作品

□短文3
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椅子をまたぐようにして座り、背もたれに両腕をかけてだらしなく背中を丸めるメローネの姿はそう珍しいものではなかった。普段から猫背気味であるから、むしろ背筋を伸ばしている方が珍しいくらいだ。
そうした体勢のまま彼が見つめているのは、一人の男の背中だった。男――プロシュートは、ザアザアと飽きることなく窓枠を叩く雨の音をBGMに、ナイフを用いて手の中だけで器用に食材を刻んでいた。水の張った鍋の中にそれらを落とせば、ものの数十分で夕飯が完成するのだという。

「なに作ってるの?」
「ミネストローネ」
「玉ねぎ入れる?」
「入れなかったら何入れんだよ」
「キャベツは?」
「入れる」
「ベーコン」
「入れる」
「トマト」
「主役だろ」
「パセリ」
「そりゃあ入れるってより添えるだな」
「えーと……、じゃあ……」

数えるように曲げ伸ばしを繰り返していた指をピコピコと動かして、メローネは頭をひねった。プロシュートはその様子を呆れたように横目で見てから、今度はニンジンに手を伸ばす。

「わかんねえなら手伝えよ。そしたら嫌でも思い出すぜ」
「それは嫌。俺はプロシュートの作ったご飯が食べたいんだ」
「食べたい?お前が?嘘つけよ、ここ来た当初から食べるもんに興味なかっただろ、お前」
「あんたのは別」

ふるふると頭を振ってから、椅子の背にかけた腕に片頬を乗せるメローネ。さらりと流れる金髪が顔の前でちらついたのか、億劫そうに持ち上げた片手でそれを耳にかけ、その流れのままプロシュートのシャツをくいっと小さく引く。まるで母親の気を引く子どものようなその仕草は、実のところ狙ってやっているのだ。
メローネはよく人を見る。観察し、行動を分析すると、たいていの人間の思考や対応が手に取るようにわかるのだという。

プロシュートは、年下に甘い。人当たりがキツく、冷酷に思われがちだが、実のところ、それこそ無垢な子どものように下心なく甘えられると弱いのだ。どうしようもなく構ってやりたくなるらしい。それが彼の兄貴肌を作り上げているのだと、出会って少しもしないうちにメローネは察していた。

もう一度、くっと手に力を入れる。一度目は無視して鍋の上でニンジンを刻んでいたプロシュートは、諦めたように顔だけで振り返ると、「刃物使ってんのに危ねえだろ」とたしなめるように言った。いつもなら、料理中にちょっかいを出せば殴られるか、それこそ最も危ない方法で顔の横にナイフを突き立てられてしまう。そしてメローネも、いつもならそうされて楽しそうにヘラヘラと笑っているのだ。しかし、今日は違った。今日は、普通に構って欲しかった。

「トマト。美味しい?」

横のザルに詰まれた長細いトマトの山を目線で指してそう聞けば、プロシュートは軽く肩を持ち上げてみせた。

「さあな。酸っぱいんじゃあねえか?生食用じゃあねえし」
「ふーん。すっぱいのにそんな量入れちゃっていいの?マズくなんない?」
「火さえ通れば問題ねえ。お前だっていつも食ってんだろ、普通に」
「いつもそのトマト使ってんの?」
「そう」
「ふーん……」

シャツを掴んでいた左手がダラリと垂れた。ますますだらしない格好になったメローネは、じっとプロシュートの背中を見つめる体勢に戻っていた。慣れたように動く手と、まっすぐに伸びた背中。プツプツと沸騰した湯が音を立てる鍋の隣では、下味のつけられた白身魚がトレーに並べられ、今か今かと焼かれる順番を待っている。トースターにはすでに市販のパンが入れられており、ツマミをひねればすぐにでもこんがりとした焼き色がつくのだろう。それらを順番に目で追って、メローネはもう一度プロシュートの背中を見た。

すると、ふいにその背が動く。左手がすらりと伸ばされ、赤色の山から一粒つまんだ。その動きをぼうっと目で追っていたメローネは、次の瞬間、それが口に押し込まれるだなんて夢にも思っていなかっただろう。

「ッ!……う、わっ!すっぱ!」
「なんだ、やっぱ酸っぱいのかよ」

たまらず口の中の刺激物をごくんと一息で飲み込んで、メローネは口の端を上げて悪戯っぽく笑うプロシュートを睨んだ。

「なにすんのさ!すっぱいじゃん!」
「そりゃあな。言ったろ?生食用じゃあねえって」
「だったらますます酷いじゃあないか!俺がすっぱいの苦手だって忘れたわけ!?」
「忘れてねえよ。だからお前がいる時は酸っぱいもんは作ってねえだろ、いつも」

言われて、メローネはぱち、と瞬いた。視線を左右に巡らせて、そういえば、とその事実に思い当たる。食べる事に興味がなく、偏食家だったメローネも、プロシュートが作るものはどんな食材でもいつも美味しいと感じていた。同じくメンバーの誰もが彼の料理を気に入っていた。その理由を今までは料理の腕のおかげかと思っていたが、もしかしたら、さり気なくメンバーの好みに合わせてくれていたからなのかもしれない。
ぱち、ぱち、と何度か瞬くメローネの前で、今度は背中が右側に動いた。冷蔵庫の野菜室を開けて、ザルの上のものとは別の種類のトマトを取り出す。布巾で軽く拭ったナイフでクシ形に切り、一口大のそれをメローネの前に差し出した。

「こっちがサラダ用。食ってみろよ、甘いから」

言葉が終わると同時に再び押し込まれ、メローネは先ほどの酸味を思い出して思わず眉をしかめた。

しかし、舌に触れる切り口から甘さを感じると、戸惑ったように歯でクシャリと果肉を押し潰した。先ほどのトマトとは違ってみずみずしい果肉は、潰れ、口内に広がるほどに甘さを増すようだった。しゃくしゃくと口を動かすと、プロシュートは満足そうな顔をして、ちょうど一口分が欠けたトマトを鍋の中に入れてしまった。

「……サラダ用」
「いいんだよ。どうせ残りはこの一個だけだったんだ。サラダにするにしても、俺らの人数で切り分けようと思ったら到底足りねえだろ」
「じゃあわざわざ切らなくてもよかったじゃん」
「お前の口直しがいらねえってんなら切らなかったんだがな」

ハン、と笑って、一度鍋の中をかき回してからザルの中のトマトを入れる。あとは煮るだけだからな、と誰にともなく言いおいて、布巾で手の汚れを拭き取ると、椅子を引いてメローネの隣に横向きに腰掛けた。

「ペッシはよぉ」

そして、組んだ足を軽く上下させながら、まるで世間話でもするような口調で言葉を紡ぐ。

「甘ったれだな、まだまだガキだ。イルーゾォはホルマジオのやつにべったりだし、ギアッチョはなんだかんだでやっぱりガキだ」
「……なにが言いたいの?」
「お前が甘えてくんのは珍しいなって話だよ」

しまった、とでも言うようにぐっと眉を寄せて、メローネはいっそう椅子の背に頬を擦りつけた。

「気付かねえとでも思ってたのかよ、あんな縋るような目で眺められちゃあ、おちおち料理もしてられねえ。今日はいったいどうしたんだ?」
「……ごめん」

プロシュートは、ますます珍しい、と感心したように呟いた。

「お前が自分から謝る日が来るなんて思ってもみなかった」
「ダメだった?俺は悪い子かな」
「俺の基準で言やあいい子だ。ディ・モールトな」

メローネは、二、三度頷くように頭を動かして、目を伏せた。こうして深い感情の中に沈むとき、彼はいつも一人だった。

プロシュートは背もたれに肘をつき、手の甲で頬を支えながら彼が浮上するのを辛抱強く待った。たまに手を伸ばして火力を調節し、それが終われば再び彼のさらりとした金髪を眺めた。

やがて視線を上げたメローネは、きょうは、と言った。

「……最悪な日なんだ。人生の中で最も悪い日。こんな日さえなければ、って何度思ったかわからない」

小さく、ともすれば掻き消えてしまいそうな声で、そう呟いた。
プロシュートは少し考えるように息を吐いて、やがてゆっくりと首を傾けた。そして、背もたれ上の腕に頬を預けるメローネと視線を合わせるようなその体勢のまま、笑って言った。

「……Buon Compleanno.」

その瞬間、信じられない、といった様子でガバリと顔を起こしたメローネは、やがて泣きそうに笑って言った。「あんたの勘がすこぶる良いってこと、忘れてた」

「……初めて、だよ。そんな事言われたの」
「そりゃあそうだ。チームの誰もお前の誕生日を知らなかった。もちろん俺も」
「チームだけじゃあない。この世の誰も知らないさ。俺を捨てた母親だって、もうとっくに俺の存在すら忘れてる」
「お前以外に誰も知らない?」
「俺だって本当は忘れたい。この日さえなければ、俺が産まれることもなかったもの」

ゆるゆると首を振って、メローネは細く、長く息を吐いた。

「この日が近付くと、決まって気分が悪くなるよ。なんてったって母親が俺を捨てたのは、今日と同じ日だったんだ。今日の、この時間」
「雨が降ってた?」
「雪さ」

ザアザアと、外を流れる雨がいっそう激しくなった気がした。

「それまでもたいがい酷かったけど、その日が一番堪えたかな。だってそれまで愚かな俺は思ってたもの。俺を殴って、罵って、汚いって叫ぶあの人は、なんていい母親なんだろうって。だって毎日ご飯をくれるんだ。たいてい腐りかけててすっぱい臭いがしてたけど」

育ててくれるだけでよかったなんて、たいがい俺も無欲だよな。メローネは笑ってみせたが、プロシュートは笑わなかった。ただ、その手がゆっくりと伸びて、アシンメトリーの金髪を梳くように撫でただけだった。

そうされるとメローネはたまらないようだった。彼の目は徐々に赤みを増していき、唇がわずかに震えだした。次に漏れた吐息は熱を含んでおり、撫でる手を止めて後頭部を引き寄せれば、とうとうその目からは透明な液体がこぼれた。

「おれ、にも、」

そして、ともすれば嗚咽すらこぼしてしまいそうな口を必死に押さえつけて、プロシュートの背に回した手に力を込めた。

「あん、た、みたいな母親が、いたら、よかった……ッ!」

控え目にしゃくりあげる声は、プロシュートが初めて聞いた彼の心の叫びだった。その涙を吸い取るように体に押し付ければ、白いシャツに滴る涙が肩口を熱く濡らした。

メローネが母親というものを羨んだのは、後にも先にもこの一度きりだった。





End.

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