作品

□サン・バレンティーノ
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花束を抱える姿がこうもサマになる男もそうそういないだろう。すうっと伸びた背筋と、まるでファッションモデルのような自信に満ちた歩き方。カツカツと革靴のかかとを鳴らして街を行く細身の男は、ただそれだけで人目を引いた。
彼がスーツのポケットから携帯を取り出して画面を覗けば、誰とはなしにその中身を気にしたし、そのままふい、と道路に目を向ければ、自然と周りの目もそちらに向いた。短いクラクションが鳴ったのもその時だった。

通りすがる人間たちの好奇心に満ちた視線に見送られて、歩道に横付けされた車の助手席に回ったプロシュートは、開口一番こう言った。

「お前、車持ってたっけか?」

手慣れた様子で再び車を発進させたリゾットは、いいやと言って軽く首を振った。

「さっき買ってきたんだ。今日は少し遠くに用がある」
「用事が終わったら?」
「そのまま売りに行くさ。邪魔だからな」

思わず吹き出したプロシュートは、「相変わらずお前の金の使い方はわからねえ」と肩を揺らした。

「んな無駄遣いすんなよ、レンタルで充分だろ」
「レンタルに保証無しで借りられる高級車があればそうしたんだがな」

スルスルと滑るように走る黒塗りの車は、珍しくネクタイを締めた格好のリゾットによく映えた。
それを横目で満足そうに確認したプロシュートは、手触りのいい座席に背中を深く預けてシートベルトを締める。ここからアジトまではまだ遠い。浮いた足代を頭のスミで計算して、機嫌よくポケットの辺りをポンと叩いた。

「それにしても助かったぜ、リゾット。まさか本当に迎えに来てくれるとは思わなかった」
「白々しいな。出かける前にわざわざ場所と時間を言い残していったのはどこのどいつだ?俺にはその時間に迎えに来い、と聞こえたんだが」
「だから”本当に”迎えに来るとは思わなかったっつったろ?お前も忙しい奴だからな、そう言ったのだって半分は冗談だったぜ?」

もちろんもう半分は本気だったけどな。口角を上げてニヤリと笑ったプロシュートは、手の甲でトンとリゾットの胸を叩いた。

「だが、予想はちょっと外れたな。来るにしても、車はギアッチョに借りてくるもんだと思ったんだが」
「用があると言ったろう。ただの送り迎えならまだしも、あれは人前に出るには派手すぎる」
「確かに今のお前の格好にはスポーツカーは似合わねえかもな。ありゃあ正装で乗るような車じゃあねえ」

まあ、正装でなくとも似合わないわけだが。すんでのところで本音を飲み込んで、手元の包みを指でなぞる。茎の周辺で指先に当たる硬い感触は、植物をまとめるようにはめられた、小さなアクセサリーだった。果たしてこの男は、花束に紛れ込ませた真のプレゼントに気付くだろうか。そんな思考を知ってか知らずか、横目で彼の指先を見たリゾットは、で?と首を傾けてみせた。

「今日はいったいどこに行ってきたんだ?」
「見てわからねえか?」

がさりと片手で抱えた花束を鳴らせば、リゾットは面白そうに鼻を鳴らして「女のところか?」とからかった。もちろん違うということはリゾット自身知っている。なんせその花束に刺さっているカードにはまだ何も書かれていない。貰ったものであるなら愛の言葉の一つでも書かれているだろうし、誰かへのプレゼントだとしたら今それは、彼の手の中にはないはずだ。
つまりリゾットは言わせたいのだ。彼自身の口から、それが誰宛のものなのかということを。

「お前はよぉ、リゾット」
「なんだ?」
「たまに子供っぽいところがあるよな」
「さあ、何のことやら」

わざとなのか何なのか、とぼけ方まで子供のようだ。大変珍しいことなのだが、彼はこの、意味のないやりとりを楽しんでいる。普段は言わないような冗談を口にするほどには。
プロシュートは、そんなリゾットの頭をそれこそ子供にするようにかき回した。

「『もちろんお前のもんだ、受け取ってくれるか?』……これで満足か?」
「ああ。とりあえずはな」

ぐしゃぐしゃと乱れた髪を気にもせず、言葉どおりに口の端を上げて笑うリゾットは、せっかくの花束を後ろの座席に放ろうとしているプロシュートに「カードには何も書いてくれないのか?」と緩く首を傾けてきた。冗談じゃあねえ。普段ならそう笑い飛ばすところなのだが、こんなにもあからさまに甘えてくるリゾットは珍しかった。甘えられる事が嫌いではないプロシュートは、呆れた風を装いながらも、放った花の間からカードを抜き取り、ごそごそと胸ポケットをまさぐったのだった。

「『愛してる』『頼りにしてるぜ』……俺ぁいま気分がいいからな、なんでも書いてやるよ。なんて書いて欲しい?」
「お前の言葉であればなんでも」
「なんだよそれ。今日はずいぶんと口が回るなぁお前」
「お前こそ今日はずいぶんとご機嫌じゃあないか。なにかあったか?朝はいつも通りだったろう」
「そりゃあ……」

言葉とともに、すう、と伸びた指がリゾットの乱れたプラチナブロンドを直す。生え際から後ろに撫でつけられた彼の髪型は、プロシュートの最も好むところだった。髪に残った整髪料によって素直に後ろへと流れる前髪をパラパラと軽く崩せば、額にかかる後れ毛がますますリゾットの顔立ちを引き立てた。

「こんな男前が隣にいちゃあな」

リゾットはあまり外見に気を使わない。仕事が続けば髪は伸びっぱなしである事が多いし、普段着はブランドとは無縁だった。だが。

清潔そうなシャツの襟をなぞり、ネクタイを整えてやりながらプロシュートは思う。
だからこそ、こうしてきちんとした格好をした時の彼は普段の数倍も魅力を増すのだ。

「気分も良くなるってもんだぜ。お前みたいなのを連れて歩けるんだからな。……お前にはこんな感情は理解できねえか?」
「いいや。たやすく理解できるさ。なんせそれは俺がいつも感じている優越感と全く同じものだ」

キュ、と軽い音をたてた車は、交差点の手前で止まった。信号は赤だ。伸ばした右手で助手席の男の肩を抱き寄せ、キスを落とすには充分な時間。物珍しそうに瞬いてから、プロシュートは目を細めて舌で唇をなぞった。すでに書き終えていたカードにもう一言だけ書き添えて、アクセルをゆっくりと踏み込むリゾットのポケットに差し込んだ。

「グラッツェ。何を書いてくれたんだ?」
「言うと思うか?知りたいんなら自分で読めよ。さっさと用事ってのを終わらせてからな」
「だとしたら明日の朝になるな、俺がこれを読めるのは」
「は?」

目を丸くして、体を起こす。

「そんなにかかるのか?お前の用事ってやつは」

だがリゾットは、口元に意味深な笑みを浮かべただけで、彼の質問には答えなかった。かわりにトントンとダッシュボードを指先で叩く。
まさか。
その笑みに、ほとんど予感めいた考えがよぎった。組んだ脚を下ろしてそれを開ける。まさかだろ……。呟きながら取り出した長方形の薄い包み。くるりと裏を返して、もう一度表に向ける。「お前は花よりそっちの方がいいだろう?」からかうような言葉に、反論するほどプロシュートは無粋ではなかった。喉の奥で響いた笑い声は、堪えきれずに小さく漏れた。

「お前、マジに今日はどうしちまったんだ?サプライズだなんてするような人間じゃあなかったろ。熱でもあんのかよ」
「かもしれないな。実をいうと少し浮かれている。街の雰囲気がそうだからか?今朝唐突に思いついたんだ。お前が花屋に用事があるといったときから」
「そこから車を用意して、ディナーチケットまで手配して、か。このホテル、当日の予約なんか到底無理だと思ったんだが?」
「今日ほど金を貯めこむ性質でよかったと思ったことはないな。少しだが、金にモノをいわせる人間の気持ちがわかった」

右折する車は、アジトを通り過ぎて大通りに向かった。ディナーにはまだだいぶ早いというのに、車はまっすぐにチケットの裏にある住所に向かって進んでいく。このぶんだと部屋の予約すらも済ませているらしい。まさか先客を追い出したという事はないだろうが、それに近い事はやっているのかもしれなかった。なんせこの男の考えることはいつも突拍子がない。金にモノをいわせたというのもあながち間違いではないのだと思った。

「お前なあ、本格的に無駄遣いしすぎ」

わざと呆れたように言葉を投げて、それでも抑えきれない喜びは、細められた目に表れた。

「無駄とは思わないさ。俺はお前が喜べばそれでいい。どうだ?今日のところは」

少しは見直してくれたか?
愉快そうに口を開いたリゾットに、プロシュートは大げさに首を振ってみせた。

「馬鹿いえ、この程度で何言ってんだ。見直しちゃあいねえよ、全然だ。ただ、そうだなあ。……惚れ直しはしたかもな」





End.
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