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『世界で一番』
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「それじゃあイヌカシまた明日ね」

いつもの様に仕事を終えた紫苑はコートを着ながらイヌカシに顔を向ける。

「はいはい。ネズミが待ってるんだとっとと行け」

イヌカシが犬でも払うようにパタパタを手を動かして紫苑を急かす。
それを気にした風も無く頷いた紫苑はまたね、と言ってこの廃墟のホテルを後にした。


「ネズミが待ってる、ねぇ‥」

イヌカシが自分の言った言葉を繰り返す。
あのペテン師で性悪なネズミがずいぶんと丸くなったもんだ。
こういうのを晴天のヘキレキとでも言うのだろうか。

「な。お前もそう思うだろ?」

近くにいた犬の頭を撫でやりながらそう言うと犬は嬉しそうに尻尾を揺らす。
イヌカシもゆるりと頬を綻ばせた。


□□ □□

吐き出した息が白い。
空を見上げれば厚い厚い雲に沈んで月は見えなかった。
そうなると西ブロックは黒のインクをひっくり返した様に真っ暗になってしまう。
けれどもそんな暗闇の中でも闇に塗りつぶされない存在が立っていた。

「ネズミ!ごめんね待たせた?」

ネズミに声をかけるとネズミはすっと歩を進め出した。
自分も遅れないようにネズミの隣に並んで歩く
「珍しいね君が迎えに来てくれるなんて」
「イヌカシへの用事ついでだ。そういうつもりじゃない」
「それでもぼくは嬉しいよ」

ネズミと一緒に夜に外にいる事はほとんどない。
なんとなく夜の散歩をしている気がして気持ちが浮き立つ。
そんな自分を見てネズミは呆れた様な表情を浮かべた。

「相変わらずあんたは変な奴だな」
「なっ!?相変わらずって―うっわ!!?」

流石にあんまりな言い草に抗議しようとした瞬間に地面の小さな出っぱりに足を取られて体勢を崩してしまう。
しまった、転ぶ!と思わず身構える。
が、とっさにネズミが自分を支えてくれてなんとか転ばずに済む。
暗くてよく見えなかったがどうやら引っかかったのは木の根のようだ。

「しかも注意力散漫ときた」

皮肉気に笑われてしまい恥ずかしさに頬を染める。
全くだ。
ちょっと浮かれ過ぎなんじゃないんだろうか自分は。

「ほら、寒いんだからとっとと帰るぞ」

ぐっと手を引かれまた歩きだす。
すぐに手を離されるかと思ったがネズミはそうせずに手を繋いだままにいる。
繋いだ手からじんわりと温かさが伝わってくる。


「ネズミ、手‥」
「また転ばれでもされたら迷惑だ。どうせ誰も見てないんだし良いだろう」

嫌か?と聞かれて慌てて首を振る。

「ううん。温かいなって思って」

笑うとネズミが目を細めて同意した。

「あぁそうさ。生きてる人間て、温かいんだ」







(ネズミ、ちょっとだけ遠回りをして帰らない?)



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