作品

□不本意でも踊れ
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……またか。

閉め切られた扉を睨む。階段を降りる。冷蔵庫を開ける。俺の勘はまた当たったようだった。

手のつけられた形跡のない夜食は昨晩間違いなく自分が用意したものだ。誰のために?決まっている。自己管理もろくにできねェマンモーニは今も仕事を抱えて部屋に閉じこもっている。

かけたラップをそのままに、夜食をレンジに突っ込んでスイッチを入れる。『五分』。それが勝負だ。温かいメシを食わせようと思うなら、少なくともその時間内に連れて来なけりゃあならねえ。

「入るぜ」

トントンと形だけのノックの後、無遠慮にドアを押し開けると、案の定光らせたパソコンの前でカタカタとキーを打ち鳴らすリゾットの姿があった。背中からは妙な威圧感が溢れている。

「また夜通し仕事か?ご苦労なこったなあ、リゾット」
「すまないが」

タン、とキーを一つ押し込んで、振り向きもしないリゾットはどうやらこれから俺が何を言いたいかを察しているようだった。
その上で、俺の言うことなど絶対に聞き入れるかといった強固な意思を滲ませる。

「休憩を挟めと言いたいならもうしばらくは無理だ」
「しばらくって?」
「……今日の夜中にはほぼ仕上がる。それまでだ」

すうっと伸びた血色の悪い手が紙の束を掴み取り、数枚捲って素早くペンを走らせる。期限はまだ先だろうに、この男はどういう訳か手にした仕事は片端から全て片付けなければ気が済まないらしい。

「だいたい、休憩なら適宜挟んでいる。お前が心配するまでもなく」
「へえ?じゃあ聞こうか。一番新しく休憩を取ったのはいつの話だ?少なくとも、昨晩の夕飯を食ってないのは明白だが」
「……プロシュート」

ハァ、と大きなため息が聞こえ、伸びた手が今度は扉を指した。

「すまないが出て行ってくれ。集中したいんだ。俺の体調のことなら俺が管理する。俺自身が不自由してないならそれでいいだろう?」
「ふうん。つまりテメェは、俺が邪魔だってそう言いてぇわけか」
「……邪魔とまでは言ってない」
「でも、そういうことだよなあ?」

俺は、わざと大きくため息をついて、やれやれと首を振った。

「……悲しいもんだぜ」

続いて、ゆっくりと俯く。

「俺の料理をテメェはいらねーと切り捨てるわけか」
「……おい、プロシュート?」

俺の言葉に不穏なものを感じたらしい。リゾットは虚を突かれでもしたかのように振り返る。見えたのは俺の背中だけだろう。当然だ。部屋を出ようとすれば必然的にそういった立ち位置になる。

「悲しいもんだな。どれだけテメェのためだけを想って作ろうと、どれだけ愛情を込めようと、本人にはカケラも伝わらねーわけか。それどころか俺の行動は全て余計だったようだな」
「ちょっと待て、別にそういう訳じゃあ……」
「いい。変な気は回すなよ。余計に惨めになってくるじゃあねえか。……邪魔して悪かったな。作業を続けてくれ」

背後でガタ、と椅子が鳴った。おそらくリゾットが立ち上がったんだろう。だが、ここですぐさま振り向くのは危険だ。機嫌を直したと勘違いしてまた作業に戻られちゃあ意味がねェ。無視して部屋を出る。焦って追いかけてくりゃあベネ。この『部屋』からさえ引っ張り出せりゃあ、勝機は充分俺にある。

「プロシュート?待て、プロシュート!」
「……なんだよ」

ハン、と鼻を鳴らすのはあくまで弱々しく。自嘲に聞こえるようにだ。

「いいからテメェは一人で書類と仲良くしてろよ。メシの事は気にしなくていい。こっちで適当に処理しておく。どうやら」

ここで初めて体を反転させる。ちょうど背後にいたリゾットを、普段はあまり面白いと思えない身長差を利用してじっと見上げれば、特徴的な瞳がどこか気まずげに揺れた。心の中でフッと笑い、駄目押しの一言を。

「……俺が想っているほどには、テメェは俺の事を好きじゃあないらしいからな」

リゾットは、苦虫を噛み潰したような顔をして、続いて腰に手を当てたままフゥ、とため息を吐いて、二、三度頷いた後、俺の肩を叩いて通り過ぎた。もちろん階段に向かってだ。

「……誤解させたのなら謝る。俺は、お前自身も、お前の作るメシも嫌いだと思ったことは一度もない」

久しぶりに立ったからかどこかフラフラとしているリゾットは、まんまと十数時間ぶりに食器を手にしたのだった。





「……美味かった。いつも通り」

少し面白くない思いをしているのか、何を話すこともなく淡々と食べ進めていったリゾットは綺麗になった皿を積み重ねてシンクに置いた。その手がスポンジに伸びる頃合いを見計らって、俺も同じく手を伸ばす。当然のごとくぶつかった手を不躾に見たリゾットは、今度は案外近い場所に立つ俺に困惑したような視線を向けた。

「……なんだ?」
「いや?別に。どうせだから皿くらい俺が洗ってやろうと思ってよ」
「そうか。それはすまないな。じゃあここは任せたから……」
「待てよ」

すうと引きかけたリゾットの手を握る。もう片手は反対側の肩へ。ぐっと固定した。
背中に張り付くような格好になった俺は、目の前のうなじに鼻を近付けてすんすんと鳴らす。

「なんだァ?まさかテメェ、シャワーもろくに浴びてねぇのか?」
「……プロシュート」

咎める口調で手を振り払ったリゾットは、俺の肩を軽く押しのけて渋い顔を作った。

「お前の言う通りだ。俺は昨晩も今朝もシャワーを浴びていない。座りっ放しだから汚れてはいないはずだが決して綺麗だとも言いがたいんだ。悪い事は言わないからあまり近寄るのは……」
「確かに。石鹸の香りを『綺麗』と言うんなら、どうしたって男くせぇだけの今のテメェは『綺麗』とは言いがたいよなあ?」
「だから……」
「だが」

クッと喉の奥で笑って、振り払われた手を再びこいつの腕に這わせる。

「『俺』にとっちゃあ、ただ『綺麗』なだけのもんなんざつまらねぇ。石鹸の香り自体はまぁ好きなほうだが……その中にほんの少しでもお前の『ニオイ』が混ざってりゃあ別格なんだよなァ……?」

ピク、と肩の辺りの筋肉が動き、続いてぎこちなく腕が動いた。先ほどよりもずっとやんわりとした動きで俺を押しやったリゾットは、時計を気にするそぶりを見せた後、バツが悪そうに「……タオルの洗い替えはあったか?」と聞いてきた。よしよし。




風呂が終わりゃあ次は『散歩』だ。凝り固まった筋肉をほぐす事は大切だからな。ドライヤーの音が止まる頃合いを見計らって廊下をゆるゆると歩く。風呂場の扉を開けたところでバッチリと目が合うと、リゾットは足早に俺の横を通り過ぎようとする。きっちり纏った服を掴んで引き留めれば、半ばうんざりとした顔がこちらを向いた。

「……今度はなんだ?」
「まあ、そう邪険にするなよ。……うん、やっぱり『良い匂い』だ」

すんすんと鼻を鳴らしてニイッと笑う。そうかそれはよかったと生返事をするリゾットを一度解放し、打って変わって困った表情を作ってやった。

「お前はこの後はまた仕事か?」
「……ああ」
「そりゃあ困ったなァ……。この後俺は買い物に行かなくちゃあならねーんだが、いかんせん量が多くてよ。一人で持ちきれるかなァー……?車はギアッチョの野郎が使ってやがるし、こんな事でタクシーを呼ぶのも……」

ああ、いや、悪い。何でもねーわ。
わざと途中で言葉を止める。ふい、と視線を逸らして、わざとらしくならない程度に天井を仰ぐ。リゾットは、部屋に戻るべきかどうするべきか散々悩んだ後、しかめた顔を隠そうともせずに腕を組んで俺を窺った。「……その買い物は……往復一時間以内で済むんだろうなあ……?」




仕立てたスーツを取りに行くのを忘れた。部屋の模様替えを手伝え。夕飯にはお前の作る料理が食いてえ。

数々の、リゾットにしたら『ただの我が儘』を、俺は全て通してやった。いつもはしねぇ位に側に寄り添い、奴の中にある僅かばかりの情に訴えかければ、たいていの事は押し通るわけだ。だが、もちろんそんな事は毎回続けてはやれねぇ。俺は俺の生活があるし、なによりこいつは馬鹿じゃあねえ。対策の一つも立てられちゃあ面倒だ。だからほんの稀に、あのワーカホリックに仕事以外の一日を与えてやるわけだ。

「美味かったぜ、お前の料理。やっぱシチリアの男は魚の扱いが上手え」
「……美味いといっても味付けはお前だろう。そんな事を言いにわざわざ部屋まで来たのか?なら用事は終わったな、できれば自分の部屋にでも戻ってくれないか今すぐに」
「つれねぇなあ、もうちょっとくらいいいじゃあねえか」

扉を開けると、やはり奴の姿はデスクの前にあった。奪われた時間を取り戻すかのように素早く指を動かしている。
バスローブの紐を結び直し、しっとりと湿った髪をくるくると指に巻き付けながら背後まで近寄る。やはり奴は振り向きもしなかった。苛立ちの声を抑えることもなく「今度は何を言いに来たのかは知らないが」と前置いて、ディスプレイ越しに俺に言う。

「もうお前の言う事は聞かないからな」
「何のことだ?」
「とぼけるな。今日、お前が俺を一日計画的に動かしていたことは知っている。初めからな」
「へぇ?」
「だが、それでも、お前が悲しんだり困ったりしていれば手を差し伸べてしまうのがこの俺だ。お前は俺を手のひらの上で踊らせていたつもりだろうが、それは俺の良心によるところが大きい」
「つまり、これから先はその『良心』を働かせる気は微塵もねぇって言いたいわけか」
「さすが。察しがいいな。これからはお前が何を言おうと無視させてもらう」
「俺がどれだけ悲しんでも?困っても?最悪泣いたとしてもか?」
「そうだ」
「へぇ……」

クッと笑った俺は、言葉と共に両手を奴の肩に置く。そのままゆっくりと胸のほうへ滑らせた。

「……じゃあ、こういうのは……?」

急に艶を増した俺の声。驚いたように体を強ばらせたリゾットの耳にフゥッと息を吹き込んで、回した腕に力を入れてみる。奴はぴくりと指を動かして作業を止めた。ディスプレイには困惑したような顔が反射する。
指の先で顎をなぞり、クイ、とこちらを向かせて無防備な唇を奪う。反射的にこちらに向いた体をますます引き寄せ、下唇を舌でなぞり、食む。腕が椅子の背もたれを越えて俺の腰に回されたのを確認した俺は、キスに奴が応えるより早く顔を離して口の端を持ち上げた。

「これでも、俺の事を無視するってのか?」

ふいを突かれて見開いた目は、現状を理解すると同時に複雑そうな色を浮かべたまま細くなっていく。

「お前という男は……本当に……」

ひくひくとこめかみを引きつらせ、行き場のない感情をやり込めるように額に手を当てて、さも口惜しいとでも言うように重々しく口を開いた。

「…………今度はいったい……何が望みだ……?」

にんまりと、俺は今度こそ目を細めて笑った。

今すぐ隣町のショップで酒を大量に買い占めてこい。新作のスーツ十点買ってプレゼントしろ。次の任務を全身タイツでこなしてきやがれ。普段はそうそうしてやらねえ色仕掛けまでしてやった今なら、こういった下らねー要求も簡単に通るだろう。だが、その程度の事をさせる為に俺はこいつに近付いたんじゃあねえ。

――やっぱよ、『充分な睡眠』には『多少の運動』が不可欠だろ。

「今からお前が寝るまでの間」
「……なんだ」
「もうちょっとだけ、こうしてくっついてようぜ。……ベッドでさ」
「…………は?」

しばらくの間、頭の上に疑問符を浮かべていたリゾットは、俺の顔を真っ直ぐに見つめながらやがて後ろ手に右手を動かして、手探りの状態でパソコンの電源を落とした。
回されたままの左腕にはグッと力が入り、俺の腰は、やおら立ち上がったリゾットにぴたりと密着した。

「……まさかとは思うが、それが一日言う事を聞いてやった褒美だとでも言うつもりか……?」
「なんだよ。不服だってのか?」
「…………不服というなら不服だな」

リゾットは俺をベッドに座らせると、そのままの勢いで押し倒し、先ほどよりもずっと深く唇を合わせた後にこう言った。

「最後にこうした褒美が貰えるなら、たまにはお前の手のひらで踊るのも悪くないと思ってしまった自分がどうしようもなく……」

不服だ。と息を吐き出すようにして囁いたリゾットは、次にはもうバスローブの感触を楽しんでいるようだった。





End.
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