宵闇の宴

□第一章
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恐々とした呼び掛けは、言い切る自信がないからだろう。
自信に比例して、夏男の声は小さい。

その小さな呼び掛けは、室内で上がった悲鳴のようなざわめきにほとんど紛れた。

一瞬にして広がった驚愕と動揺に、夏男は戸惑いを見せた。
知り合いの名前を呼んだだけで、何だこの反応は。

ちらちらとクラスメートたちが視線をよこす。
少女――鞠絵は、眉を寄せ目を閉じた。

煩わしい。

苛立つ心のままに息を吐き出す。
それを視認した幾人かが、ビクリと体を震わせる。

「え……と、あの……鞠絵……だよな?」

馬鹿じゃないのか。
周囲のこの反応を見て、どうして尚も話し掛けようと思うのだ。
呆れると共に、鞠絵の中の苛立ちは強まる。

教壇の上で小さくなっていた担任が、意を決したように鞠絵に尋ねた。

「な……なんだ、佐賀原。知り合いか?」

へらりと浮かべられた笑みが気に障る。
隠しきれずにそこかしこから溢れる怯えが、ささくれ立った心にいちいち引っかかる。

鞠絵は静かに席を立つ。
荒れた心の模様など露ほどにも感じさせない、静かな起立。
腹を立てたからといって騒ぎ立てるほど子供ではない、と自負している。

「さ、佐賀原?どこに行くんだ?」

注目の中、鞠絵は悠然と教室を横切った。
校則通りのスカートの長い裾がゆらゆらと動く。

室内を出る直前になって、鞠絵は立ち止まる。
僅かに振り向いた顔は、何の感情も映していない。

「五月蝿い」

冷たく吐き捨てられた言葉に、室内は静まり返る。
そのまま去る鞠絵を止める者は、いなかった。



第一章・場面一之一、了
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