SSS

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ぼくにとって極めて稀な事が起きた。

「舞台の招待券貰ったんだけど一緒に行かないか?」

ネズミがまるで手品師の様にパッと手の中から一枚のチケットを出した。
ネズミは観劇が好きでよく舞台や映画を観に行く。
ぼくが前に興味があると言ったのを覚えていてくれたのだろうか。

「いつ?」
「来週の日曜日、13時から」

にこりと笑ったネズミに対してぼくは固まる。

「……」
「………もしかして都合悪いか?」
「…ごめん」

かくして、ぼくはネズミからの誘いを初めて断る事になったのだった。

□□        □□

日曜日、ぼくは学校から2駅離れた街のカフェに沙布といた。
 
「……それが紫苑にとってとても珍しい事なの?」
「珍しいよ、予定が重なって断るなんてめったにない」
「………」

沙布は何故か難しい表情で紅茶を飲み下す。
自分もならうように紅茶に口をつける。

「紫苑は良かったの?」
「へ?」

ぼくは真意を掴めず首を傾げる。

「何が?」
「観たかったんでしょ劇。私と会う予定と言ってもそんなのいつだってずらせるじゃない」
「名門屈指の進学校様の生徒をそうやすやすと何度も遊びになんて誘えないよ」
「皮肉?」
「沙布に?まさか」
「自分によ、そうじゃないなら自虐だわ」
「それこそ“まさか”だよ」

笑んでまた一口、紅茶を喉に、胃に流し込む。 

「ぼくは、今の学校で十分満足してるよ」
「………」 

キッとまなじりをつり上げた沙布は目の前に置かれたフルーツタルトに勢いよくフォークを突き刺す。
フォークはタルトの厚い生地を貫いたらしく耳に痛い皿の悲鳴がした。
まわりにいる客もその音に何人かが振り向く。
しかし沙布は構わずケーキを口に入れて咀嚼する。
言葉を発するのもはばかられてしかたなしにもう一口紅茶を飲み込む。
下にたまった砂糖の甘さが舌を滑る。
沙布はタルトを飲み下してから大きく息を吐き出した。

「わかってるわ」
「ん?」
「あなたが今の生活に満足しているって顔を見たらわかるわよ」
「うん」
「少し前まではそんな事なかったのに」
「友達が出来たんだ。ネズミって言って、ほら、劇に誘ってくれた」
「……ふぅん」
「沙布にもいつか会わせたいな」

ずっと仲の良い、幼なじみがいるのだとネズミに言った時にネズミは「へぇ、会ってみたいな」と言っていたし沙布にも紹介したいとずっと思っていた。
けれど沙布の表情は暗い。

「私は会いたくないわ」
「え?どうして?」
「どうしてだと思う?」
「………」 

どうして?
さっきのやり取りにヘソを曲げたのか、沙布は人見知りだったろうか、いや、人当たりが良くて誰に対しても物怖じしないのはいつも彼女の方だ。
どうして?わからない。

「ねぇ紫苑」
「ん?」
「私たち友達?」
 
彼女の、沙布の強い眼差しが真っ直ぐにぼくを見る。

「ううん、友達じゃない」
「え?」

引き結ばれた唇が唖然として開く。
違うよ沙布。

「親友だ、沙布はずっと昔からのぼくの大切な人だよ」

親友、そうだ友達なんかじゃ足りない。
もっとずっと重くて、そのぶん厚くて比べものにならない位の存在。

「さっき沙布は暗にネズミとの用事を優先しても良かったというような言い方をしたけどそんな事しないよ。君と約束してるんだから他の用事なんて目もくれないさ」
「……あなたいったい誰の影響でそんな歯の浮く言葉を言うようになったのよ」
「そうかな?影響があったとしたらネズミなのかな」
「だとしたら本当に会いたくないわ」

大袈裟に沙布は鼻を鳴らす。
いったい何が気に触ったのか、優等生な彼女だかこれでいて沙布はころころと気分が変わる。
自分の中で葛藤が終わったらしまぁ、と沙布は息を吐き出す。

「最初にそれを言っていれば及第点だったのに」
「それは厳しすぎやしないか?」
「あら、厳しくなければ人は育たないのよ」
「これはとんだスパルタだ」


ふと、喫茶店のガラス越の景色に見知った顔が通る。
あ、れ?
どこの学校だろうか、休日なのに黒のセーラー服に身を包んだ女の子が通りすぎた。
黒い艶のある髪が風になびく。
見えた横顔に息をのむ。
窓ガラス窓越しにうつった少女はネズミに瓜二つだった。

「――っ」
「紫苑?」

そんなまさか。
追いかけようか?
いや、今から急いで店を出てもこ見失ってしまう。
実際もうネズミに少女は雑踏に紛れて消えてしまった。

「紫苑?」
「ううん、ちょっと知り合いに見えたから」
「知り合いを見つけ位であなたそんなに慌てる?」
「……知り合いを見つけ位でこんなに慌てたよ」

驚いた。
おちくけ、月曜日になったらネズミに聞いてみれば良い。

「そんな事より食べ終わったらどこ行く?」
「私欲しいものがあるのよ、買い物に付き合って」

にこにこと笑う沙布に背筋が凍る。

「まさか…荷物持ちって事?」
「あら、荷物持ち位良いじゃない」
「だって沙布の買い物って洋服とかじゃないだろ」

彼女は参考書や専門書や図鑑などにおこづかいを費やす勉強家だ。
彼女の示す所のお買い物とは書籍を買い漁る事を意味しており、大概そういう本は重い。
そう、重い。
読むのも疲れてしまう位に重いのだ。
沙布の祖母が苦笑混じりに「床が抜けないか心配だわ」と言ったのがあながち冗談ではないことをぼくは知っている。
とうにケーキを平らげた沙布はぼくが早く食べ終わるのを今か今かと待っている。
ぼくは、明日筋肉痛確定の腕を極力ゆっくり動かしながら久しぶりに会った親友とのかけがえのない時間を楽しんだ。

END.


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