企画・捧げもの

立ち尽くしたら溶けてしまう
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ぽつり、と鼻先に水が当たる感覚がした。
空を見上げると厚い雲に覆われた空から雨が降って来ていた。

「降られたか…」

ひとりごちて舌打つ。
生憎と傘を持っておらず、雨宿りをするにも廃退を思わせる瓦礫しかないここで雨をやり過ごすには余りにも頼りない。
仕方なく肩にかけていた超繊維布を被り足早に歩き出した。

冷たい雨粒が露出している指に当たり凍える。
あぁ、寒い。
早く帰って温かいスープが飲みたい。
温かい寝床で寝たい。

そして、

ざりっと自分ではない足音が背後からした。
背後を取られたらいけない、と言うのはこの西ブロックでは当たり前の事。
反射的に身体に力が入る。
しかし誰かと振り向く前にそいつの方から声をかけてきた。

「ネズミ!」
「…紫苑」

振り向くと黒い傘をさした紫苑が笑って側に寄って来た。

「良かった。やっぱりネズミだった」
「‥あんた何してるんだ」
「ん?雨が降ってきて、ネズミ傘持って無かったから。お迎え」

はい、と言って紫苑はさしていた黒い傘へおれを迎え入れる。

ふっと既視感を感じた。
いや、既視感などではなく前もこいつはおれを雨の日に暖かく迎え入れてくれた。


あの4年前の嵐の日に。

部屋に入れて。
傷を手当てしてくれて。
美味しい食事をくれて。
温かい寝床を、おれに与えてくれた。

4年の間、雨の度におれはその事を思い出した。
違う、正しくは“確認”しているのだ。
その一瞬の様に短い、けれど確かにあった温もりの時間を。
何度も。
何度も。

温かい記憶は飴玉だ。
甘いけれど、綺麗だけど腹の足しにもならないすぐに消えてしまうもの。
そう思っていた。

なのに。
その飴玉は消えなかった。
いつまでもおれに残り続けた。
確かに腹の足しにはならなかったけど。
それでも少しも消えずに残っていた。
これがどんなに奇跡というか、あんたにわかるだろうか紫苑。

「今日は寒いね」

吐き出した息が白かった。
鼻の頭を赤くした紫苑が微笑する。

「だから、早く帰ろう。ネズミ」

手を取られ促す様に引かれた。
何だこれは、子供みたいな扱いをするなよ。
おれもあんたもいくつだと思ってるんだ。
早く放せ。

「‥あんたって本当、子ども体温」
「うるさい」

放せ、と思っているのに裏腹に口から出た言葉は拗ねた様な憎まれ口。

あぁ。
どうしてあんたはいつも。



こんな奇跡みたいに幸せな事をこんなにも簡単におれに与えてくれるのだろうか。


その温もりにおれは、

(立ち尽くしたら溶けてしまう)

泣き出してしまいたい位の喜びは、きっとあんたが届けてくれたもの。

END


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