IR続き物
□ G ノースマリンドライヴ/1
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明日が怖いって。思ったことある?
助手席に座る君の口から飛び出した。唐突すぎる質問の。
その、本当のせつなさに気が付くのは。それからもう少し後のことになる。
数回のコール音で電話に出た隆一に、「少し会わない?」って切り出したのは何日か前。
互いのスケジュールの合間を縫うようにして、ぽっかりと見つかった空白の半日。これって奇跡だとか運命だとか思っちゃっても罰は当たらないんだろうか。
天気もよくてのんびりとした雰囲気の昼下がり。仕事場まで迎えに行った俺の前に現れた君は。なんだか無理して笑ってるようにも見えて。
俺の傍にいる時だけは。そんな顔させたくないと思う。
どこに行くかを尋ねる前に。君は珍しく自分の希望を口にした。
「行きたい所があるんだ。」と。
それは俺もよく知っている場所で。
君が好きで。よく行くって言ってた場所だったから。
頷いてハンドルを切る俺の隣で、君は外ばかり眺めていた。
あらゆる感情を全部、雲の上にでも飛ばしてしまったみたいに。
君の横顔は、虚ろできれいだった。
一言も話さないまま。目的地だけが近付く。
隆一は別に、俺に嫌がらせをしたくてだんまりを決め込んでいるとか。そんなんじゃないようだ。
この感じは。ふたりで並んでチェリーパイを食べた。あの時とちょっと似てる。
あれからずっと。こうしてふたりだけで会うことも無かったけれど。
今日。君が待っていてくれてよかった。
これでも散々悩み抜いて。もう一度だけ。向き合ってみようと決めたんだから。
君からも。自分からも。逃げずに。
そんなことを改めて思い返していたら、
「いのちゃんはさ。」
隆一が突然話し掛けてくるから。びっくりした。
びっくりして。思わず隣を振り向いたけど。隆一は相変わらず、窓の外に流れる景色を見つめてる。
頑なに。そこから目を離さないまま。
唐突すぎる質問を。君は言葉に乗せた。
明日が怖いって。思ったことある?
その意味が。俺にはなんとなくだけれどわかるような気がした。
でも。
言葉にはしなかった。
今、言葉にしたら。壊れて消えてしまう気がした。
だから。嘘をついた。
「よくわかんないけど。隆ちゃんは、怖いの?」
明日が。
隆一は、答えなかった。
君はいつもそうだ。
いつだって君は。本当に伝えたいことばかり隠してしまう。
苛立って、アクセルを踏む足に力が入った。
急加速で。空と海の混ざり合う境界が過ぎ去ってゆく。
もう弱くなった陽の光を反射する。波間は穏やかで、優しい色をしていた。
砂から生えた草の隙間を器用に歩いて行く。隆一の背中を追いかけた。
長めに残した耳横の髪が、海風にそよいでいる。
季節はずれのせいなのか。それとも穏やかすぎる波のせいか。サーファーが数人、他には誰もいない。
この海は、ひどく静かだ。
打ち寄せる波の音さえも、ひたすら静けさを叫んでるみたいで。
勝手知ったる風情で、どんどん歩を進める隆一は。やがて、小さな小屋の前に辿り着いた。
「何、ここ?」
どう見ても、人が住んでいるようには見えない。いや、住めるように見えない。
『あばら屋』ってほどではないけれど。廃屋の趣くらいは充分に漂う。そんな木造の、本当に小さな小屋だった。
思い切り不満そうな声を出す俺がおかしかったのか。隆一はほんの少しだけ口元を綻ばせて。迷い無く中へと入って行く。
慌てて後を追った。
小屋の中は外観に似合わず小奇麗で。潮風のせいで外壁だけ腐蝕が早いのかもしれない。
意外にも、電気なんかがあることに驚いた。いかにも質素な裸電球ではあったけど。
君がどうしてこんなところを知ってるのかはわからない。勝手に入っていいのかも知らない。でも。
今はそんなこと。きっとたいした問題じゃない。
椅子が無いので、と言うか家具全般が無いので。ふたりして壁際に腰を下ろす。
脚を投げ出す俺の隣で。隆一は体育座りみたいに膝を折っていた。
その姿が。なんだかちょっと寒そうで。
俺は別に寒くなかったから。ジャケットを脱いで肩にかけてやろうかとも思ったけど。
君は女の子じゃないし。そんな風に扱うのも扱われるのも気持ち悪いと思ったから。やめておいた。
狭い小屋の中は海風をたっぷり吸い込んだ木のせいで、むせ返るような潮の匂いに満ちている。
こんなところにふたりで来て。並んで座って。
まるで子供みたいだ。
折り曲げた膝の上に両肘をかけて、自分の爪先だけ睨み付けるようにじっと見ている。君の仕草がますますあどけなさを主張していて。
今日こそは。本当の君に逢えるような気がするから。
君がこれから話すこと、全部。零れ落ちないように掬い取って。
忘れずにいたい。
「最近、怖いんだ。」
隆一のため息が。かすかに空気を震わせる。
「明日が来るのが怖くて。時々思う。寝る前に。このままもう二度と、目が覚めなければいいのにって。」
外気に触れただけで壊れてしまいそうな、その声の。あまりのはかなさと脆さに。意味もわからず泣き出しそうになる。
叫び出したくなる。
「それって。俺のせい?」
率直に訊いた。
逸る感情を抑えられない。
知りたかった。君の気持ちが。
心臓が早いペースで警鐘を鳴らしてる。いや。
祝福の鐘なのかもしれない。
隆一は、たっぷりと間を置いて。
最後まで目を合わせずに。それでも。
「たぶんね。」
せつなさを内包した。その響きで。
肺の中いっぱいに。温かいものが広がってく。
やっと。君の言葉を聴くことができた。
同じなんだ。
「俺も。怖かったよ。」
そう。怖かった。
ずっと。
「隆ちゃんのことも。」
それから。
「変わってく自分も。」
君が言葉の意味を理解する。その前に。
細い手首を掴んで、力任せに引き寄せた。
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