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狸と狐
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小さな小さな劇場で響く拍手の音が身体の中にに浸透する。
うっとりとした観客達の眼差しを受けながら自分は笑顔を浮かべて舞台を後にした。
寂れた壁を抜けて吹いてきた風が首もとにあたり眉をひそめた、今夜はずいぶんと寒い日だ。
そんな日は今日の賃金を貰ってとっとと帰るに限る。
客のアンコールを求める声がいくつも聞こえるが呼ばれた名前が結局は自分の名前ではないのだからとシカトを決め込んだ。


超繊維布を隔てても当たる夜風はやはり寒い。
行きより今日の賃金分の重みを増して自分の暮らす穴蔵を目指す。
ふと、狭い路地の壁を背もたれにした1人の影が見えた。
そいつはおれを見とめるともぞりと動いてぱちぱちとなんともやる気の無い拍手をよこしてきた。

「よおイヴ。今日も大盛況だったじゃないか」
「‥何だおっさんも来てたのか」
「お前のファンに向けてそんな嫌そうな顔をするもんじゃないぞ。おれはお前が嫌いでもお前の顔や声や演技は好きなんだ」
「はっ、それはそれはお気に召していただけて何よりで」

冷笑して肩をすくめる。
力河の吐息に混じって酒の臭いがした。
ふと、紫苑が酒の量を気にしていたのを思い出す。

が興味など無いのでそのまま頭の片隅に追いやる。

「それで?おっさんはファンらしく出待ちでもしてたってのか?」
「半分はな」
「半分?」
「本題はおまえじゃなくて紫苑にだ。こいつを」

と、今にも破けそうな紙袋を手渡された。
受けとれば重さはそれ程無く、中を覗けば衣類品の類いであるのは見て取れる。

「寒くて風邪をひいたらいけないからな、それを紫苑に渡してやってくれ」
「あんた、おれに配達屋でもしろってか」
「どうせ同じ家なんだろ。帰るついでの手土産と良いじゃないか」
「……」

受け取ってしまった手前突き返すのも面倒だ。
それに冬場は衣類はあるだけありがたいのだし癪とはいえ貰っておこう。

「おっさんは本当に紫苑を可愛がってるな。昔の女がそんなに恋しいのか?」
「何年経とうとおれが火藍を愛していたのは事実だ。その子供を可愛く思って何が悪い」
「紫苑も可哀想に。おっさんみたいな奴に構われても迷惑なだけだろ」
「おれみたいな、ね…酒に溺れて、落ちぶれた新聞記者に好かれるのは可哀想か?」
「後、女にだらしなくて金の亡者で腹が出てる」
「最後のは余計だ」
「本当の事だろ」
「やかましい」


どっちにしろ好かれて喜ばしい人間には思えない事に変わりは無いだろうに。

「そう言うイヴだって人を貶せる立場なのか?」
「少なくとも腹は出ていない」
「そのネタはもう良い」

きまりが悪いのだろうおっさんはがりがりと自分の頭を掻いた。


「全く、こんな奴と一緒にいたら紫苑に悪影響を及ぼすに決まってる」
「心外だな」
「心外?事実だろう。さっきだっておまえの舞台を見ていたがぞっとしたぞおれは」

急に酒気を帯びて拡散していた焦点が理性を孕んで自分に集まる。

「長年記者としてきたおれにはわかるがおまえは偽る事に慣れすぎている。しかも、偽りを偽りと感じさせやしない」
「一応舞台の花形ですから」

舞台役者ね、と力河が嘲る様に笑った。
手が伸びてきてするりと頬をなぜられる。

「自分に対しても嘘をついてるんだろう、イヴ。それは醜悪でしかないぞ。紫苑は素直で綺麗な子だ、おまえと一緒にい続けたらあの子は汚れてしまう」

力河の言葉がどす黒く自身に絡み付いてきた。
気持ち悪さに吐き気がして耳鳴りがする。



「おまえの愛は紫苑を汚すぞイヴ」



脳裏に浮かぶ紫苑が黒い染みでどんどんと侵されていく

あぁ、鬱陶しい。
わかっているさ、あいつとおれが一緒にいてはいけない事なんて。
そんなの4年前から解っている。
思い知らされるまでもない。

「良い顔だな、そんな表情もそそるぞ」
「はっ、酒に溺れて落ちぶれて女にだらしなくて金の亡者で中年太りにヘンタイも追加しとくんだな」

力河は満足そうに鼻を鳴らし距離を離す。

「さて、子供をからかって遊んでいる場合じゃなかった、おれはそろそろ行くとしよう。じゃあ紫苑にそれ渡しといてくれよ」
「あんたはもう少しダイエットしとくんだな」
「…しつこい奴はモテないぞ」
「いたいけな子供をいじめる大人に言われたくないな」
「いたいけな子供だったらおれももう少し寛大さ」
「おれのどこがいたいけじゃ無いんだ」
「黙れ女狐」
「たぬきのおっさんが目腐ってんじゃねぇのか」
「そんな所が可愛げないんだよ」


くるりと背を向けてゆっくり力河が夜の闇の中に溶けて行く。


「だから、おまえはもう少し子供になれよ。汚い大人のふりなんて大人になりゃたくさん出来るんだから」
「――ッ」

足音さえ消え失せた頃にようやく止まった時間が動き出しす。
寒い場所にずっと立っていたからだろう足が凍りついてしまっていた。

「くそっ」

凍りついた足と苛立ちを振り払う如く二、三足踏みをする。
足は容易く動いたが胸の内に溜まった気持ちは未だに燻り続けて流れ出してくれない。

「鬱陶しいお節介狸オヤジめ」

罵って歩き出す。
アル中のせいでせっかく早めに仕事を切り上げたのに時間がかかってしまった。
早く帰ろう。



きっと家で紫苑が待っていてくれるだろうから。

END

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