JR@

□は ざ 間 の ひ と
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隆一は。何も抵抗しなかった。

襟を掴んでいたはずの手は、いつの間にか。顎を強く捉えて。上向かせて。

僅かに開いた唇の隙間から。舌を滑り込ませる。

噛み付かれるかもしれないと。警戒したのに。

熱くて柔らかい舌は。巧妙な動きで絡み付いてきた。

もっと、ほしいと。乞うかのように。

求められるままに。時間を忘れて。

ただひたすら。絡め合う。

隆一の、鼻に抜けるような声が。かすかに響いて。

嘔吐にも似た強い感情が。肺を突き上げて。

息苦しさに。酸素を求めた俺は。

隆一の両肩を掴んで、押しやった。

まるきり無防備な顔をして、俺を見上げる。奴の頬には。

涙が。伝っていた。






「J。好きだよ。」






俺。Jだったら、よかった。

Jだったら。Jになれたら。

よかったのに。






呪わしいほどの静寂が、支配する。

どれくらい経ったのかも。わからない。

俺は。動揺していた。

自分の起こした行動にも。

初めて見る。隆一の涙にも。

まさか。泣かせてしまうとは。

予想外だ。

同時に。この涙は、本物だろうか。と。

頭の片隅で。そんなことを考えた。

その間にも、まさに滂沱といった有様で。涙は次から次へと溢れ出る。

こいつが泣いている理由も。言っていることの意味も。俺には全く、理解不能だ。

ただ一つ。確からしいのは。

こいつが、どうやら。俺のことを。いわゆるそういう意味で。好きかもしれないってことぐらいで。

くそ。どうすりゃいいってんだ。

行き場を無くした両手を、震える肩の上に置いたまま。

それから先、どうすれば。どう言えばいいのかが。全くわからない。

「泣くんじゃねえよ。」

ようやく吐き出すことができたのは。そんなありふれた文句でしかなかった。

だが、言葉一つで。涙が止まるはずも無く。

隆一は。濡れた瞳のまま。俺の腕を握り締めてくる。

「ねえ。J。」

「なんだよ。」

「セックスしよう。」

「バカなこと言うな。」

「どうして。俺、本気だよ。俺、Jとしたい。」

胸の中に滑り込もうと身体を寄せてくるので。必死で肩を押して。その動きを牽制した。

「俺はゲイじゃねえんだよ。だから無理だ。」

「さっき。キスしたくせに。」

ぐっと言葉に詰まってしまう。

それを言われると。立場が無い。

自分でもわからないのだ。

どうして。あんなことをしてしまったのか。

咎めるような視線が痛い。

痛すぎる。

「だいたい。杉はどうすんだよ。もしバレたら、あいつ怒り狂うんじゃねえの?」

問題のすり替えだ。卑怯かもしれないが、場を治めるには仕方ない。

「杉ちゃんには内緒だよ。Jが俺に無理矢理キスしたことも。黙っててあげる。」

「なんだよそれ。」

今度は脅迫か。

目に涙さえ浮かべておきながら。こんなに狡猾に、人を脅すことのできる人間がいるなんて。

信じられない。

「Jは何もしなくていいよ。ただ、寝てるだけでいいから。だから。しよう。」

「勘弁してくれ。」

もう心底、弱りきって。うなだれる他ない俺に。

奴は、恨みがましさのたっぷりこもった声で。ただ一言。

「臆病者。」

とだけ、投げ付けて。

堰を切ったように。また、涙を溢れさせた。

見てはいけないものを見てしまった。

俺の罪に対する。これが、罰なのかもしれない。






その夜は。結局。

完全に安定性を欠いてしまった、隆一を宥めすかすだけで過ぎてゆき。

挙句の果てには。子供のように泣き疲れて眠ってしまった奴に、ベッドまで貸し与え。

それだけで。何も無かった。

と、言いたいところだが。

実際は。眠りに就く前の隆一に。せがまれて。

拒みきれず。もう一度だけ。キスをしてしまった。

疲れ果てた。

本当に。






時間というのは。実にありがたいもので。

数ヶ月が過ぎた。今。

俺を脅かした、衝撃的な一連の出来事も。少しずつだが、思い出さなくなりつつある。

隆一と杉の二人とは。あれから一度も会ってはいない。

三人で顔を合わせて、平然とした表情を保てるまでには。まだあといくらか、時間がほしいところだ。少なくとも、俺は。

そんな折。

もうほとんど腐れ縁と言ってもいい。幼なじみの元メンバーから、飲みに行かないかと誘いがかかった。

最近では珍しいことだったが、積もる話でもあるのだろう。気の置けない飲みは久々だったから、俺の方も意気揚揚と約束の場所に出向いた。

だが。そこで。

俺は。予想だにせぬ現実を、味わうこととなる。

バーのカウンターで。

最初に俺を見つけて。手を振ったのは。

いのではなく。隆一だった。

奴の隣で。俺を見ても、にこりともしない。無表情な、いのの左手首には。

隆一の手首にあるのと、全く同じ。ブレスレットが、はまっていた。

まるで、それは。

手枷のように。

「本気かよ。」

まさかと思いながらも。隆一がトイレに立ったのを見計らって、俺は尋ねた。

グラスを傾ける、左手首に視線を注ぎながら。

それだけで、奴は。質問の意図を察したらしく。

まあね、と。

俺の顔を見ないまま。短く答えて。

笑った。

長い付き合いの中で。一度も見たことの無い、横顔だった。

その時。俺は。

全身を包み込む怖気と。同時に。

心から。安堵した。

隆一の。潤んだ瞳に捕えられて。

キスより、先をしなかった。あの夜の自分を。

自分で、抱きしめてやりたいと思う。






今なら、わかる。

あれは、俺が掴んだ。人生で最も正しい、選択だった。









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