作品2

□続・アサッシーノの休日
1ページ/1ページ

 街並みが流れていく。
 鉄の箱はコンクリートを滑るように移動して乗客たちを運んでいく。運転手は支配者。乗客なんて所詮貨物だ。ゴロゴロゴロゴロ、カーブでいくら中身が転がりぶつかろうと構いやしないんだろう。少なくともイルーゾォはそう思っていた。ぎゅうぎゅうに詰め込まれたバスの人波の中、唯一充分な空間をもって悠々とハンドルを握る運転手をぎりぎりと睨んでいた。

「……俺は呪われているんじゃあないだろうか」

 地を這うような声だ。そして突拍子もない言葉。隣にいるのがペッシでさえなければ綺麗さっぱり無視されていただろう。事実、反対側の隣で順調に怒りを溜めているギアッチョは窓の外を睨みながら微動だにしていない。

「……呪われてるって、誰に?」
「メローネに決まってんだろ。さっきっから右肩が重いんだよ。最悪だ、生き霊になってまで俺を呪いやがって」

 ハハ、と空笑いをして、ペッシは二日前のことを思い返していた。一泊二日の小旅行の直前。出掛ける間際のメローネの騒ぎようといったらなかった。着々と外出の準備を整えていく三人に向けて思いやりがないだの鬼畜だのの暴言を吐きかけたのはまだいい。それでも相手にされないと知るや、駄々をこねるガキよろしくダンダンと床を踏み鳴らしながら連れてけ連れてけと騒ぎ立てた。しまいには年甲斐もなく目に涙を滲ませてまで、ご当地温泉二名様ご招待特別優待券二枚組みを破り捨てようと画策したため、イルーゾォとギアッチョの見事な連携によって再びベッドに沈まざるを得なかった。

 四十度の熱を出すその体のいったいどこにそれほどの力が残っていたのか。ペッシは、腹部と首筋にそれぞれ綺麗な回し蹴りを決められて、気絶したように眠るメローネを半ば憐れみをもった瞳で眺めていたのだった。

 ――さて。
 ペッシは思った。今ごろメローネは何をしているんだろうか。大人しくベッドで眠っていればいい。とっくに治っていつも通り遊びほうけているんでもいい。しかしメローネだ。今回の恨みを簡単に忘れるような男ではないのだ。まさかとは思うが、ベッドの中、熱にうなされながら、本当に自分たち三人を呪っているんじゃああるまいか。

 ……無いとは言い切れない同僚の姿を思ってまた一つ苦笑が漏れる。なんとなく、肩に手をやってみた。気にしてみれば、なんとなく、重いような気がしなくもないが――

 瞬間、その重みが何十倍にもなった感覚があった。肩だけではない。体にかかる重力が一気に増したのだ。吊革を掴む手が思い切り伸びきる。大きく傾く体。バスの急ブレーキは、乗車員全員に同じだけの衝撃を与えたようだった。



 間の抜けた声がした。ふああぁ。耳障りなブレーキ音と共に聞こえたそれは、無視をするにはしかし知人の声に似すぎている。ギアッチョは人知れずため息をついた。

 油断すれば前方へと崩れてしまいそうな慣性に逆らって、とっさに両脚を踏ん張るのは当たり前の事だと思う。周りを見れば、女も子供も同様に、吊革と鉄パイプの助けを借りながらもきちんと己の足で立っていた。つまり、ギアッチョの『知人』だけなのだ。油断しきってバスに揺られ、その勢いのまま顔面からペッシの背中に衝突した最高の間抜けは。

「ッてぇ……っ」
「い、イルーゾォ、大丈夫ですかい?」

 横目で二人を流し見る。しきりに鼻先をさするイルーゾォを、ペッシはおろおろとしながら覗き込んでいる。ああ、ああ、甲斐甲斐しいもんだね。俺ならそんなバカ放っとくか鼻で笑い飛ばすもんだが。仮にここに居たのがメローネだとしても、結果は変わらないだろう。むしろ散々からかわれた挙げ句、キミってやつは手が掛かるなあだの何だの言われて、まるで女にでもするようにわざとらしくエスコートされるに決まっているのだ。そんな辱めを与えない分、よっぽど自分の対応はマシだろう。ギアッチョは己の考えに違わず知らぬ存ぜぬを貫くことにした。

 しかし、なんということか。メローネの不在によって救われたはずのイルーゾォは、その考えこそがいたく気に入らなかったらしい。全くの自業自得を棚に上げて、恥ずかし紛れに涙目でギアッチョを睨み付けたのだ。「なんでバスが揺れるんだッ」
「世界中のどこを探しゃあ揺れねーバスが見つかんだよ」
 頭脳がマヌケかおめーは。いちいち人様に八つ当たりしてんじゃあねー。
 吐き捨てるように言うギアッチョだったが、彼にしても、イルーゾォがそんな程度で怯むような人間でないことはわかりきっていた。
 だいたい、車が使えない事がおかしかったんだ。イルーゾォはなおもイライラとした口調で続けた。これにはギアッチョも黙ってはいなかった。「じゃあおめー、あの温泉宿からパンクした車でアジトまで無事に帰れるだけのドライビングテクニックでも持ってんのか? ええ?」
「少なくとも俺なら、遠出する前には車の備品のチェックだけは欠かさない」
 んだとコラ、それじゃあまるで俺がズボラだって言ってるみてえじゃあねえか。ああ? わからなかったか? 俺は確かにそう言ったつもりだったんだけど。
 窮屈な空間の中のさらに小さな小競り合いの間に、ペッシは無理やり体をねじ込んだ。両側からの痛いほどの視線を受けながら、手元で潰れかけている紙袋をそっと庇う。イルーゾォの肩凝りもギアッチョの車の故障もこんな喧嘩に巻き込まれた自分も、彼らの言うとおりメローネの呪いのせいだったとしたら、この中にはきっとそれを解いてくれるものが詰まっている。

 帰ったら、メローネは未だにふて寝を続けているんだろう。たった二日間で機嫌が直るほど彼は単純でない。
 まず、とペッシは思った。まずは自分が一番先に挨拶に行ったほうがいいだろう。ただいま、でも風邪は治ったか、でも何でもいい。こちらに意識を向けさせるのが大切だ。
 メローネはおそらくそんな声など綺麗に無視をしてみせるだろうから、お土産、一応買ってきたんだけど、と控え目に言う。それすら無視されるだろうから、少しだけ気落ちした声で、みんなで選んだんだけどな、と呟く。いらなかったら放っておいていいから、と。
 俺はそんなものには釣られないぞとばかりこちらに背を向け続けるメローネも、ある意味では子供だ。内心では袋の中身が気になるに違いない。
 わざとらしいと思われるだろうが、袋を入り口付近に置いて部屋を出る。扉を閉めた途端にガタガタと鳴る部屋の音を、すぐ横で壁に背を寄りかからせて立つイルーゾォと笑うのもいいだろう。隣の部屋を訪ねて、イライラと足先を上下させながら本を開いているギアッチョに経緯を報告するのもいいかもしれない。拗ねたメローネは面倒だが、目一杯構ってやれば簡単に機嫌を直してくれる。……まあ、こんな事を考えていると知られたら、今度こそ意固地になってネチネチ嫌みを言ってくるんだろうけれど。
 ペッシはもう一度、確認するように手元を見た。

 あの馬鹿にはこんなもんでいいだろ、だの、こういう気持ち悪い置物なんかピッタリじゃあねえか、だの、旅行中、何度メローネの名前を聞いたか知れない。そうして溜まりに溜まった土産はとうとう大袋いっぱいに詰められることとなった。ほとんどふざけ半分で購入したガラクタの山ではあるが、見ようによっては素直でない二人が二人なりの精一杯でもって不在のメローネを気遣った結果だともとれる。問題はそれがメローネ本人に伝わるかどうかだが――

「だからッ! お前のその理屈っぽいところが嫌なんだって言ってるだろ!? この間だってヒトのプリン勝手に食ったくせに謝りもしないでグダグダ文句言いやがってッ!」
「だからありゃあ共用の冷蔵庫に名前も書かねーで入れといたオメーの不用心が悪いっつっただろうがッ! だいたいいつまでンなみみっちい事言ってるつもりだクソがッ! もうあれから一ヶ月も経っとるだろうがよッ!」
「俺はあの日あの時あの瞬間にあのプリンが食いたかったんだよッ! そんな俺のささやかな希望を邪魔するやつは誰であろうと許可しないィッ!」
「あーあーマジでうっぜェなあお前はッ! いつまで経ってもネチネチネチネチ腐った女みてェに騒ぎやがってよォ〜〜〜ッ! その髪か? ええ? そのインディアンみてェーな髪の一房でも切り落としゃあちったあ男らしくなれんじゃあねえのかぁあコラ! おいペッシ! おめー次で降りてハサミ買ってこいハサミッ!」
「ふざけんなよッ! 俺がインディアンならお前はエスカルゴだろうがッ! 切り落とすんならそのグルグル天パが先だ! ペッシ、いいか買ってくるのはバリカンだぞ間違えるのは許可しないィィイイーーーッ!」


 ――だがせめて、メローネへの十分の一程度でいいからせめて、自分にもそれなりの気遣いはして欲しいな、と、四方から聞こえる忍び笑いを恥じ入るペッシであった。




End.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ