作品

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夕陽に照らされる玄関の扉を開けたイルーゾォは、今までの人生で何千、何万と繰り返してきたように右足を踏み出した。

……のだが。

「いってきまー……っふあああ!」

その足が地面に着くことはなかった。腕をぐいと引かれたためにぐらりと揺らいだ体が、持ち主の気の抜けた叫びとともに後ろへと倒れたからだ。
しかし、その体は地面と接することなく何者かに抱き止められる。イルーゾォにはそれが誰かなんて見なくてもわかった。

「なっ……に、すんだよホルマジオっ! 危ないだろ!?」
「危ないのはどっちだよ……ったくしょうがねぇなあ〜ッ!」

どこか焦ったように言うホルマジオは、抱き止めたイルーゾォをそのままアジトの中へと引っ張り込もうとする。が、その行動の理由がさっぱりわからないイルーゾォは身をよじって抵抗した。

「やだっ……! なんだよ、離せよお!」
「離してもいいけどよ、そしたらお前、外出るのやめるか?」
「へ!? な、なんだよそれ……。俺、今日買い物当番だからどっちみち出掛けなきゃなんないんだけど…」
「じゃあ離せねえな。ほら、お前の好きな銘柄の紅茶淹れてやるから諦めてリビング来いよ」
「はあっ!? なんでっ……ちょ、ホルマジオ、ほんとに俺……ッ」

じたばたと足を暴れさせて抵抗するが、痩せぎすなイルーゾォと筋肉質なホルマジオとでは力の差は歴然だった。
そのままズルズルと引きずられ、もともと開けられていたリビングの扉へと連れ込まれたイルーゾォは、中で暇そうに転がっていたメローネの格好の的となった。

「ヒュー! お熱いねーお二人さん! まだ日も落ちてないっていうのにこぉんなだだっ広いとこで抱き合っちゃって! あ、もしかして俺お邪魔だった?」
「へ? 抱きあ……ッ!? ふあぁぁああ! 違うよメローネ! これはホルマジオがいきなり……っ!」
「いきなり熱い包容をかましてきたって? やだやだノロケなんか聞かせないでよー」
「ちがっ……! ちょっと! ホルマジオもいつまでくっ付いてんだよおっ!」

からかわれたためか、自分の体勢を意識してしまったためか、顔を真っ赤に染めたイルーゾォは未だ自分を抱き締めたままのホルマジオをドンッと突き放した。

二、三歩よろけたホルマジオは、何かを言いたげな顔でメローネを睨む。
が、それに気付かないフリをしたメローネは、赤い顔を手で隠してうつむくイルーゾォを頭から足先まで舐めるように見ると、非常にご機嫌な様子でにっこり笑う。

「うーんベネ! 何度見てもディ・モールト ベネだよイルーゾォ! さすがは俺の見立てだねっ! 上から下まで完璧だ!」

そして、ゴロゴロと転がっていたソファからがばりと起き上がると、イルーゾォの周りをぐるぐると回ってベネ! ベネ! と連呼しだした。




***************




今日、イルーゾォはいつもの服を着ていなかった。
何を食べても肉のつかない自分の体にコンプレックスを持っているイルーゾォは、その体を隠そうとするあまりモコモコとした服ばかりを着回していた。
しかし昨日、とうとうそれを見かねた自称・イタリア一のオシャレ番長であるメローネに「俺が全身コーディネートしてやるから」と誘われて丸一日イタリア中を連れ回されたのだ。

そして今日。強引なメローネの後押しもあって朝から新しい服を身につけたイルーゾォは、"あのメローネのセンス"ということであまり期待をしていなかった皆の予想を大きく裏切るいでだちで現れた。

気恥ずかしそうに部屋から出てきたイルーゾォは、メローネの普段着からは想像できないシンプルで洗練された服に身を包んでいたのだ。

黒く細身なデザインのパンツは、本人の心配をよそに、上手く華奢なイメージを隠した上でイルーゾォの脚の長さを引き立てていた。
夏にあわせた薄手のシャツからは、いつも以上に大胆に胸元や鎖骨が覗いており、そこにかかる長い黒髪と相まって妖しげな色気が醸し出されていた。
ボタンを半分ほどまでしか止めていないせいで、歩くたびにスラッとした腰やへそが垣間見え、更に色気に拍車をかけている。
しかし、それに軽く羽織った落ち着いた色の上着のおかげで、遊び人風な印象は全く与えてこない。
イルーゾォの持つ魅力を最大限に引き出した、まさに完璧といっていいコーディネートだった。

もちろん、それを見たホルマジオは、まさに上機嫌といった様子でしきりにイルーゾォを褒め称えた。そのたびに照れくさそうに笑うイルーゾォ。
周りのメンバーはそれを微笑ましげに見ていたのだ。

しかし、今現在のホルマジオは、眉間にしわを寄せたままイルーゾォの格好を値踏みしている。
その理由を知っているくせに、自分を無視して「この襟元がポイントなんだ!」だとか「やっぱり俺のセンスは間違いないねっ!」だとか、モデルを褒めているんだか自分を褒めているんだかわからない事を言いながらベタベタとイルーゾォを触りまくるメローネ。ホルマジオはますます不機嫌そうに眉をひそめた。

「……おい、メローネ。もういいだろ、いい加減脱がしてやれよ、それ」
「ええーやっだホルマジオってば大胆っ! こんなとこでイルーゾォ脱がして何したいのぉ?」
「馬鹿言ってんなよメローネ! 俺はそんなつもりじゃ……ってこら! なにドン引いてんだよイルーゾォ! こいつの言うことなんて信じんなって!」

引きつった顔でずりずりと後ずさるイルーゾォの腕を掴み、メローネの頭に拳骨を落とす。
そうしてもう一度イルーゾォに向き直ると、両肩を掴んで説得の体勢に入った。




***************




「……なあ、イルーゾォ。お前も脱ぎたいよなあ? 動きづらいだろ? その格好」
「いや、全然。すごいんだよこれ、見た目よりだんぜん軽いんだ。けっこう生地にゆとりもあるし、走っても大丈夫みたい」
「でもよぉ、ほら、朝っぱらから出かけて汗かいたろ? そろそろ着替えたほうがいいんじゃ……」
「やだよ、あんまり洗濯物増やすとプロシュートが怒るじゃないか。それに今日は比較的涼しかったから汗だってあんまりかいてないよ」
「じゃあせめて上着だけでももっとガッシリしたのに変えて……」
「この服に合うような上着なんて持ってないよ、俺」
「じゃあ俺の貸してやるから……」
「サイズがぜんぜん違うだろ」
「ぐ……っ」

口に出した事柄を端から否定され、とうとう言葉に詰まるホルマジオ。
イルーゾォは、それに怪訝な顔をしながらも買い物袋を掴み、再び玄関に向かって行こうとした。

が、それはやはりホルマジオによって遮られてしまう。イルーゾォはイライラと口を開いた。

「もうっ! なんなんだよさっきからさあ! そんなに俺の格好って変!? 朝はあんなに褒めてくれたのに!」
「あ、朝は朝だろ!? それにお前、今日自分に何があったか忘れたのかよっ!」
「はあっ!? ……なに、今日ってホルマジオ……もしかして、あの事気にしてるの?」

こくり。大きく頷いたホルマジオを見て、イルーゾォは今朝、服の着心地を確かめるために出かけた時のことを思い出す。

ホルマジオにさんざん褒められて悪い気はしなかったイルーゾォは、先日手違いで部屋内の小さな鏡を割ってしまったことを思い出し、せっかくだからと散歩がてらの買い物に出た。
その帰り道、ギャングとはほど遠いチンピラもどきに絡まれたのだ。

もちろんイルーゾォとてギャングの一員であるから、この程度の手合いはスタンドを使わずとも簡単に伸してしまうことができる。だが、人目をしのぐ暗殺チームに所属している身としては余計な騒ぎは起こせなかった。
そうして軽く謝りながらのらりくらりとあしらっていたところに、騒ぎを聞きつけた警官が走ってきてしまい、結果ちょっとした騒ぎになってしまったのだ。

「……だから、あれは不可抗力だって言ってるだろ? たまたま通りかかったソルベ達が上手くまとめてくれたからそれ以上の騒ぎにはならなかったし」
「俺が言ってるのは騒ぎのことじゃねえよ。お前、警官に言われた事忘れたのか?」

問うと、むっとした顔で口を開く。

「……忘れるわけないだろ。気を遣ってるつもりだかなんだか知らないけどあの馬鹿警官、『相手の男、連れの女性があなたに見とれていたので逆上してしまったそうですよ』なんておべんちゃら言いやがって。そんな下手な慰め方ってないよなあ! プロシュートやホルマジオじゃあるまいし、そんなわかりやすい嘘つかれたって、かえって惨めだったよ!」

当時のことを思い出したのか、いささか興奮しながら話すイルーゾォ。ホルマジオは頭を抱えた。この厄介な恋人は、未だに自分の魅力というものをわかっていないらしい。

「でももう大丈夫だよ、さすがに日に二度も三度も絡まれることなんてないんだから。俺も気をつけるし。だからさ、ホルマジオ。そこ退いてくれよ。買い物行かないと夕飯だって食べられないんだから」

早くしないとみんなに怒られちゃうよ。困ったように首を傾げて、退かすためだろうがホルマジオの服をぎゅっと握る。身長差のせいで自然と上目使いにもなるし、その際に首筋をさらりと流れた黒髪は、くっきりと浮き出た鎖骨の上に散らばって非常に目に毒な光景となっていた。
思わずウッと鼻を押さえたホルマジオの隙をついて「行ってきまーす」と言い残したイルーゾォは、当初の予定どおりにバタンと扉を閉めて出て行ってしまった。

「……あーあ、フられちゃったね」

その瞬間、黙って成り行きを見守っていたメローネがさも愉快そうに口を開いた。対するホルマジオは腹いせにキッとメローネを睨む。

「ッ元はといえばお前があんな服着せるから悪いんだろ!? なんだよあれ似合いすぎてんだよイルーゾォがどこぞのくだらねー女に捕まっちまったらどうすんだよっ!」
「えーホルマジオってばあのイルーゾォが浮気するって思ってるの?」
「違ぇよ! あいつが俺以外好きになるはずねーだろ!? そうじゃなくて、一人で街に出て強引な女にナンパでもされてみろ、あいつ変なとこで気が弱いから断れねーんだぞ!?」
「……今さらっととんでもないノロケを聞いた気がするんだけど。
大丈夫だよ、買い物ったっていつものスーパーでしょ? そんな近場でナンパもなにも……」
「っでもよお!」
「……ていうかそんな心配ならあんたがついてけばいいじゃん」

あ。
言われた瞬間、ホルマジオは間抜けなほどにポカンとした表情を見せた。
そして、口の中でそうか、そうだよな最初っからそうすりゃよかったんじゃねえかしょーがねえなあ、と何やらブツブツと呟くと、バタバタと音を立てて階段を駆け上がっていった。上着を取りに行ったのだ。

こんな単純なことにも気付かないほど混乱していたのか。いつもの何事にも冷静で視野の広いホルマジオのあまりの変貌ぶりに、思わず苦笑してしまうメローネ。そして、もう用はなくなったとばかりに再びゴロンとソファに寝転んだ。
と同時にバタバタと階段を駆け下りる音。それにヒラヒラと手を振りながら言う。

「頑張ってきてねー、イルーゾォとので・え・と!」

遠くからやる気なさげにかけられたメローネの声に「たはっ」と気持ちの悪い照れ笑いを残して、ホルマジオは慌ただしく出ていってしまった。
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