企画・捧げもの

□禿イヌカシかく語りき
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冬っていうのは嫌になる。
郭は足袋を履く事を許されていないから冷えた廊下を素足で歩くしかない。
おれはバタバタと足音をたてて目当ての部屋へと急ぐ。
途中この遊郭の支配人代行である力河のおっさんにはしたないから廊下を走るなと怒られたがシカトを決め込んで走り抜ける。
少しでも身体を動かしていないと寒くて仕方ないんだって。
ようやく着いた部屋の障子を乱暴に開ければ布団と箪笥しかない簡素な部屋が眼前に広がる。
目的はその布団でいも虫の如く寝ている人物。
おれは躊躇いも無く部屋へと入り多分肩辺りと思われる所を軽く叩いてみる。

「こら紫苑起ーきーろー!!早く起きて飯行くぞ!」

叩いてわかったのだけれど枕の方にあったのは足だった。
どんだけ寝相が悪いのだこいつ。
上下逆さまになってんぞ。

「しーおーんー!!」
「ん〜…イヌカシもう少し‥」
「もう少しじゃねぇよおれ達禿はもっと早くに起きて掃除させられてんだ!」

氷が張るのではないなと思われる程に冷えた水に手を浸して雑巾を絞るあの寒さといったらない。
これが毎朝なんだから全く嫌になるってものだろう。

まだ娼妓見習いのおれ達禿はそういう雑用からこういう風に自分が担当する娼妓の身の回りの世話をする。

「ぼく寝たの明け方なんだけどなぁ…」

渋々と起き上がったこいつは紫苑。
おれが世話を担当する娼妓だ。
身体を隠していた布団を剥がすと綺麗な白髪をした少年が現れた。
少年。
そう、男だ。
けれど遊郭の娼妓としてここにいる人間。
この遊郭は少し特殊で色々な事情で家にいられなくなった人間が集まる。
大概はまだ歳の若い子供なのだけれども。
災害で親を無くした者、口べらしに捨てられた者、お金と引きかえに買われた者。
そんな者が男女関係無く連れられてくるのだ。
身寄りもない者を引き取ってくれるとは聞こえは良いが女は遊女として、男は男手集としてこの遊郭で働かされるのだからここの支配人もちゃっかりしていやがると思う。
たまに見目が良い男がいる。
その時はなんとそいつを遊女と同じように身体を使って金を稼がせる。
「人の趣味はそれぞれだから」が支配人のお言葉。
いやはや、なんて悪趣味な…としか言いようの無い。
でもやっぱり、生きていく為には形振りは構っていられないんだ。



紫苑は慣れた手つきで着替えを進めていく。
前はおれが手伝ってやらないと着れなかった服も一人で着れる様になった。
ちらと見えた白い肌。
しかしその肌には不釣り合いなまでに紅い蛇の様な蛇行線の痣がある。
何故そんなものがあるのかは不明。

「さて。イヌカシ髪結ってくれるかな?」

着替え終わったらしく櫛と紐をおれに手渡しくるりと背を向けて座った。
4年前にここにやって来て以来伸ばしている髪は既に腰に届きそうなまでの長髪になっていた。
受け取った櫛で一房髪をすく。
さらさらと流れる髪はまさに上質な絹糸の様でとても綺麗で触り心地が良い。
「この異質な髪色と奇妙な痣で恐れられて売られてきた」と語っていたが、こんなに綺麗なのに酷い話だと思う。
慣れた手つきで髪を一つにまとめて団子を作る。

「お、そういえばお前さんあの前客からかんざしを貰っていたよな?どうせだからそれも付けようぜ」
「え!?いや、でも‥」
「確かあの客は今日辺りに来るとか言っていたし‥よし。貰ったのを付けてやれよ、きっと喜ぶぜ」

あの客というのは最近紫苑の客になった男で名をネズミ。
外では有名な唄うたいなのだそうだ。

郭の中にも奴のファンがいて来る度に黄色い悲鳴を上げてうるさい事。
けど郭の中で一番ネズミに首ったけなのはあの力河のおっさんだと思われ。
だってネズミを見かける度に鼻の下を伸ばしていやがるんだぜ、はしたないのはどっちだ畜生め。
おっと話が逸れた。
まぁ‥そのネズミが贈ったってのが「紫苑」色のかんざし。
安直とは思いもするがその装飾の繊細さは紫苑にとても良く似合っていた。
おれはそのかんざしを貰った時の嬉しそうに笑っていた紫苑を思い出す。
あの時は本気で珍しいものを見たと思った。
いや決して紫苑が笑わない訳ではない、いつも優しげに笑っている。
のだが、いつもどこか寂しそうに微笑むのだ。
諦めた風に。
何かを痛む様に。
そんな笑い方しかしなかった紫苑が心の底から嬉しそうに笑っていた。
嬉しくて、嬉しくて堪らないという様に。
4年も一緒にいるおれよりも付き合っての短いネズミに満面の笑みを見せたのは癪ではあるのだけれど‥。それでも。
それよりもずっと嬉しかった。
紫苑が笑ってくれた事がおれは心から嬉しかったんだ。


郭の恋が叶わないのが常なのは知っている。
でも、願わくば叶って欲しい。
あんなに綺麗に笑う人間をこんな暗い所に閉じ込め無いでくれよ。
もっと紫苑は明るい所が似合って人間なんだ。
お前さんなら、連れ出せるだろうこんな煩わしい囲いの外へと。

「ほら、出来たぞ」

ぽんと肩を叩いて立つ様に促す。

「うん。ありがとうねイヌカシ」
「お安いごようで。さて、腹が減ったからとっとと飯食いに行こうぜ」
「はいはい」

しゃらん、とかんざしの飾りが小さく音をたてた。
紫苑を伴って食堂へと歩き出す。
やる事はまだ残っている。
夜が来るのはあっという間なのだ。

見世清掻きが鳴る頃に今日もあいつは来るのだろうか?

to be?


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