JR@

□捨てられた皮膚
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「俺、Jくんとひとつになれたらよかったな。」

鏡の中の隆一が、口元の笑みにはあまりに不釣り合いな、ひたむきな目で俺を見るから。

俺は思わず手にした鋏を取り落としそうになった。





隆一の長く伸びた前髪が端から見ていると目に入りそうで、本人も割と鬱陶しそうだったので、食事中に切ってやると申し出た。

「え?Jくんが?結構ですって。」

嫌がる奴をひっ捕まえて無理矢理家に連行して、鏡の前に座らせた。

隆一は納得しない様子で、それでも俺がどこか普段と違うと察したのだろう。部屋に入ってからは、もう抵抗することも無かった。

「切りすぎないでね。」

不安そうな声を出すのを無視して、鋏を入れる。

隆一は、きっと腑に落ちていない。仕事上黙っていても他人がやってくれる作業を、なぜ敢えて俺がやりたがるのか。しかも自宅に連れて来てまで。

もし聞かれたとしても、答えられないことを俺は知っている。自分自身、その理由が覚束ないからだ。

ただ無性に、切ってやりたいと思った。

長めの前髪は、奴の顔立ちにとてもよく似合う。

俺はそこに、正しく奴を構成するその部分に触れたかった。

関わりたかった。

奴の内部に、核心に届かないなら。暴くことができないのなら。せめて。

だが、それを悟られてはならない。

俺と正反対の真っ直ぐで黒い髪は、見た目より柔らかく、指の間をするすると通り抜けてゆく。

隆一らしい髪だ。

目前で動かされる鋏と切り落とされる毛束に隆一は瞼を伏せ、集中している俺との間に会話も無く、ただ鋏の開閉する小気味良い音だけが響く。





俺の望みは、きっと何度も何度も再生しすぎたせいで擦り切れてしまった。





俺が知る限りの隆一の断片。全てかき集めて、自分の中に完璧な奴の像を描き出そうとする。

けれど不足していた。いつも。

それは隆一を構成している核のようなもの。俺が未だ、見ることの叶わないものだ。

もっと知りたいと思う。

奴のことを。もっともっと知りたい。

生きている限り人は変化を免れない。滑らかな黒い髪が何度切り落とされても、明日も明後日もその次の日もなお、絶え間無く再生し続ける事を止められないように。

隆一は変わり、それは俺もまた同じだ。

だからこそ。変わらないものを俺は見たい。





傍らに鋏を置き、隆一の顔に手をやった。

小作りな鼻梁をなぞり、張り付いた毛束を落としてやる。

隆一の顔は独特だ。薄いけれど一つ一つが繊細な造形をしていると思う。

はっとするほど美しい、というわけではないが、ずっと見ていると癖になる。中毒性を持っている。そんな顔だ。

くすぐったいのか、俺にここまで奉仕されることに少し緊張しているのか、薄く目を開いたまま身体を硬くして動かない。

細い睫毛がせわしなく何度も上下する。

はじめての距離だ。

顔を覗き込んで。頬に触れて。

口元にも付いた毛束を指先で払い落としてやってから、俺はゆっくりと離れた。

「終わり?」

「ああ。」

ふっと肩の力を抜いた隆一は、鏡の中を確認する。

こわごわといった体だったが、すぐにその表情は綻んだ。

「上手だね。」

意外に。そう言って微笑んだ隆一は、鏡越しに俺と視線を合わせた。





「Jくん。」

「どうした?」

「俺、Jくんとひとつになれたらよかったな。」





俺はしまおうと手にしていた鋏を、取り落としそうになった。





鏡の中の隆一は笑っているくせに、冗談にしてはひたむきすぎる眼差しをしている。

その奥で俺が求めてやまなかった、決して迫ることのできなかった核心が手招きしている。

願望が見せる錯覚なのかもしれない。だが

知りたいという衝動が俺をおかしくする。

「ひとつになる」という言葉を、隆一がどんな意味で使ったのかは知れない。

肉体的に。精神的に。あるいはその両方。どれにせよ。

ひどく甘美に、それは響いた。

俺が答えずいると、隆一は甘く穏やかな声で、詠うように続ける。

「ひとつになったら。もう手の届かない場所なんて無くなるのにね。」

共鳴できない不安も。思い通りにならないもどかしさも。全部無くなって。

言葉にしなくても、全てがわかり合えるようになるのに。





知りたい。暴きたい。ひとつになりたい。

奴の核心を抉り出したい。





後ろから近付いて、奴の身体にそっと腕を回した。

手にしたままの鋏が頚動脈の辺りに触れ、ひんやりとした硬質に隆一が軽く身じろぎする。

振り払われることは無かった。

待ち望んでいたように、隆一の笑みは崩れ、歪み。

今、泣き出しそうになるこの感情が、どちらのものなのかもわからず。

俺は、狂ったようにどくどくと生命を刻む、その首筋に頬を埋める。

奴の冷たく細い指先が縋るように、抱き締めた手の節をなぞるように添わされ。重ね合った手のひらごと、鋏の先端を自らの血管に導いて喰い込ませる。

鏡の中、少しも似ていないはずのふたりはずっと同じものを見つめていた。何度も何度も再生して擦り切れた望みを、突然その白い手が掬い上げ、強引に未来へと繋げようとしている。

いとしさに力を込めた。熱い吐息が皮膚にかかり、弱々しくかすれた声が俺の鼓膜を震わせる。





「入ってきて。」

おれのなかに





揺らめきながら、背中を預けてくる。それは、希望の重さだった。










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