作品

□ディ・ス・コ!
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イルーゾォは花が好きだ。
恥ずかしいからか自分では決して口にしないが、プロシュートが貰ってきてはその辺りに放ったらかしている大掛かりな花束を、器用にまとめて花瓶に飾っている姿はよく見るし、部屋の目立たないところに小さなサボテンを置いてはたまに咲く花を楽しみにしていたりするのも知っている。
元々興味のなかった花屋にしばしば通うようになったのもそんな彼へのプレゼントを繰り返したからで、おかげで今じゃあそこの店員とも軽く会話を交わす程度には顔なじみになっている。

「はい、お待たせ」

鼻にツンとくる独特の青臭さの中をさまよいながら注文の品を待っていた俺に、彼女はいつもと同じく快活な声をかけた。少し年下。周りを彩る商品と同じく花盛りの可愛らしい店員だ。

振り返ると同時に腕に押し付けられるガサリとしたビニールの感触。見れば見事に纏められた大輪のバラの花束。……と、傍らに、それより小さなブーケ一つ。

「あれ。こっちは注文してねえけど」

残念ながら余分な金は持ってきてねえんだよなあ。冗談混じりに言うと、彼女はいたずらっぽく歯を見せて笑った。

「Buon San Valentino!お金はいらないわ、これは私からのプレゼント」
「ええ?いいのか?マジに貰っちまっても」

その気がなくとも可愛い女の子にそう言われれば、平然とは返せないのが男の性だ。自然と緩んだ頬をごまかすように頭の後ろを掻けば、彼女は微笑みながら頷いてみせた。

「もちろん変な意味じゃあないの。いつも贔屓にしてくれてるから、そのお礼」
「いやあ、それでも嬉しいよ。グラッツェ」

バレンタインらしく、いくつものキスチョコで飾られたブーケを持ち上げて礼を言うと、彼女はいっそう微笑みを深くしてまた来てね、とわざわざ小雨の降りしきる店先まで見送ってくれた。

帰る道すがら手の中のブーケを確認して、思い出すたびに意図せず緩む顔を引き締めるのには苦労した。それが例え礼でも義理でも、今日という日にプレゼントを貰えるのはただただ男冥利に尽きると思う。浮ついた足を自制しながらアジトの扉を開け放ち、傘立てに置かれた黒い傘を見てイルーゾォの帰宅を知る。表面に付着する雨粒の具合からみてほぼ俺と大差ない時間に帰ったのだろうと思い、タイミングの良さにますます機嫌をよくした俺は、玄関口に自分の傘も並べてやって意気揚々と自室に足を踏み入れた。
するとなおさら都合よく、中にはすでに彼がいた。珍しく無断でソファにどっかりと腰を下ろしていた愛しい背中に向けて「ただいま!」と声をかける。

「おかえり」

振り返ることなくそう言ってのけ、イルーゾォは手に持った銀紙をポイと投げ捨てた。ゴミ箱のフチに当たって惜しくも床に転がった紙くずを一瞥もせずに次の包みを開ける。そうして口に放り込んだのは、彼が苦手とする部類の甘い甘いチョコレートだった。

「あれ。お前も誰かに貰ったのか?プレゼント」

甘いの嫌いなのに災難だったなあ、と苦笑して、傍らのデスクに荷物を置き、落ちた紙くずを拾ってゴミ箱に入れ直す。すると背中に軽い衝撃があった。振り返ると、物を投げたような体勢のままそっぽを向いて口をもぐもぐさせているイルーゾォと、その間に転がる新たな紙くず。「えっと……」それも拾ってやって、ようやく俺は彼の異変に気が付いた。「な、何か怒らせるような事したっけか?俺……」

「別に」

フン、と、それこそまさに怒っている仕草を見せたイルーゾォは、チョコの入っていたんだろう可愛らしいラッピングをグシャリと握り潰してテーブルに投げた。その近くには、おそらくプレゼントに添えられていた二つ折りカードが一枚。半開きになったそれをちらりと盗み見ると、『よかったら連絡ください』と控え目な文章とともに電話番号が書かれていた。
他人宛のラブレターを勝手に覗き見たような気まずさをヒシヒシ感じていると。

「この間さあ」

絶妙なタイミングで口を開かれ、俺は思わず背筋を伸ばした。

「覚えてる?ローマのほうに新しくできたチョコレートショップ。一人で行くのが恥ずかしいからってさあ、あんたに引っ張られて付いて行ったよな。俺」

覚えてる。わざわざ電車を乗り継いででも贔屓にしたい、俺の味覚をガッチリ掴んだ魅惑の店だ。糖分と親友協定を結んでいる俺と違って、店中に充満する甘ったるい香りに早々にギブアップを唱えていたイルーゾォを宥めすかして引っ張り回し、さんざん店内を物色して周ったのは記憶に新しい。今更その出来事に怒っているのかと思ったが、どうやらそうではないようで、未だにこちらを見ようともしないイルーゾォは淡々と話を続けている。

「その帰りにさ、男三人に女の子が絡まれててさ。助けてやったろ。ホルマジオが」

それも勿論覚えている。しかしそれはどちらかといえば、何見てやがんだと無謀にもこちらにまで喧嘩を売ってきたチンピラ相手に、反射的に手鏡に手を伸ばしかけていたイルーゾォを抑えるためにしたことだ。見かけによらず喧嘩っ早いイルーゾォを野放しにして無駄に死人を増やすより、俺が穏便に対処してやったほうがよっぽど平和的だと思えばこそじゃあないか。

「全員きっちり再起不能にしてやって、女の子も大通りまで送ってやって、やっぱりホルマジオって格好いいなあって思いました。俺は」
「そ、そりゃあグラッツェ。だったら……」
「だけど」

なんで怒ってんの、と言うより先に低い声が全てを遮断する。ようやく合わせられた視線が俺を睨む。

「そう思ったのは俺だけじゃあなかったらしいよ。おめでとう、ホルマジオ。彼女あの日と同じ場所であんたを待ってたぜ。同じ場所にいればもしかしたら会えるんじゃあないかって、もし会えたのならお礼を渡したかったって。あの日のあんたのツレだった俺の顔を覚えてたみたいでさ、たまたま通りかかった所を捕まえられて、あの人に渡してくださいって頭下げられた。健気じゃあないか。顔も可愛い。付き合っちまえば?これも運命だ」

はっとして、俺は慌ててカードを拾い上げた。

あの日は助けてくれてありがとう。迷惑でなければもっとちゃんとしたお礼がしたいです。よかったら連絡ください。

女性特有の柔らかい字でそう綴られていた。

「じ、じゃあ……」

イルーゾォは最後の一つを摘まんで口に放り込む。フンと鼻を鳴らして投げつけられた紙くずが腹に当たってポトリと落ちて、俺はようやく事態に気付く事ができたのだった。

「それ、俺宛じゃあねえか!!」

なに勝手に食ってんの!
慌ててイルーゾォの両頬を挟み込むがもう遅い。甘ったるい香りを発している彼の口が次に開いたときには、中身はとっくに喉の奥に消えていた。

「な、な、なんで!?なんで食ってんの!?」
「悪い?受け取ったのは俺なんだから、それをどうしようが俺の勝手だろ」
「渡してって頼まれたんだろ!?だったら黙って渡すのが礼儀じゃあねえか!」
「礼儀なんて知らない。俺、十四のときから暗殺してましたから」

放った文句にシレッと言い返されて、それどころか、入り口付近に置いた荷物を見とめた瞬間イルーゾォは、新しい標的を見つけたようにキッと眉を吊り上げてみせた。

「なんだよ小さい男だな。たかがお菓子ごときでギャーギャー騒ぎやがって。プレゼントの一つや二つどうだっていいだろ?……どうせあんたは他にもちゃあんと貰ってんだからさあッ!」
「はあ!?」
「なんだよそのでっかい花束ッ!わざわざ俺に見せびらかしに来たのかよ!」
「ち、違えよ!これはお前に俺が買ってきたの!誤解すんなってば!」
「へえ!へえ!じゃあそっちのブーケはなんですか!いやらしくキスチョコなんかで飾っちゃってさあ!俺が甘いの嫌いって知っててわざわざそんなもの用意したってのか!?嘘つけよ!だいたいあんただって最初に言ったじゃあないか!お前『も』誰かに貰ったのかってさあ!」

それだけたくさん貰っといて今更チョコの一つや二つでガタガタ抜かしてるんじゃあねえッ!
普段使わないような汚い言葉で俺を罵倒して、全力で振りかぶったイルーゾォはその勢いのまま、いつからか手にしていた小箱を的確な弾道で俺の額に投げつけた。中身がバラバラと床にこぼれ落ち、それと同じく予想以上に堅かった小箱のカドにやられた俺も情けなく床に体を打ち付けていた。あまりの仕打ちだ。さすがの俺も我慢しきれず飛び起きて、次の弾を補充しようと辺りを探るイルーゾォの両腕を強い力で拘束した。

「待て、待て!暴れるなっての!俺ぁ別にチョコ食ったのなんて責めてねえだろ!?」
「責めたじゃあないかッ!なんで食ったんだって!」
「そりゃ食った事自体じゃあなくて勝手に荷物開けたことに対してだよ!お前はその子の気持ちを踏み躙るとこだったんだぞ!?」
「へぇ!気持ちを大切にするんだ!だったら今すぐその番号に電話してやれば!?はあお礼ですか、じゃああなたの身体がいいですね、なんせ今付き合ってるやつときたら、セックス一つとっても面倒なことばかりなもんでってなあッ!」
「いい加減にしろって!」

暴れる体をソファに押し付け、上からグッと力を加える。痛みを与えないよう加減してもなお余りある体格差は、彼の体から完全に抵抗を奪った。それでもなお下からギッと睨みつける目にしっかりと視線を合わせ「なあ、お前、今日なんか変だぞ?」言い聞かせるようにしてやると、未だ強気の姿勢を崩さないイルーゾォはああそうだよ、と吐き捨てるように言って顔を背けた。

「ああ、ああ、変だよ俺は。おかしくもなるだろ。朝っぱらから甘ったるいにおいばっかり嗅がされてさ。ようやく帰れると思えば次は、これを渡してくださいってまたドルチェの袋だ。無性にイライラして食べちまえば今度は鼻から口から甘い匂い。その上あんたもまた別のチョコを運んでくるし。最悪だ。最低。こんなことならあんなもの買いに行かなけりゃあよかった」
「あんなものって……」

言いかけて、俺の頭にはふと疑問が浮かんだ。

イルーゾォはなんでわざわざ今日という日に、彼女と会ったあの場所まで足を運んだのか。そこは朝っぱらから電車を乗り継いでまで行くような場所だったか。行くとしたら彼の目的はなんだったのか。ほとんど反射的に床を見る。よく見れば、先ほど俺にクリーンヒットした小箱には見覚えがあった。その付近に散らばる中身にも。気に入りの印字。贅沢に金粉があしらわれたそれは、"あの店"で一番高値のチョコレートだった。

「イルーゾォ、お前……」

呆然と見下ろすと、怒りにヒクつくイルーゾォの目元から、こめかみに向かって水分が一滴こぼれ落ちたところだった。黒髪の隙間に滲んだそれを指先で追って、下からすくい上げる。「買ってきてくれたの、俺に」

「別にっ!」

キュッと引き結ばれた口が開いたと思えばまた可愛くない言葉の数々。

「いらないよなあ、そんなもの!俺なんかがテキトーに選んだ市販品の一つより、あんたを大好きな女の子から心を込めて贈られたプレゼントのほうがよっぽど価値があるもんな!」
「そんなこと言ってねえだろって」
「うるさいな!わかってるよ、わかってんだよ俺だって!俺みたいな男より、ああいう健気で可愛い女の子のほうがずっとあんたに似合ってるって!ホルマジオだって早くそれに気付くべきだって!だ、だけどさあっ!そんなの嫌じゃあないか!気付いた瞬間あんたは俺から離れるんだ!だったらそうなる前に処分しようって、思うだろ普通!」

そして涙がまた一つ溢れた。
なんだ。なんだよこれ。イルーゾォお前、何言ってんの?

「帰り道、こんなものその辺に捨てちまおうって!……思ったけど、き、綺麗な包み見て、あの子もホルマジオのこと想って一生懸命選んだんだって思ったら、……無下にはできないじゃあないか……」

その言葉に重なって、俺の脳裏にはあの店が浮かんできた。甘ったるい匂いに顔をしかめながら、ガラスの向こうに並ぶたくさんのチョコレートをどれがいいかと一生懸命選んでいるイルーゾォの姿が。期待と愛情をたっぷり込めて持ち帰られた彼の気持ちは今、床にばらばら転がっている。俺は手を伸ばしてその一つを摘まんだ。口に運ぶ。しょっぺえ。なんでこんな涙みたいな味すんの、これ。

「イルーゾォ〜〜〜」

組み敷いた体に顔をうずめてグリグリと押し付ける。「うめえよ、すごく美味い」

「……当たり前だろ」

すっごく高かったんだから。
俺の体をぎゅうっと抱きしめて、ぼそぼそと言う。その姿に心惹かれた。健気じゃあないか。お前だってずっと。

「そのブーケ、ただの義理だよ。俺に恋人がいるのなんて彼女、とっくに知ってる。いつもお前のために花、包んでもらってんだから」
「…………」
「助けてやった子だってさ、ただのお礼のつもりだろ。そうでなくても俺はお前以外を選ぶつもりもねえし」
「……そんなの、今だけだろ。遅かれ早かれいつか気付くよ。ホルマジオだって」
「何に?お前だけにしか感じない魅力になら、俺はとっくに気付いてるんだけど」

もっと食っていいかなあ、お前のくれたプレゼント。
にっこり笑うと、イルーゾォもようやく表情を緩めてくれた。小さく頷いたのを確認して、一つ一つ拾い集めて箱に戻す。綺麗に九つに仕切られた箱の中を、丸い形のチョコレートが埋めていく。途中で二つ摘まんだために一列欠けてしまったが、残りはさらに大事に食べ進めようとデスクにしまう。俺の動向を見守っていたイルーゾォを改めて抱きしめて、心からのお礼をその耳に吹き込む。これからもずっと愛してる、と添えて。

「なあ、それでも不安なら、一緒に来てよ。花屋の子にもその子にも、俺が愛してるのはこいつだけですって紹介してやりてえし」
「や、やだよ……気味悪がられるだけだろそんなの」
「なんだったら、街中に言ってやろうか。俺とこいつは最高に愛し合ってますって。そうすりゃお前は安心できるし、俺だって、お前に言い寄る奴らがいなくなって安心するし。一石二鳥じゃあねえか」
「馬鹿言うなって。そんなのできるわけないだろ」

俺の胸に手を当ててグッと体を引き離したイルーゾォは。

「そこまでしなくても、ただ、ちょっとだけ。ここに電話するときにさ」

ここ、といってカードを広げる。

「プレゼントありがとう、でも恋人が嫉妬するのでそれ以上のお礼はいりませんって、言ってくれればそれでいいよ」
「なに、嫉妬してくれてたんだ」
「……そりゃあするよ。好きだからな」

ぎゅうぎゅう抱きついて脚も絡めて、イルーゾォは幸せそうに笑っていた。

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