JR@
□は ざ 間 の ひ と
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今でも思う。
あれは俺が犯した、人生で最もひどい過ちだった。
事の発端は、数ヶ月ほど前。
ライブが終わった後で。控え室に顔を見せた杉と隆一の二人を、俺は打ち上げに誘った。
二人ともその後の予定は無かったから、スタッフも入れた飲み会で適当に盛り上がり、杉の提案で俺達は奴の家で飲み直すことになった。
いつになくはしゃいでいた様子の隆一は、部屋に着いた時点で既に足取りが怪しく。杉の身体にもたれかかるように密着して、耳元でひそひそと何事かを囁きながら、一人で笑っている。
こいつら。本当に仲が良いんだな。
杉が隆一の才能に惚れ込んでいるのは、自他共に認める事実だ。
きっと今でも。手放したことを後悔してるに違いない。
ましてや。こうしてプライベートでも交流が深いとなれば尚更だろう。
隆一を見る杉の眼には。いつだって、そんな感情が滲み出ているような気がした。
「じぇーいー!じぇいってばあ!!」
フローリングの上に腰を下ろして寛いでいると、突然後ろからのしかかられる。
「じぇい、全然酔ってないでしょ?ダメだよぉ。今日はじぇいが主役なんだからさあ。」
言って、俺のグラスに酒を注ごうとする。
手元がぐらぐらして、危なっかしいことこの上ない。
この覚束なさはまずい。止めるべきか、と逡巡しているところに。
棒のように細い腕が横から伸びてきて、隆一の手からウォッカの瓶を奪った。
「隆!!いいから!!隆はお客さんなんだから、今日はゆっくりしてて。全部、俺がやるから。ね?」
「えー?なんで?杉ちゃん、俺のつくったお酒好きでしょ?」
隆一は、何度かこの家に来たことがあるようだ。
さっきも。足取りは危なかったものの、やけに慣れた様子で、キッチンからグラスやら酒瓶やらを調達してきた。
この年になると。新しい友人関係を築くのは、なかなか難しい。
隆一にとっても、杉にとっても。こんな風に打ち解けられる友人は、他に無いのかもしれないと思った。
俺に注がせろと喚く隆一を、なんとか宥めすかして。
ようやく静かに飲めると一息ついて、グラスを空ける。
今日のライブの出来なんかについて杉と意見を交わしながら、数回グラスを空にしたところで。ふと気付くと。
隆一がフローリングの上に丸まって、すっかり寝息を立てていた。
どうもおとなしいと思ったら。そういうことか。
「あーあ。寝ちゃった。」
そう呟いて。隆一の寝顔を覗き込んだ、杉の眼差しに。
俺は、ある種の違和感を持つ。
隆一の才能に惚れている、奴の視線。それとは異質の何か、得体の知れない感情が。
そこに渦巻いて。俺の前で、無意識に。あるいは意図的に。その片鱗を露わにした。
そんな印象を受けて。
どうしてか。言いようの無い悪寒が、背筋を駆け抜けた。
「隆。こんなところで寝ないで。俺のベッド使っていいから。」
かろうじて返事を返したように見えた隆一を、杉が支えるように寝室まで連れて行った。
しばらくして戻って来た杉は。やれやれといった感じで息をついている。
「えらくご機嫌だったな。今日は。」
寝室を顎で示してやると、杉は唇の端を吊り上げて笑った。
「Jがいたからね。嬉しくてきっと、はしゃぎすぎちゃったんじゃない?」
「はあ?なんで俺?」
「ああ見えてね。隆はJのこと気に入ってるんだよ。もっと親しくしたいって、思ってるんだから。」
だから。これからも、時々構ってあげなよ。
見るからに良い奴そのものの笑顔で。一見、思いやりに満ちた台詞を口にしたくせに。
杉の瞳の奥は。暗く、淀みきっていて。
少しも笑っていないことに気付いた。俺は。
「まあ・・・機会があればな。」
そんな。当り障りの無い返答をするだけで、精一杯だった。
鳴き声で。目が覚めた。
耳元のすぐ傍で。子猫らしき鳴き声が聞こえたような気がした。
だが。よくよく考えれば、こんなところに猫なんているはずが無い。
夢でも見ていたのだろうか。
酒のせいで、喉がからからに渇いている。
水がほしい。
灯りが消えたリビングの中。ソファの上で身を起こすと。隣で床の上に寝ていたはずの、杉の姿が無い。
普通なら。トイレにでも行ったのだろうと、さほど不審に思う理由も無いはずなのに。
なぜか。嫌な予感がした。
キッチンで水だけ飲んで。また。そのまま眼を閉じてしまえば。
よかったのに。どうして。
予感の正体を。突き止めようなんて空恐ろしいことを。
俺は。選んでしまったのだろう。
酔いは完全に去っていた。
しっかりとした歩みで。気配だけ潜めて。
俺は。隆一が寝ているはずの、杉の寝室へ向かう。
扉が薄く開いている。
単に閉め忘れただけか。それとも。
暗がりに。眼を凝らす。
寝室の。ベッドの上で。
隆一の身体の上に、杉が覆い被さっていた。
二人とも。何も身に着けていない。
下着さえも。何も。
ぼんやりと浮かび上がる。二つの白い裸体が。その光景を、どこかリアルさに欠けたもののように見せている。
でも。現実だ。これは。
隆一の両脚は高々と抱え上げられ、その下半身には杉の腰が密着して。激しく律動していた。
何をしているかなんて。誰の目にも明らかだ。
杉の動きに合わせて、隆一の白い足首がゆらゆらと揺れる。
ベッドのスプリングが軋むかすかな音と。どちらのものともつかない、荒い吐息だけが。部屋の密度を異常に濃くしていて。
息苦しさに。意識が遠のいた。
こんなものを。見てはいけない。
早く。この場を立ち去らなければ。
頭のどこかで。誰かがそう叫ぶのに。
俺の両足は。まるでそこに、根を張ってしまったかのように。
ぴくりとも動かず。ただ。
二体の皮膚がぶつかり合う生々しい音を。遠く向こうで聞いているしかなかった。
やがて。糸が切れたように。
杉の身体が隆一の上に倒れ込んで。奴が射精したのだとわかる。
首筋に顔を埋めて。大きく上下するその背中に。隆一の両腕が回されるのが見えた。
その瞬間。
杉の背中越しに。隆一の視線が。
俺を。捉えた。
しまった、と。思った。
なぜもっと早く。この場を逃げ出していなかったのだろう。と。
後悔した。
見てはいけなかったのだ。知ってはいけなかった。絶対に。
いや。
本当は。見たくも、知りたくもなかった。
忘れたい。今見たことを全部。今すぐに。
消し去りたい。
混乱し。真っ白になる視界の中で。
隆一が。笑った。
初めて見た、他人の。しかも男同士のセックスは。
それから。様々な悪夢へと姿を変えて。俺の精神を苛み続けることとなる。
あの時は、突然すぎて。頭がぐちゃぐちゃで。何も考えられなかった。でも。
翌朝。何事も無かったかのように、俺の前で会話している奴等を見て。
気色悪さに。鳥肌が立った。
そういう趣味の連中が存在することを。否定はしない。
だが。理解と感情とは種類が別だ。
どんなに理解を示すことができても。気持ち悪いという不快感を拭い去ることはできない。
せいぜい。それが表に出ないように善処するだけだ。
今。同じバンドのメンバーとして活動していなかったのは、不幸中の幸いだと思う。
とてもじゃないが。レコーディングや撮影で、ほぼ毎日顔を合わせるという状況では。平静を保っていられる自信が無い。
いのの奴ほど、ポーカーフェイスが得意じゃない。自分の性質はわかっている。
俺には関係無いことだ。
そう思って、割り切るしかないのだろう。
見なかったことにして。忘れるしかないのだろう。
「また。飲もうね。」
気分が悪くなって。一刻も早く、その空間を立ち去りたくて。
一足先に出て行く俺を見送った、隆一の唇は。
意味ありげな微笑の形に。歪んでいた。
反吐が出そうだ。
自分がこんなにも。同性愛への嫌悪感を強く持っていたなんて、知らなかった。
自分でも。驚いている。
身近な人間だからというのもあるのだろうか。
正直、しばらくは。奴等の顔を見る気がしない。
見たくない。
以前から。妙に仲が良いとは思っていた。
だけどまさか、あんな関係になっているとは。想像の範疇を超えている。
いったい。いつからなんだろう。
バンドとして活動していた頃から。なんだろうか。
メンバーの誰一人知らないところで。
あんな風に。
考えれば考えるほど。気分が悪くなった。
忘れたいのに。何度も何度も反芻してしまう。
反復により、記憶は一層、色鮮やかになる。
隆一の白い裸体。
揺れていた、細い足首。
快楽の余韻を灯し。熱に浮かされたように潤んで。
俺に、微笑みかけた。
黒い瞳。
本当に。俺はそれを見たんだろうか。
あの暗がりの中で。表情まではっきりと見えるはずがないような気もしてくる。
だとしたら。あれは。
いや。幻にしても。たちが悪い。
いっそ、全てが幻影だったら。どんなによかっただろう。
そんな。まるで悪夢のような記憶に。俺が悩まされ続けているさなか。
隆一から。会いたいというメールがあった。
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