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□Cherry Blossom Fairy Tale/2
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シーツの上に敷いていたバスタオルに。桜色の染みができている。
それが血液だと悟って。どきりとした。
たちまち。罪の意識が甦る。
「ごめん。」
考えるより早く。謝罪の台詞が、口を突いた。
「どうしたの?」
隆一は裸のまま寝そべって。まだ、ぼんやりした視線を送ってくる。
「ちょっと。血、出たみたい。」
一瞬。なんのことかわからないといった態で、きょとんとしていた君は。
やがて。弾かれたように、けらけらと笑い出した。
「なんだ。どうりで、痛いと思った。」
「やっぱ・・・痛かった?」
「そりゃもう。すっごく。」
「・・・ほんと。ごめん。」
最低だ。
相手は病人で。いや、ただの病人じゃない。生きるか死ぬかの瀬戸際にいる。とんでもない重病人だってのに。こんなことして。
しかも。自分ばかり気持ちよくて。乱暴で、一方的なセックスにも程がある。
数分前までの高揚感はどこへやら。これ以上無いってくらい、落ち込んで。自分を責めたけど。
糊の効きすぎたシーツにくるまって。満足げな笑みを浮かべる。君の口からは。
「いのちゃんって、あんな顔していくんだって。それ見れたから、もういいや。」
さり気無く。
凄い発言が出た。
今度はこっちが、ぽかんと口を開けてしまう。
あんな顔って。
一体、どんな顔。してたっていうんだろ。
つか。死ぬほど恥ずかしいんですけど。
空気読んでほしい。少しは。
でも。
君が。そこにいて。
こんな、どうしようもないような。くだらない会話を交わして。
無邪気に、笑ってくれている。それだけで。
俺は、ほんの少しだけれど。肩の力が抜ける。
安心することができる。
ベッドはさすがに。男二人が並んで寝られるような代物じゃなかったから。
それぞれの寝床に潜り込んで。照明を落とした。
真っ暗になるのは嫌で。だから、顔が見える程度に。
備え付けの浴衣は、薄っぺらくて。少し寒い。
肌触りが決して良いとは言えない、安っぽいシーツの冷たさが。薄い布地越しに伝わってくる。
隆一には。俺の部屋から持ってきたジャージを着せてやった。
昨日。俺の部屋を訪れた時。隆一は手ぶらだったから。
もしも、そのまま入院することになったら必要だろうと。寝間着代わりに持ってきたものだ。
狭いホテルの部屋で。小さなベッドを並べて。
こんなに、近くにいるってのに。
手を伸ばせば届きそうな、僅かな隙間さえ。今は。遠く感じる。
本当は、さっきまでのように。どこもかしこも、ぴったりくっ付いて。眠りたかった。
触れ合っていないと、不安だなんて。
つくづく。どうかしていると思う。
おやすみを言った後だってのに。君の様子が気になって。仕方なくて。
何度も身体の具合を尋ねては、謝罪を繰り返してしまう俺に。
とうとう君は臍を曲げて。次に「ごめん」の三文字を言ったら、「一生、いのちゃんのこと許さない。」宣言をされてしまった。
それだけは困る。ものすごく。
「それにね。」
ころりと寝返りを打って。膨れっ面がこちらを向いた。
「俺も。いのちゃんに謝らないと。」
「なんで。」
「背中。爪の痕、付いちゃった。」
「なんだ。そんなこと。」
確かに。背中にぴりっとした痛みは感じたけれど。
そんなの、全然。たいした問題じゃない。
ここまできて。そんなことを気にするなんて。
背中の爪痕が消えるよりも。すぐに。
俺が。君以外の誰かと寝るなんて。
そんな想像を、したっていうんだろうか。
もしも。そうなら。
冗談でも、そんなこと。思わないでほしい。
信じてほしい。
もっと。俺は。
君の傍に。いたいのに。
「隆ちゃん。」
「なに。」
「このままさ。病院行くの、やめちゃおっか。」
「やめて。どうするの。」
「わかんないけど。ふたりで。誰も知らない。どっか遠いところに行って。」
夢みたいな話だけれど。
「本気?」
「うん。」
本当だ。
その時の俺は。本当に。
すべてを、捨ててもいいと。思ってた。
決して切り離せない。自分の一部だと思ってた、仕事も。応援してくれる人達も。
ともに歩み、競い。励まし合ってきた仲間も。
俺を見守り、育ててくれた。大切な、家族も。
みんな、捨てて。
他に誰もいない。何も無い。ふたりだけの場所で。
毎日。キスをして。セックスをして。
愛してると言って。笑い合って。
君が眠りに就く、その日まで。
ずっと。傍にいる。
死にゆく君に。嘘なんかつかない。
だから。
「最期は。俺の傍で、死んで。」
信じてた。
君は俺を。受け容れるって。
身体を繋げた時みたいに。戸惑いながらも。恥じらいながらも。
恐れながらも。
手をとってくれるって。俺とともにある、永遠に続く夢のような。明日を選んでくれるって。そう。
思い込んでいた。
なのに。
「できない。」
おとぎ話のような。未来を。
君は。
「どうして。」
自分でもびっくりするくらい。掠れて、情けない声が出る。
隆一は。俺の方を見ない。
無言で。天井を凝視している。
時間が静止しているような。錯覚。
呼吸のために、胸の辺りが上下する。規則正しい、それ以外は。
まるで。人形のようだと思った。
やがて、宙を睨んだまま。ぽつぽつと話し出す。
「いのちゃんは。本気だけど、本気じゃないから。」
「どういう意味。」
「正直、いのちゃんが。こんなこと言ってくれると思わなかったし。俺と寝てくれるなんて。思わなかった。」
同じだ。俺だって。
さっき。自覚したばかりなんだ。
こんなに、君のことが。好きだなんて。
「でも、いのちゃんは。俺が病気じゃなくても。同じこと、言ってくれた?」
それは。
「俺が死ぬって知らなくても。セックスしようって。思った?」
言葉が出ない。
「きっと。言わなかったと思うし、しなかったと思う。いのちゃんが、愛してるって言ってくれた時。すごく嬉しかったけど。わかってしまったから。」
そんな話。
聞きたくない。
「いのちゃんが愛してるのは。病気になって、もうすぐ死んでゆく。俺なんだって。」
「違う。さっき、同情じゃないって言った。」
「そうだね。それも、いのちゃんの本心だよね。責めてるわけじゃないんだ。ただ。」
「もう。わかったよ。」
たまらなくなって。君の言葉を遮った。
隆一の言いたいことは。わかる。
確かに俺は。君がこんなことにならなければ。自分の気持ちに気付くことすら無く。
想いを告げたり。衝動的に身体を重ねたりすることも。無かったんだろう。
だからって。
君のことが、愛しいという。この感情に、嘘は無い。
どう言えば。信じてもらえるんだ。
こんなことは、単なるきっかけに過ぎなくて。
俺はずっと。君のことを。
「俺もね、ずるいから。いのちゃんの気持ち。よくわかる。」
胸が。苦しい。
「本当は、最初から。いのちゃんが、俺のこと好きなのかもって。なんとなく感じてた。だから。」
いのちゃんの部屋に、行ったんだよ。と。
セックスの後で。そんな告白をする。君は。
俺と。同じくらいずるくて。
同じくらい。愚かだ。
君は、最後まで。
俺のことを好きだとは。言わなかった。
それどころか。愛してると告げた、俺の気持ちさえも。
君は。自ら、否定して。
真実じゃない、単なる。きれいなだけの、作り物にして。
独りきりで。全部、抱え込んで。
俺の傍から、去ろうとしている。
きっと、君は。怖かったんだ。
死にゆく自分の言葉で。これからも生きてゆくであろう俺を。
ずくずくと膿んで痛み続ける。甘い傷のような過去に。縛り付けてしまうことが。
本当は。
『俺を。忘れないで。』
そう、言いたかったに。違いないのに。
ばかだ。
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