IR続き物
□ J ストロベリィ・マカロン
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「いつにも増して、ぼーっとしてる」 なんていうのは。
もう腐れ縁としか思えない。いい加減、顔も見飽きた。幼なじみの発言だった。
つか。『いつにも増して』 って。なんだ。
一応、疑ってみるけど。今だけじゃなくて 「大体毎回ぼーっとしてる」 って意味が、暗に含まれてるのか。それは。
ムカつく。
わざと、思いっきり冷たい眼で睨んでやったら。からかうように、お手上げポーズをされた。
もう、無視してやろうか。こいつ。
黙ったまま酒をあおれば。多少酔ってるせいもあるのか、ライブがうまくいって調子こいてんのか。まだ、しつこく絡んでくるから。
今度こそ。本当に呆れた。
「女でもできたか。」
いかにも楽しげに、にやにやしてる。
別に、すっとぼけてもよかった。いつもなら、迷わずそうしてる。
でも。その日は。
なんだか妙に。癪に障って。
後から思い返せば。自分も酔った勢いってやつだったのかもしれないけど。
とにかく。言わずにはいられない、気分になったから。
「つか。むしろ逆。」
迂闊すぎる一言が。奇妙な人生相談らしきものの、幕開けとなってしまった。
笑えない。
バーカウンターで隣に腰掛けた小野瀬は、あからさまに好奇心むき出しだ。
俺と同じで。いつもなら他人の色恋沙汰なんかに、興味を示さない奴だけど。
珍しかったんだろうな。俺がそんな話題に、自分から釣られるのが。
「逆って。なんだよ。」
ほら。声がちょっと弾んでる。おかしさを隠しきれてないっつの。
「だから。そのままの意味だけど。」
「女に・・・ふられたって?」
「うーん・・・まあ。」
女じゃないけど。
「ふられたっていうか。トラブった。」
「やばいのか?」
「かもね。」
そう、思いたくはないけど。
淡々としゃべってるけど。こう見えて。
実は、結構。へこんでる。
「原因はなんだよ。浮気か?」
浮気って。
むしろ。俺が、浮気相手なんですけど。
いや。俺の彼女にしてみたら。俺も浮気してるってことになるのかなあ。
その辺は、どうしても。深く考えたくない。
頭が、こんがらがる。
「俺の知ってるやつ?」
「いや。」
知ってるも何も。って感じなんだけど。
ここは、絶対。嘘しかない。
「どんな女だよ。」
「どんなって?」
「顔とか身体とか。年とか。」
そっちかよ。素で軽蔑の視線を向けてしまったけど。小野瀬は全く気付いてない。
おめでたいよな。まったく。
付き合ってるって言っていいものかは、激しく疑問だけど。まさか相手が隆一だなんて。こいつには、絶対に思い付かない発想なんだろうな。
小野瀬は、こう見えて。かなり常識的で。まともな奴で。
自分の信念に対しては、まっすぐなんだけど。悪く言えば、度量の狭いところもあって。
俺が最初から。同性愛に対する偏見が、比較的薄かったのとは逆に。ゲイに対する嫌悪感は、こいつの方が強いと思う。絶対。
だから。どんなことがあっても、知られるわけにはいかない。
相手が男だってことはもちろん。ましてや、それが隆一だなんて。
あれ。だったらなんで。
俺はこいつに。恋愛相談みたいなことしてるんだ。
自分から危ない橋渡って、どうするんだよ。
ああ、でも。もしかしたら。
俺は。誰かに聞いてほしいのかな。
柄にも無く。君との今後に、迷っちゃったりしてるんだろうか。実は。
なんせ不倫みたいなもん・・・てか、不倫なのか?
基本的なところからして、あやふやだし。
君との関係が。身近な他人から見たら、どんな名前の付くものなのか。
確かめたいなんて。そんな、危険すぎる賭け。
「小野瀬さ。」
「ん?」
「不倫したことある?」
その質問を口にした途端。辺りはまるで、水を打ったように静まり返って。
ジム・モリスンの、けだるい唄声だけが。間延びした空気を、ずるずると通り過ぎて行って。
『 This is the end 』 だなんて。
縁起でもない。
小野瀬はと言えば。決して大きいとは言えない目を、一生懸命見開いて。
まるきりぽかんとした表情で。俺のこと見つめたまま。固まってる。
貴重だな。この顔。
記念に、写メっときたいくらいだ。
さっきも言ったけど。こいつのラフな頭の中身は、意外とモラリスティックに整頓されていて。
まっすぐで。汚れたものが、嫌いな奴だから。
酒も入ってるし。下手したら怒鳴られるかもなんて。思ったんだけど。
「不倫してんのか。お前。」
返って来たのは。
予想外にも落ち着いた。静かな声、だった。
「て、言うか。相手が結婚してる。」
「不倫じゃねえかよ・・・」
長いため息をついて、頭を抱える。
「お前なあ・・・不倫なんて。しかも、この年になって。どうすんだよ。」
責めるような響きじゃなかった。本当に俺を心配しているような。そんな言い方だった。
なんだかんだ言って。いい奴なんだよな。ほんとは。
今更こんな風に思うの、ちょっと気持ち悪いけど。
「不倫かどうかも。微妙なんだけどね。」
「は?」
「逆に訊きたいんだけどさ。どういうことしたら、不倫なんだと思う?」
俺の返しに不意を突かれたのか。小野瀬の眉間は困惑を表現して。歪んだ。
「そりゃあ・・・やることやってたらだろ。」
「じゃあ。やってなかったら、不倫じゃないんだ。」
セックスしたら。キスをしたら。抱き合ったら。手を繋いだら。
好きになったら。
どっかに線を引くことなんて。本当にできるんだろうか。
小野瀬は、しばらく黙ってた。
俺の、素朴かつ意地悪な質問に対する。彼なりのベストな回答を。必死こいて考えているのかもしれなかった。
でも、きっと。答は出なかったんだと思う。
気付いたら。モリスンの、狂ったような絶叫は。途切れてて。
グラスの中は、空になってて。
同じ物を注文した後で。唐突に、小野瀬が口を開いた。
「やってないのかよ。その女とは。」
どう答えるべきか。一瞬、迷ったけれど。
「セックスはしてない。」
結局。本当のことを言った。
こんなんでも、長い付き合いだ。
俺の言い方から、何か特殊な事情があるんだろうと。小野瀬は、悟ったみたいだった。
まあ。真相に辿り着くことは。たぶん絶対、無いけど。
あったら困る、どころの騒ぎじゃないけど。
「あー・・・俺には、よくわかんねえんだけど。」
「うん。」
「引き返せるんじゃねえの?まだ。」
引き返す。
君と。こうなる前の関係に、戻る。
できるのかもしれない。
つまらないことで、すれ違って。
連絡が途絶えてしまった、今なら。なおさら。
店を出て。別れ際に、小野瀬が言った。
「お前。雰囲気、変わったよな。」
穏やかなのに。どこか、淋しげな。
今、ここで。静かに消えようとする何かを、見送るような。
そんな。眼をして。
「そうかな。」
「ああ。」
それ以上。
彼は何も、言わなかった。
きっと。小野瀬は、気付いたんだろう。
俺の掴んだ選択肢には、出口も目的地も無いんだってこと。
迷路みたいに、さまよって。漂って。
そう。最初から。
俺と君が見つめてるのは。未来なんかじゃなく。
心を重ね合うだけの。不連続な瞬間の、輝きだなんて。
遠く向こうで。
君は今。何をしてるんだろう。
アルコールに痺れた頭で。ふと。そんなことを考える。
最初に君を意識したのは。たまたまチョコレートの泉を見た、あの時で。
それだって。とても、誉められた妄想じゃなかったけど。
君に関する不穏な妄想や、苛立ちや。君のことを嫌いだなんて思ってた。そんな感情さえ。
今は。失いたくない、大切な。記憶のポケットの中に、そっと眠って。
こんな風に。君のことを、かわいいとか。
抱きしめたいとか。キスしたいとか。
セックスしたいとか。
そう、感じる時が来るなんて。夢にも思わなかった。
さっきの小野瀬の言葉通り。俺はきっと、変わったんだと思う。
君が。変えたんだと思う。
会いたい。
君に。
もしも。
明日。死んだりしたら。
君に。会えなくなってしまう。
謝ることも。できなくなってしまう。
そう考えたら。どうしようもないくらい、恐ろしくなって。
絶対に、いま。
明日とか、その次とかじゃなく。今日。
たとえ、一分でも。いや。十秒だって、構わない。
この夜が、消えてしまう前に。
会わなければと。思った。
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