作品

□一緒に住もう
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確かに今回の仕事は長くかかった。

偵察から殺害までの期間は他の仕事時と比べても長いものだったし、相手が予想よりも注意深かったこともあり、任務を終えて帰宅をしたときにはすでに四日も経っていた。その時点で嫌な予感はしていたのだ。

だが、それにしたってこれはあんまりだろう。プロシュートは頭痛のする額を押さえながら、じっとりとした目で原因となった男を睨んだ。

「洗い物の一つもできねぇのか、テメェは」
「すまん」

言葉の割に悪びれた様子もないリゾットに、あてつけのような盛大なため息を返す。

嫌な予感に背中を押され、自宅に向かう足を無理やりリゾットの自宅兼仕事場へと向けて、疲れた体をひきずって扉を開けたらこれだ。シュレッダーからは書類のクズが溢れ、部屋の隅には脱ぎっぱなしの服が山を作り、台所にはなぜか大小さまざまなコップばかりが並んでいた。
当のリゾットは、机の上の大量の書類をまとめながら、ご苦労だったな、と仕事帰りのプロシュートにねぎらいの言葉をかけた。その目の下には恐ろしいほどの隈ができている。

生活感がないとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。ゴミを袋に詰め、洗濯物をまとめて洗濯機に放り込みながらもプロシュートの小言は止まらなかった。

「仕事が溜まってるのはわかるぜ、リゾット。組織に提出するための書類をまとめるのはアンタの仕事だ。 だがな、誰がここまで根つめてやれっつった? 期限はまだまだあったはずだろ?」
「しかし……早めにやっておかねばいつ何がおきるか……」
「……その“何か”が起きるより、テメェが睡眠不足でブッ倒れっちまうほうが先だと俺は思うぜ」
「そんな事は……」
「だいたいよぉ、洗ってないのはいいとして、なんで流しにコップしかねぇんだ?」
「コーヒーを飲んだカップで紅茶を飲むわけにはいかないだろう」
「そういうことを言ってるんじゃあねぇんだよ。皿はどうした? フォークは? ナイフは? 食器だけをより分けて洗ったわけじゃあねぇんだろ? ……まさかとは思うがアンタこの四日間…」
「…………水は摂取していた」

頭に手をやったプロシュートがいっそ大げさなほどの動作で天を仰いだのは仕方のないことだった。

「水は摂取していた、だァ……? アンタの! この! デカい図体が! 水だけで何日も保つわきゃねぇだろうが! ッどけ!」

入り口でぼうっと立っているリゾットを肘でどかし、プロシュートは足取りも荒く台所へと向かう。

「プロシュート。すまないが食材は何も……」
「んなこたぁ言われなくてもわかってんだよ! 俺が何のためにこんな時間にわざわざスーパーなんかに寄ったと思う!」
「……本当に気が利く男だな、お前は……」

そして、喋り出すと止まらない男でもあった。
手際よく具材を切り、パスタを茹でながらも、その口が閉じられることはない。

「だいたいよぉ、テメェにはリーダーの自覚ってもんが本当にあんのか!? 健康管理も仕事の一つだろうが! もし今日俺が来なかったらどうなってたと思う!? 賭けてもいいね、テメェは明日の朝には書類の海で溺れ死んでたぜ!」

オラ、これでも食ってな!
言い終わると同時に差し出したのは、チーズが散りばめられた簡単なサラダ。ドレッシングは袋の中から適当に取ってかけろ、と言い残して、今度はパスタソースに取り掛かる。
トマト缶を開けるプロシュートを感心したように見るリゾットは、もたついて新たな怒りを買っては大変と、席に着いて早速サラダを一口ほおばった。
そして、自分の腹が予想以上に減っていたことに初めて気付く。

シャクシャクと新鮮なレタスを咀嚼し、半分ほどまで食べ進めたところで、トマトソースといい具合に絡まったパスタが食欲をそそる匂いをたてながら運ばれてきた。それも遠慮なくたいらげると、リゾットの前に座って険しい顔で頬杖をついていたプロシュートが、ようやく眉間から皺をなくしてくれた。

「食ったな」
「あぁ、美味かった。相変わらずな」
「メシを美味いと思える気持ちがあるんなら次から忘れず食ってくれよ」

こうしていちいち様子を見に来てやるのも結構面倒なんだぜ、リーダー。
そう言って、まるで子供にでもするようにリゾットの髪をぐしゃぐしゃと撫で、空の食器を下げるプロシュート。その表情からは、既に怒りが消えていた。良くも悪くも面倒見のいい男なのだ。叱ると長いが、それが終わればもうそれ以上は追求してこない。そういう小気味の良いところが、リゾットが彼を好きになった理由の一つでもあった。

カチャカチャと食器を洗う彼の背中に向けて、次からは気をつける。と殊勝な態度で言ったリゾットは、続けてぽつりとこう零した。

「お前にこうして面倒を見てもらえるのも、あと何回と無いかもしれないしな」
「……はァ?」

振り向いて、いぶかしげに眉を寄せるプロシュートに構わず、リゾットはどこか遠くを見るように口を開く。

「突然なんだが、俺は今、引越しを考えていてな」
「ひ、引越しぃ……? なんでだよ。悪くないだろ、この家」
「ああ。確かに住むには悪くはない。が、仕事場も兼用にするといかんせん狭すぎてな。 ここから少し南に行ったところ、岬の近くに一つ良い物件があるんだ。俺はそこに移ろうと思う」

岬……。
呆けたように口を開けるプロシュートは、続いてぽつりと「遠いな……」と零した。
プロシュートの家は、ここからバスで十数分揺られた場所にある。だからこうして、仕事終わりにフラリと様子を見に来てやることもできるのだ。が、今リゾットが示した場所は、それとは比べ物にならないくらい遠い所にある。
暗殺業という、主に個人で動く仕事を生業としているプロシュート達にとっては、連絡さえとれればどんなに遠い場所に住んでいても問題はないのだが……もしもまたリゾットが仕事に集中するあまり、自分の事をおろそかにしてしまったら。そう考えると、とてもじゃあないがこの引越しに賛成してやることはできなかった。

「……なぁ、リゾット。よく考えてみてくれ。金があって、良い物件がありゃあ、そりゃ男なら買いたくなるよなぁ。俺だってそうだ。けどよぉ、それは今じゃあなくてもいい……
っつーかテメェの世話も満足にできねぇマンモーニが家買うとか生意気なこと言ってんじゃあねぇよっ!」

濡れた手でぱこっと頭をはたく。
リゾットはそれを気にするふうでもなく、妙に嬉しそうな声で「心配か?」とのたまった。

「心配だァ……? 当たり前だろ!? テメェがくたばったら誰がウチのチームをまとめるってんだ! 引越しなんざ却下だ却下!」
「ふむ……。だがそれでは俺が困る」
「知るかよ! テメェはなぁリゾット、俺の目の届く範囲に居りゃあいいんだ!」
「目の届く範囲に?」
「あぁそうだよっ!」
「じゃあお前も一緒に住めばいい」
「……っはァ!?」

思わずぽかんと口を開けるプロシュート。リゾットはそれに構わず話を続ける。

「元々広い場所に移ろうと思っていたからな。二人程度なら不自由なく住める。プロシュート、お前、海は嫌いじゃあないだろう?」
「あ、あぁ……まぁな」
「なら考えてみてくれ。俺はどちらでも構わない」

言い終えると、なにやらブツブツと計算をしている様子のプロシュートを満足そうに見て、リゾットはリビングを出る。そして少しもしないうちに帰ってきたと思ったら、手に持った紙をスッとテーブルに置いた。その姿は妙にそわそわしている。

「間取り図はこれだ。持って帰って考えるといい」
「ん? あぁ、グラッツェ。後でコピーして返す」
「いや、二枚貰ってきてあるから大丈夫だ。そのまま持っていってくれ」
「そうか? 助かるぜ、リゾ…………ん?」

……そんな彼の違和感に気付かないプロシュートではなかった。

「なぁ。間取り図なんかどうして二枚も持ってんだ?」

一枚で十分だよなぁ。問うと、リゾットは不自然に視線をそらした。その顔は、しまったとでもいいたげに歪んでいる。
その行動に何かを察したプロシュートは、低くうなるような声でリゾットの襟首を掴む。

「リゾット……テメェその物件、まさか最初から俺と住むことを前提に探してきたわけじゃあねぇよなぁ……?」
「…………」
「妙にトントン拍子に話が進むと思ったけどよぉ、そう思えば納得もいくぜ」
「…………」
「おい、もしかして必要以上に部屋を散らかしてたのもそのためか?」
「…………バレたか?」

逸らした目を恐る恐るこちらに向け、傍目には全くわからないが、不器用に口の端を上げて笑おうとするリゾット。プロシュートは今更ながら仕事の疲れがドッと押し寄せてくるのを感じた。
いつも以上に散らかっていた部屋も、四日間の絶食も、全てはプロシュートに体の心配をさせて同居の話に持っていくためのプロセスだったらしい。

「リゾット。リゾット、リゾットリゾットよぉ〜〜〜。テメェはなんだ、こんな回りくどいことしなきゃあ俺一人口説けねぇってのか? ハンッ! イタリア男の風上にも置けねぇなっ!」
「…………すまん」

本日二度目の謝罪は、確かに心から反省しているようだった。それを見て、プロシュートは吊り上げた眉を下ろしてみせる。
そして、先程のリゾットのように――しかしそれよりもはるかに綺麗に見えるやり方で――口の端を持ち上げ、笑ってみせる。

「……ま、いいぜ、リゾット。一緒に住んでやってもな」
「…………っ!? ほ、本当か!?」
「住処を探す、ザルみてぇな作戦をたてる、俺を誘う。仕事以外にゃ興味ねぇって顔してるテメェがここまでやったんだ。答えてやるのが部下の務めってもんだろ?」
「プ……、プロシュート……!」
「ただし!」

感極まって手を握ろうとしてきたリゾットを制して、プロシュートはニヤリと笑った。

「物件は俺が別に探す。ここも悪いとは言わねぇが、いかんせん田舎すぎて俺には合わねぇ」

三週間待ってろ。そう言い残して、プロシュートは普段どおりのきびきびとした足取りで部屋を出た。
残されたリゾットは、椅子の背もたれいっぱいに腰掛けて、えもいわれぬ幸福感に身を委ねていたのだった。
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