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□ 羽 化 す る 子 宮
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ぱしゃん、と音を立てて。君の裸身が、湯の中を泳いでゆく。

きれいに筋肉のついた手足や、日焼けしていない白い背中を。僕は、ぼんやりと眺める。

君の裸は、もう何度も見ているけれど。背中を見たのは、初めてな気がする。

だって。僕は知らなかった。

君の背筋が、こんなに白くて。どこか、頼りなさすら感じさせるものだった。なんてこと。

日付が変わって久しい。深夜の露天風呂には、誰もいなくて。

湯船に配置された、大きな岩陰に隠れなくても。誰からも見られる心配は、無かった。

湯が跳ねる音とは、違う。もう一つの水音が、間近に聞こえる。

近くに、川があるのかもしれない。

明日。Jと散策してみよう。

子供のように泳ぎ回る、君を見つめて。こっそりと、そう思った。






いつの間にか。泳ぐのをやめたJが、僕の傍に身を寄せてくる。

「顔、赤い。」

からかうように、笑われる。

そう言えば。なんだか、頭がぼうっとする。

お湯の温度が、高すぎて。少し、のぼせたかもしれない。

君は、違う想像をしたみたいだけれど。

唐突に。君の膝小僧が、僕の両脚を割って入ってくる。

僕たちを中心に。いくつものさざ波が、広がっては。消えてゆく。

笑いながら、抱きしめられて。

ああ、そうか。君はここでしたいんだって、思いながら。真っ黒になった空を、視界から追い出す。

閉じた瞼の中も。やっぱり、あの夜空と同じ。星一つ無い、暗闇だった。

ぽつりと。頬が、冷たい水滴をはじく。

「あめ。」

呟いた、僕の声は。

きっと。君には、届かなかった。






雨粒が叩き付ける、窓ガラスを。

布団に寝転がる、僕はじっと見上げている。

雨は。隆に、似合うから。

そう言ってた、あれは。

確か。杉ちゃんだったっけ。

よく、思い出せないな。

記憶の引き出しを、開けたり閉めたりしているうちに。浴衣の衿元が肌蹴られ、首筋に厚い下唇の感触が降りた。

君の唇は、ぽってりとしていて。おいしそうで。

どこか、不満げに見えるのに。僕はいつも、キスしたい衝動に駆られる。

だけど、その器官は。磁石の同じ極みたいに、僕の唇を素通りして。一度だって、触れてくれたことは無い。

それだけを。僕は少し、残念に思う。

今、その部分は。赤ん坊のように、僕の乳首をしゃぶっている。

僕を、気持ち良くさせたいわけではなく。

君自身が。そうしたいと、望んでいる。

君が僕に、こういうことを求めるのは。決まって、君がひどく傷付いている時で。

どこか遠くへ行きたいと、何気無く口にした。いつかの僕を、トレースするかのように。

君は、僕の手を引いて。誰にも言わずに、ここへ来た。

ライブの出来に、納得がいかなかったのか。

あるいは。家族と、けんかでもしたのか。

理由は、訊かない。

僕と君は、友達じゃないし。ましてや、恋人同士というわけでもない。

僕がJに抱く気持ちは、恋愛とは程遠く。Jもまた、それは同じはずだ。

ただ。君が、深い傷を負った時。

どうしてか。それを治療する薬が、僕だった。

最初に、君とこうした記憶が。もう、引き出しの一番奥底に眠ってしまった。今でも。

僕である、理由。

その答を、まだわからずにいる。

中途半端にしか結んでいなかった、帯はすぐにほどけて。下着を、足首から引き抜かれた。

全く、勃起していない。自分の性器が、眼に入る。

君とのセックスでは、一度も反応したことが無い。それとは、逆に。

君の下着は。もう形を変えているに、違いない。

かわいいなんて思ったこと無い、君なのに。

僕のからだに、かぶり付く姿は。世界中のどんなものよりも、いとしくて。

だから。

内臓を突かれ抉られる、嘔吐感だって。

それで、やり過ごすことができるのだ。

「潤。」

普段は、絶対に呼んだりしない。君の名前。

「あいしてる。」

続けると。君は泣きそうな顔で、僕を見下ろした。

揃いの浴衣の薄い衿が、ふわりと肩を滑り落ちるのは。さなぎが羽化する様子にも似て。

生まれ変わるための、儀式。

そんな言葉を。僕は、思い出す。

君が。想像してたより、セックスがうまくなかったこととか。

一番最初に口付けるのが。僕の首筋に散らばる、ほくろであることとか。

お互いの。家族のこととか。

どんなに、強がってても。本当は、他人の評価を恐れたり。時には、自分が揺らいだり。

そんな、僕と似通った。いや、僕よりもずっと。脆い部分がある、なんてことも。

ぐるぐるぐるぐる、考えながら。

君のいのちを。からだいっぱいに、受け容れる。

甘えるように、僕のからだを貪る君は。まるで、大きな子供だ。

もしかしたら。本当は。

君の方が、僕に犯されたいのかもしれない。

守ってほしいのかもしれない。

泳ぐようにリズムを刻む、君の額に手を伸ばして。

大丈夫だよって。優しく、撫でてあげた。

僕だけは。絶対に。

君を、傷付けたりしない。

どんな時だって、君の味方だと。

そう。誓える。






夜が明けると、雨はやんでいて。川の流れるせせらぎが、耳に届いてきた。

かすかな水音の、その源がどこにあるのか。窓を開けて、覗いてみたかったけれど。

まだ眠っている君の左腕が、胸の上を横切っているせいで。確かめることは、できなかった。

散歩できるような道が、あるといい。

開いた衿から、早朝の冷気が入り込んで。身を震わせる。

くしゃみが出そうで、むずむずしていると。目の前の腕が、小さく身じろいだ。

寝ぼけ眼が、僕の視線を捉えて。かち合う。

「なに、笑ってんの。」

「え?」

おはよう、より先に。そんなことを言われて、はっとする。

君の寝顔を、見つめながら。僕は、笑っていた。

ふたりで歩いた日々の中。二度と笑えないと信じたことも、あったのに。

今は、もう。

違う。

Jは、少しだけ怪訝そうな顔をしたけれど。ふと思い付いたように、窓の外へ眼を向けた。

「そうだ。」

「なに?」

「あとで、その辺。散歩してみねえ?」

絶対、近くに川あるって。と、弾んだ声を出す君に。

僕も。また。

思い付いたふりをして、唇を寄せた。

最初のキスを、自分の方からすることになるなんて。予想外だったけれど。

ずっと、憧れていた。唇のぬくもりを、確かめながら。

生まれてはじめて。胸が、痛くて。壊れそうで。

このまま。死んでしまうかもしれないと、感じた。

僕のなかに、閉じこめて。守りたい。

心の底から。そう、願った。






せせらぎは、絶えることなく。

僕たちの周りを。いつまでもいつまでも、流れ続けている。

永遠とも、呼べるように。

生まれ変わっても。また、逢えるように。









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