってくれていないことだ」

 きっぱりとそう言い切って、彼の幼い顔が俺を見上げた。対等って。思わず噴き出すと、イルーゾォはますます顔を曇らせて、笑うな、と憤った。これ以上ガキ扱いされるのは、耐えられない。

「じゃあさあ」

 俺は、ククッと喉の奥で笑いを堪えて、勢いよく体を反転させた。こんな子供にマジになるなんて、しょうがねえなあと、自分でも思うけど。

 組み敷かれたイルーゾォは、現状を理解できずに瞬いている。やむなく身に纏ったフリーサイズのTシャツとハーフパンツは、それでも彼の体には大きすぎ、重量に従ってだらりと垂れ下がってはいっそ少女のようにも見える体の線を際立たせている。

「対等に扱えってんなら、それだけのチカラがお前にある所を見せてよ。こうやって押さえつけられて、お前はそれに対抗できんの?」

 彼の四肢は、俺の下で無様に伸びている。顔の両端でそれぞれ手首を拘束されて、出来ることといえば僅かに関節を動かす程度だった。「それが出来ないんだから、子供扱いだってするよ。対等になんて扱えねえ。俺は大人だから。お前をこうして守ってやらなくちゃあなんねえの」
 だからちゃんと頼ってよ、と言うと、イルーゾォはいよいよ暴れ出した。オレはガキじゃあない、離せ、離せ。

 その瞬間の俺の胸の奥は、荒れ狂う嵐のようだった。なんで、俺の言うことを聞けないの。苛々する。無視すんなよ。頼れよ。俺を必要としてくれればそれでいいじゃあないか。

 バタバタと鳴る脚の動きがうっとおしくて、少しだけ手に力を込めた。「いい加減にしねえと、犯すよ」そうして自分の無力を知ればいいんだ。
 耳元に寄せられた囁きにビク、と体を跳ねさせたイルーゾォは、困惑と恐れを浮かべて大人しく両脚をすり合わせた。うん。いい子だ。やっぱ子供は素直なのが一番いい。

「驚いたか? ごめんなあ。でも自覚はした方がいい。お前はいま子供なんだよ。俺がいなくちゃあ何にもできない子供。安心してよ。俺はお前のためなら何だってするよ」

 命を懸けてお前を守るし、犯人を見つけてお前の目の前で八つ裂きにしてやったっていい。だから俺だけを見て、頼って。

 イルーゾォは一瞬複雑そうな表情を浮かべた後、諦めたようにふっと力を抜いた。「あんたはいったい『子供』に何の執着があるの」外見が子供ってだけで、全然オレ自身のことを見てくれない。

 言っている意味がわからなかったので素直に首を傾げると、イルーゾォはため息を一つ吐いた後、ビョーキだな、と呟いて、ゆっくりと俺の袖を引っ張った。抱き付くには腕の長さが足りなかったんだろう。そうしてようやく回された腕は、しっかりと俺を抱いていた。




End.
2012/07/22
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