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□『 水想セレナアド。 』
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泳ぐ。

君とふたり。

僕たちは。ずっと、ここにいよう。






君と僕の手首を繋ぐ、赤い糸が。

運命と言うよりも、なんだか。母親と赤ん坊を結ぶ、血に濡れた臍帯のようで。

羊水に包まれて。生まれ変わるその時を、たゆたいながら待ちわびているかのようで。

僕はとても。しあわせな気持ちになる。

君と初めて眠るのが、こんなに冷たいベッドの中だなんて。

嬉しい。

思わず微笑んだら。ごぽりと音を立てて。大きな気泡がひとつ、地上へと昇って行った。

同じように笑う、君の唇からも。しゃぼん玉みたいな泡が生まれて、僕たちを置いてゆく。

『しゃぼん玉。飛んだ。』

『壊れて、消えた。』

口ずさむ、僕を見て。『そんな哀しい唄、やめろ。』と。

そう、言いたげに。唇を、塞がれる。

強引な舌先で。なぞられる。

ふわりと舞い上がる、シャツの隙間から。大きな手のひらが、入り込んで。

蒼く染まる、僕の肌を。直に撫でた。

僕も、また。Tシャツの裾を、そっと押し上げて。広い背中を緩くなぞる。

少し前の、僕だったなら。

たった、これだけの触れ合いで。君のことが、ほしくてほしくて。

きっと。気が狂いそうに、なっていた。

今は、こんなにも。穏やかなこころでいられる。

ふたりきり。

誰もいない。

肺の奥が。締め付けられるように、冷たくなる。

まだ。眠りたくないな。

もう少し。君とふたりで、ここにいたい。

僕らのベッドは、凍えそうなくらい冷えきっているけれど。これでよかったのだと、今は思う。

きっと、こうでもしなければ。僕たちは、一緒に眠ることなんてできなかった。

ほんとうの気持ちを。伝えることさえ、できなかった。

後悔は、無い。

君も、そうだといいのに。

大好きな君の声で、肯定の言葉を聞けたなら。とても幸福だろうけど。

ここでは。すべての言葉も、嘘も。沈黙の泡になって、消えてゆくだけ。

だから、僕は。随分とわがままに、君の想いを形成できる。

もう、決して。二度と、裏切られることはないのだと。

安心する。

さびしいつらいいたいかなしい

ぜんぶぜんぶ。遠い世界の、出来事みたい。

からっぽだった、胸が。

満たされてゆく。

溢れてゆく。

指先を伸ばすと。君の手が、優しくそれをつかまえてくれた。

あたたかい。

君が、笑っている。

なみだみたいな羊水が、君と僕の距離を埋める。

ふいに、視界を横切る。夏の夕暮れにも似た、真っ赤な流線形。

眼で追うと。それは、一匹の小さな魚だった。

『こんにちは。』

挨拶をしてみたけれど。漂う僕らを、気にも留めず。彼は、優雅に泳ぎ去ってゆく。

その様は。かつて、僕を傷付けた。たくさんの人たちのことを、思い起こさせる。

君も。

その、ひとりだったことを。






『抱いてください。』

二人きりの控え室で、そうすがった。僕の願いを。

君は、叶えることができなかった。

臆病で。やさしい君。

女性との、行為では。満足なんてできない。

君の声。君のからだ。君の仕草。

何気無い、それらを眼にするだけで。思い出すだけで。

街中に居ても、哀しい唄を唄っていても。僕の意思とは、無関係に。

腰から、どろどろに崩れ落ちてしまいそうなくらい。

正気ではいられないくらいの。激しい欲求に、支配されて。

決して手に入らない欠片を、埋めるみたいに。

君を想って。何度も何度も、自慰をした。

惨めだった。

死にたかった。

だけど。一番、哀しかったのは。

君じゃなくてもいい、自分に。気が付いてしまったこと。

肉欲に溺れる。自分の醜さを、知ったこと。

誰でも、いい。

誰かに、抱きしめてほしくて。しかたなくて。

あの人に似た、誰かに。犯してほしくて。

抱いてくれる男なら、誰にでも。ためらい無く、脚を開いた。

力づくで、引きはがされるまで。ペニスをくわえて、離さなかった。

結局は。

みんな僕を、棄てるのに。






僕の、やまいは。

君じゃなきゃ、癒せない。

その、はずでした。






気が付けば。無関心な赤い魚は、もうどこにもいない。

僕を、傷付けた人たち。

僕を、棄てた人たち。

不思議と。怒りは、湧いてこなかった。

『赦し』だなんて。そんな、素晴らしいものじゃなく。

あの場所に。置いてきてしまっただけ。

何も、しなくていい。

感じなくて、いい。

鬱陶しい、夏の陽射しや。冷たい冬の雨に。晒されることも無い。

制御できない、欲望に。もがき苦しむことも無い。

乱されることの無い。穏やかな世界。

決して。変わることの無い。

僕たちの。望んだ世界。

意識が途切れる。もうすぐ。

何もかもが。蒼になる。

それは、とても。すてきなことだ。

見上げれば。空も地上も、遥か彼方。

きらきらと、輝いて。

きれいだ。

でも、僕は。知っている。

ふたりきりの、この世界が。

どんな場所よりも、うつくしく。いとおしいと。

僕のなかは、完璧な蒼になる。

君のなかも。もうすぐ、同じ色になる。

しっかりと、手を結んで。

ゆらゆらと、舞いながら。

僕たちは。冷たいベッドの底に、深く沈んだ。

呼吸をやめて。

時間を止めて。

滲む、深碧の果て。

君の唇が。小さく動くのを、見た。






『    』






だから。君に、告げるのです。

最初で最期の。

目覚めの無い。おやすみ。










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