作品

□ロマンス
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「……偶然だな」

はたとその姿に気付き、あっけにとられ、それでもまるで当たり前のようにそこにいたので、皮のコートに両手を突っ込んで立つプロシュートに向けて言えたのはそれだけだった。

「おう、偶然だな」

対する相手も同じような返事をした。だが、こちらは無様に口を開け放つことも、やたらとまばたきを繰り返すこともなく、まるきり普通の挨拶として言っているようだった。

「これから仕事か?」

そんな彼のペースに巻き込まれたように、リゾットは己の頭に浮かんだ通りの言葉をそのまま口に出す。

「そう。お前は仕事を終えて今から帰るところだろ?見たところ首尾は上々。お疲れさん」

対して、相手はやはり笑いながらそう返してきたのだった。


ナポリ・カポディキーノ空港からバスに揺られること十五分。人々がせわしなく出入りを繰り返す中央駅の改札口で、彼らはそれぞれ相手の顔を眺めていた。

「お前ほどの男が時間を間違えたか?それとも俺が正しい時間を伝え損ねていたか。後者だったらすまないが、お前が乗るべきなのはミラノ行きの最終便だ。今から空港まで行っても二本分は待たなくてはならないだろうな」
「安心しろ。お前は間違いなくそう伝えたし、俺だって時間を間違えてここに来たわけじゃあねえ」
「だとしたら他に何か用事でもあったか?」
「まさか。無駄にフラついて疲れを溜めるような真似はしねぇよ。ジジイに化け続けるのは体力使うからな」

階段だとか。段差だとか。年寄りの足には厳しいもんだ、と、見るからに若々しい男が口にするのは奇妙な光景だった。リゾットはわずかに表情を緩めて言った。

「そういう意味で言うなら快適だったぞ、空港内は。バリアフリーとかいったか、きちんと整備もされている」
「なら安心だな。心行くまで満喫してきてやるよ、ファーストクラス。……ところでリゾット。俺に聞きてえのはそれだけか?」
「……じゃあ、お言葉に甘えて聞かせてもらおうか。お前はどうして今ここにいる?」
「お前に会えるかなと思って」

未だ改札を挟んだままの二人の、じゃれあいのような会話はおおよそ止まる気配を見せなかった。

時刻は夜の八時過ぎ。行き交う人の量はそう少なくない。また一つ到着した列車から流れ出る人々のさなかを、はた迷惑な二人は気にもせずに立っている。

「チームで一番優秀なお前のことだ、予定より早めに仕事を終えられると思ってさ。でもそれだって、お前がアジトに着く頃には俺はナポリの上空だ。会える確率が一番高いのはここだろ?」
「ならどうして連絡をくれなかった?携帯を忘れたんでなければ、メールの一つも打てたと思うが」
「そんなもん必要ねーと思った」
「じゃあ俺が通るまで待つつもりだったか?」
「待つなんて考えもしなかった。今ここでお前に会えなきゃあ、そのまま列車に乗って空港で時間潰しでもしてただろうな。初めから、考えてたのは会えるか会えないか、その二つだけ」
「……お前はいつもイチかゼロかだな。極端だ。たまたま俺が、この時間のこの列車から降りなければどうなっていたか」
「すれ違いもまたロマンチックだろ?」

くつくつと喉の奥で笑ったプロシュートは、ようやく足を動かして改札を出た。そばにあったベンチに腰を下ろす。切符をしまったリゾットも彼に倣って隣に座った。夜風に晒されたベンチは氷のように冷たかったが、どちらも再び立とうとはしなかった。

「ロマンチックか。お前からそんな言葉が聞けるとは思わなかった」
「そうか?俺はけっこう好きだぜ。ロマンだとか運命だとか」
「俺は確実だとか堅実だとかいう言葉が好きだ。……が、こうして偶然でも再会できるとなると、それよりずっと嬉しいものだな。俺たちの間にもあるんだろうか。運命というものが」

だとしたら嬉しいんだがな。
そう言って、リゾットはかすかに笑みを浮かべた。吐く息が白くもやを作って、消える。あとちょっと、とプロシュートは呟いた。

「あと四時間もしねーうちに来年だな。どうだった?リゾット。今年の俺たちチームは」
「最高だった。みんなよく頑張ってくれたよ。そういえば、お前は死にかけたな、プロシュート」
「うるせーな。それはお前もだろ?」
「俺はどてっ腹に風穴を開けたまま暴れまくるような真似はしない」
「俺だって。テメェの腕から何本もナイフ造り出すような真似はしねーよ」

どちらともなく笑い合って、時計を見る。こうしている今も年の終わりは刻々と迫っている。

「……生きていてよかった」

唐突に、リゾットの声は重みを増した。開いた足に肘をつけて、組んだ両手で口元を押さえる。

「生きていてくれてよかった。お前も、みんなも」
「…………リゾット」
「嫌な仕事だ。毎年思う。こうして全員揃って年をまたげる事がどれほど幸運なことか。……たまに怖くなるんだ。いつまでこの幸運が続くのか」

はぁ、と息を吐くと、白く濁った水蒸気の塊が現れた。ふわりと宙に浮く綿のように、強く団結して見えたそれは、風に吹かれ、散り散りになり、容易く空気に溶けて消えていく。

懺悔か。それとも後悔か。プロシュートは目を細めてそれを見極めていた。顎を支えているリゾットの両手は先ほどまた一つの命を奪ったのだ。彼は失われた命に見たのだろう。仲間の誰かか、あるいは自分の将来の姿を。

「堅実に生きたかったか?リゾット。お前は、運に左右される心配のない生活を送りたかったか」

リゾットは何も言わなかった。だからプロシュートは右手を差し出した。「なら、終わらせてやろうか。リゾット」それに薄く重なるのは異形の影だった。彼はそれを『偉大なる死』と呼んだ。

「わからねえよな。俺たちチームがいつまでこうしていられるか。俺だって、このすぐ後に死ぬかもしれねぇしよ」
「…………」
「もし耐えられねーんなら、俺が背負ってやるよ。お前のぶんまで」
「…………お前はいつも極端だ」

差し伸べられた手を、リゾットは鼻で笑った。かわりに彼の肩に手を伸ばし、引き寄せる。素直にもたれかかったプロシュートはスタンドを引っ込めて己よりわずかに高いところにある顔を見上げた。

「全部背負うんじゃあなく、支えてくれ。少しだけでいいんだ。お前が側にいてくれるだけでいい」
「……なんだよ。じゃあ、これから先も死ぬわけにはいかねーじゃあねえか」
「ああ、そうなるな。俺のためだと思って頑張ってくれ」
「ハン、無責任だなあお前」
「そう言われるのは初めてだな。責任感が強いというのは昔っから言われてきたんだが」
「なら周りの目のほうがおかしかったんだろ。俺らがどれだけ長い間一緒にいたと思う?ずっと側にいたわけだし、お前の事は俺が一番よく知ってる。お前はチームいち無責任で弱虫の根暗だぜ」

言葉とは裏腹に、プロシュートは柔らかな笑みを浮かべていた。同じくリゾットも。

つまりは二人、それだけ歳を取ったのだ。過ごした時間が長くなるにつれ、実直な会話より、面倒なやりとりを好むようになった。

体には気をつけろだとか、死ぬなだとか、来年もずっと一緒にいたいだとか、……今日、会えて嬉しいとか。

そういう感情を素直に言葉にできないくらいには、二人は長く側にいた。

おそらくプロシュートはリゾットを殺す気などはさらさらなかっただろう。それ以上に、リゾットも彼に自分を殺させる気はなかったはずだ。今以上の重圧を背負わせる気には互いにならなかった。

「今日、会えたのは偶然だったが、会えなくても俺は構わねーと思ってたぜ」
「どうしてだ?」
「大切なのは気持ちだろ。俺はな、この年の瀬にも俺より仕事を選んだお前なんか側に居なくてもいいと思っていたが、それ以上に、側に居ればもっといいと思ってた。そういう気持ちを確かめようと思って、今日、早めにお前のいないアジトを出たわけだ」

会いたいという気持ちと、それを行動に出せるほどの気力があるのが大事なんだ、とプロシュートは体をすり寄せた。それを確かめられたんなら、実際に会う必要はどこにもない。

「俺は案外ロマンチストなんだぜ、リゾット。別れる理由がないからって、惰性で付き合いを続けてるんじゃあ満足できねえ。心の根底に、覆しようのない愛情がなけりゃあ全然ダメだ」
「それで、確かめた結果はどうだった?俺は、お前の心の底に住むことができただろうか」
「ああ、どうやら一番深いところに住み着きやがったようだ」

クッと笑って、立ち上がる。遠くに枕木の軋む音がしたのだ。ガタゴトと線路を進む列車は徐々に速度を落とし、やがて滑り込むようにしてプラットフォームに到着するだろう。それに乗るべく、リゾットはようやく改札口をくぐった。見送る男を振り返る。プロシュートは楽しげに笑って言った。

「よかったよ。これで来年も変わらずお前を愛せそうだ、リゾット」

先ほどとは逆の立ち位置で二人は相対した。リゾットも笑みを作った。

「帰りは朝方になるか?」
「おう」
「車を出したいと思うんだが。頼むから、帰りこそはお前のほうから連絡をくれ。俺はお前ほど幸運に恵まれてはいないんだ。すれ違いにはなりたくない」
「なんだ、気前がいいな。疲れてんだろうにわざわざ迎えに来てくれんのか?ここまで」
「ああ、来るさ。来年になっても変わらずお前を愛していると、俺は行動で伝えてやる」

ばらばらと改札を出る人の流れに逆らって、リゾットはプラットフォームへ向かっていく。彼の姿が見えなくなったのを確認して、プロシュートもバス乗り場へと歩き出した。年が明ければ、彼らはまたその距離を縮めてみせるのだろう。全てが一新しても変わらないものは確かにそこにある。




End.

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