作品

□関白宣言
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シャカシャカと、当たり前だが俺好みの音楽ばかりをかき鳴らしてくれるイヤホンを耳に突っ込んで、街を歩く俺は馬鹿みてぇに浮かれていた。フラフラと邪魔くさく歩く酔っ払いも、ギャアギャアと電話相手に喚く馬鹿も、今の俺の眼中にはねえ。いつもなら突っかかって殴ってやるようなクソ野郎も、今日に限ってはそいつが黒髪だってだけで大目に見てやれるんだ。

黒髪の――あいつはいつだって陰湿で根暗。人を小馬鹿にした態度は元来のものなのだろう。見下されていると感じた事は一度や二度ではない。しかもそれが無意識だというんだからたまったもんじゃあねえ。
だがしかし、そんな性格に難のある男に、どうしてか好意を抱いてしまったのもこの俺で。
そして、どういう訳だかあっちも同じ気持ちであったりなんかしちまったもんだから、今こうして俺たちは、デートだとかなんだとかいう、言葉にするのもこっ恥ずかしい一日を過ごそうとしているのだ。

なのに。なのにだ。

待ち合わせ場所の十数m手前。滅多に付けない金属片をチャラチャラと揺らした俺は、足を止めずにはいられなかった。

横断歩道の更に向こう。随分とスタイルに自信のありそうな金髪が、声をかけていたのは確かに今現在俺が頭に描いていた待ち合わせ相手で。
それは、その男は、まさに今!身に起こったナンパという事実に頬を緩めて、普段はしない愛想笑いまでをも表情筋の奥の奥から引っ張り出してきて、金髪女の相手をしていたのだから。

もちろんごく一般的なイタリア男としては珍しい光景ではない。が、それがイルーゾォともなれば話は別だ。
なんせあのボケは、俺の前じゃあいつだって陰険であり陰気な男で、笑うときに使う器官が主に鼻であったりするのだ。
だから、俺としては、あの男が愛想笑いだなんて高度なもんを習得しているなんて、どうしても思えなかった。

――が、だとしたらこの光景はいったい何なんだ。

俺は、もう一度横断歩道の向こう側に目をやって、ようやく離れた金髪の背中に軽く手を振るイルーゾォを睨み付けた。もちろんあっちは俺が見ている事になんて気付いているはずもねえ。なんせあのボケときたら、立ち去る女のボディラインをつるつると視線でなぞるのに夢中なのだから。

例えば俺が女だったとしたら、今すぐあのクソ野郎の元へと駆けていって、そのだらしねえツラを一発二発ぶん殴って土下座の一つでもさせてやるのに。
あるいはあいつが女であったなら、他の男に見とれてんじゃあねえと、やっぱり側まで行って舌打ちの一つでも零してやれるのに。
だが悲しいかな、俺たちは同性で、なおかつ純粋なホモじゃあねえ。
男か女かで言やあそりゃ女の体の方に目が行くに決まってる。しかし。しかしだ。だからこそイラつくのは、決して俺が狭量だからじゃあねえ。

あいつはモテる。惚れた欲目?だとしたらこの事実はなんだ。消えた金髪の替わりに、あいつの前には既に他の女の影がある。

俺だって初めは信じられなかった。
全身から溢れ出す陰気なオーラに、人を見下したような態度。性根が腐っとるとしか思えない陰険さで、どうして女が寄ってこようか。

だがしかし、世の中には見る目のない女ってやつが大勢いるらしい。陰気なオーラはミステリアスに。見下した言動はクールな態度に。陰険さはそのまま魅力の一つとして映るんだという。そんな馬鹿な話ってあるかよ。ツラさえ良けりゃあいいってのか?馬鹿じゃあねえの、現実見ろよ。

世の女全てにイライラと苛立ち、たまたま俺の足元にありやがった不遇な彫刻に八つ当たる。そうこうしているうちに消えた女を、あいつは今度は目で追いもしなかった。現金な男だ。今の女は胸が小さかった。

シャカシャカと軽快な音楽を運んでいたはずのイヤホンは、いつの間にか無音になっていた。終わったディスクをまた再生させる気にはなれなくて、乱暴にコードを巻き取って鞄に突っ込む。
同時に見えた左手首では、約束の時間をとうに過ぎた時計が、まるで俺をバカにするかのように律儀に時を刻んでいた。

そうやって、あいつのすぐ側まで来ているのにいつまでもこうしてグダグダと舌打ちを繰り返す俺も、とうに過ぎた時間を気にもせずにただただボケっと俺を待ち続けているあいつも、どっちもどっち。大バカだ。あいつときたら、未だ街頭に背を預けて、脚をゆるく組んで道行く人間を流し見ている。馬鹿かあいつは。テメェの脚の長さを考えろ。流し目を止めろ。そうやってサマになりすぎているあの馬鹿は、ゴキブリならぬ女ホイホイだ。また一人、知らねえ女がホイホイされやがった。

『ねえ、あなた一人?』
『……いや、人を待ってるんだ』

街頭の下ではおそらくそんな会話が繰り広げられているんだろう。時折首を傾けて薄く笑うイルーゾォは、やはり女を追い払う素振りがない。片手をコートのポケットに突っ込んで、もう片手を軽く振ってジェスチャーを交えながら何かしらを話している。馬鹿じゃあねえの。そんなの軽くあしらっときゃあいいだろうが。なに真面目に受け答えしてんだよ。だから女なんかにナメられんだよ。ほれ見ろ腕引っ張られてんじゃあねえか。怒鳴れよ。振り払っちまえよ。じゃねえと連れてかれんぞ。なに困ったフリしてんだよ。テメェは俺を待ってんだろうが。振り払え。振り払えよ。いつまでもヘラヘラ笑ってんじゃあねえぞ!


ドゴッ!


衝動的に伸びた足が石の彫刻を破壊した。周りの人間はビビッたようなツラで俺を遠巻きに見ていやがる。だから気付いたんだろう。イルーゾォは少し驚いたような顔をして、女に一言二言残してから、あの憎ったらしい程に伸びた脚で、小走りに近寄ってきた。

「……ギアッチョ。何やってんだよ。つーかいつから居たんだよ。ったく、見てたんなら助けてくれてもいいだろ」

そうやって、開口一番文句を垂れ流してくるこいつは本物のクソ野郎だ。テメェで出来るような事をやりもしねえで、ちょっと立場が悪くなりゃあさも俺が悪いかのように責任転嫁してきやがる。挙げ句の果てに「助けてくれ」だぁ……?野郎がデレデレ女と話してるところに突っ込んでけるわけねえだろうが!

最後のほうは声に出てたんだろう。クソ野郎はさも気分を害したような顔で
「デレデレなんてしてねえだろ」
とのたまった。

なんなんだよそのツラは。気分悪ぃのはよっぽど俺の方だろうが。
どこの誰だか知らねー女共には簡単に持ち上げてやるその頬も、俺の前とくりゃあピクリとも動かしゃしねえ。ナメやがって。コケにしやがって。だから嫌なんだこのボケが。

チッと舌を鳴らして、くるりと背を向けて大股で歩く。ガキだなんだとバカにしやがったらその瞬間にブン殴ってやるからな。そう考えて余計にイラついたのは、他でもない俺自身が、この状態をガキじみているとわかっているからだろう。
端から見ればまるきり拗ねた状態の俺に、イルーゾォは文句を止めて大人しく付いてくる。時折弁解するように何かを言っては、反応の無い俺に諦めたようにため息を吐くのだ。最悪だ。こんなクソみてえな気分になるために、俺はわざわざこいつと約束なんぞを取り付けた訳じゃあねえ。

「……なあ」

何度目かのシカトを乗り越えて、性懲りもなく口を開いたイルーゾォは、わずかに腰を折って横から俺の顔を覗き込んできた。もちろん返事なんてしてやらねえ。当たり前だ。俺は俺自身の性格をよく知っている。無駄に口を利いて喧嘩の種を増やす事だけはしたくねえんだ。誰に今更だと言われようとも、俺はまだ今日という日に期待を持っていた。
……だが、そんな事など知る由もねえこいつは、一瞬逡巡してから「俺たちは喧嘩するためにわざわざこんな場所まで来たのか?」なんて嫌味をぶつけてきた。思わず足を止める。自分でもわかる程の険悪な表情。誰のせいだと吐き捨てる声はひどく剣呑なものになった。

「誰のせいって…」
「あ?テメェまさか、俺が何の理由もなく一人で勝手にキレてるとでも思ってやがんのか?」
「……そうは思ってないよ。誤解させたんだろ?だからこうして謝って…」
「誤解?誤解だあ?何が誤解だよ。黙って見てりゃあアホ面さらしてヘラヘラ笑いやがって。……さぞ面白かったろうなァ、次から次へと女の方から来てくれるんだからよぉ」

言い切ってから、しまったと思った。これじゃあまるきりガキの嫉妬だ、みっともねえ。
しかしこのボケは、何を思ったか「……もしかしてギアッチョ、お前もナンパされたかったわけ?」だなんて聞いてきやがった。

……ああ、もう限界だ。

次の瞬間、俺の手の中にはイルーゾォの襟首があった。

「テメェ……人を馬鹿にすんのも大概にしろよ……!?」

ダンッと壁に押し付けて、下からギラギラと睨み付ける。イルーゾォはわずかに顔を歪めて「イテェ」と批難の声を上げた。

「イテェじゃねえだろうがよォ……!ナメてんのか!?あ!?誰がナンパされてーだ!?んなもんされて喜ぶ馬鹿なんざテメェぐらいのもんだろうがッ!」
「だ、だから喜んでなんて……なあ、ちょっと落ち着けよ。周り。人居るじゃあないか」
「ああッ!?人が居るからなんだっつーんだよクソッ!」
「あんまり目立ちたくないんだよ、ほら、さっきの女の子もまだこの辺に居るかもしれないし……」
「だったらなんだ!?こんな情けねー姿見せたくねーっつーのかよ!?」
「そりゃそうだよ……」
「ッテメェ!!!」
「だってさあ、さっき言っちゃったんだよ、『可愛い恋人が待ってるからゴメン』って……」
「あ”!?

…………は?」

……なんだ?そりゃ。

怒りで沸騰しきった脳みそに、まるで冷水のように浴びせかけられた、予想もしなかった言葉。思わずするりと手を離して、ゲホゲホと咳き込むイルーゾォを前に、呆然と瞬きをくり返す。
ようやく呼吸が落ち着いたんだろうイルーゾォは、続いて「こんな所見られたら勘違いされるじゃん、俺がフられたって」と困ったような顔で呟いた。

「そしたらきっとまた来るぜ。フられたんならいいだろうってさ。すっごいしつこいんだよあの子。何度も断ったのに腕まで引っ張って。……だからさ、嫌なんだよ。せっかく今日はお前が誘ってくれたからって、すっごい楽しみにしてたのにさあ。こんなしょうもない事でダメになるの。……な?わかったら落ち着けよ」

そう言って、俺に手を伸ばしてくるこいつの態度はいつもの通り尊大だ。けれどその手に頭をぽんぽんと撫でられても、嫌な気がしないのは何故だろうか。

「……ハハッ、やっぱお前可愛いな。急に大人しくなった」

眉尻を下げて、茶化すように笑うこいつにイラつかないのは何故だろうか。

「……なあ、悪かったよ。確かにちょっと浮かれてたよ。時間過ぎてもお前全然来ないし、声かけてくれる子みんな可愛かったしさ。でもさ、俺にとってはお前が一番可愛いんだよ。それでいいだろ?」

……そんなの、言われたら怒れるはずねえだろうが。

「……やめろよな」
「ん?」
「可愛いって言うの」

ニヤニヤと、わざと口角を上げて笑うこいつの首を、胸倉を掴んだその手で強く引き寄せる。高慢なこいつの態度が崩れるその一瞬。軽く口付けて、驚いたように見開かれたこいつの目を見て鼻を鳴らした。

「次からは”格好良い恋人”って紹介しやがれ、クソ野郎」

言い終わらないうちに、薄い胸板をトントンと叩いてやって歩き出す。
それでようやく我に返ったイルーゾォは、二、三歩足をもつれさせて、慌てたように俺の背を追った。ほれ見ろ、可愛いのはお前の方じゃあねえかよ。

「次から声かけられたらチンタラ話してねえでさっさと断れよな」
「あー……、うん。そうする」
「……オイ。何だよそのやる気の無ぇ返事は」
「いやー……アハハ、大丈夫。断る断る」
「嘘くせえな……。仕方ねえ、次からは俺が代わりに断ってやるよ」
「えっ……。い、いいよ、お前すぐ暴力振るっちまうんだから」
「だったらテメェで断れ」
「えー……」

なにやらウダウダと言い訳を呟くイルーゾォを小突きながら、当初の予定通り、予約していた店へと向かう。さっきまでの苛立ちの代償は、今日中に回収しなくちゃ割に合わねえ。

「……さっきのギアッチョさあ」
「あ?」

ようやく歩調を取り戻して横に並んだイルーゾォは、「お前はいつもは可愛いけど」といらない前置きをしてから口を開いた。

「さっきの。キスしてきた時の。あれはまあ……うん。格好よかったよ」
「……そうかよ」

いまいち素直じゃあねえが、まあ許してやる。見かけに寄らず女好きなこいつを、持て余す程度には俺はこいつが好きなんだろうからな。





End.
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