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□Cherry Blossom Fairy Tale/1
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信じられない。
君が。もうすぐ。死ぬなんて。
玄関のドアを開けるなり。隆一が発した第一声。
「感染したみたい。」
即座に事の重大さを悟ることもできないまま。俺は。
しばし呆然と。その場に立ち尽くすしかなかった。
この国で今。『感染』と聞いて思い浮かぶ単語なんて。一つしかない。
櫻花病
血液が薄紅色。つまり、『桜色』に変わるという。
なんとも奇妙でファンタジックで。ふざけた病。
正式名称は横文字で。とにかく長い名前があるらしいんだけど。忘れた。
最初の感染者が見つかったのは2、3年前。それはそのまま、確か半年も経たないうちに。最初の『犠牲者』になった。
犠牲者の血液から検出された、未知のウイルスは。通称『さくらウイルス』と呼ばれ。マスコミにも大々的に取り上げられて。
一躍。その年の流行語大賞をさらった。
現在の感染者は、把握されてるだけでも数万人。
全て国内在住の日本人で、そのほとんどは既に死亡している。
感染から発症、死亡に至るまでの時間は個人差があるが。平均して半年から一年。
ウイルスが。脳や内臓を喰い荒らして、死をもたらす。
ちなみに。感染源・感染経路・治療法等。一切不明らしい。
何が言いたいのかというと。
医者でも看護師でもない、俺の知識なんて。ニュースかワイドショーか週刊誌で聞き流した。その程度の正確さでしかなくて。
言い換えれば。危機感もその程度だったってことだ。
まさか。
こんなに早く、身近に感染者が現れるなんて。しかもそれが。
よりにもよって。君だなんて。
内心、月まで吹っ飛びそうな衝撃を受けたけど。当の本人は、思いのほか冷静みたいだ。
今も。俺が出した日本茶に、ふうふうと息を吹きかけては。落ち着いた様子で啜ってる。
ソファの隣に腰を下ろして。できる限り、動揺を抑えて聞いてみた。
「本当なの。」
「いくら俺でも。そんな、つまんない嘘つかないよ。」
しまった。
本当か、なんて。
相当、残酷な台詞だったんじゃないかと。焦る。
けれど。隆一は全く気に留めた素振りも無く。
「見て。」
右の人差し指に巻かれた絆創膏を、目の前に突き出す。
「昨日、うっかり紙で切っちゃって。結構ざっくりいったみたいで、血が出て。その時は普通だったんだけど。」
勢いよく。絆創膏が剥がされる。
「朝、起きたら。ほら。」
そこには。
桜の。花びらがあった。
いや。これは。
「かさぶたみたいなんだ。でね。これを剥がしてみたら。」
隆一は。なんの躊躇いも無く。花びらをむしり取る。
不思議と。グロテスクには感じなかった。
傷口から零れ落ちたのは。
花びらの色彩、そのままの。鮮やかな。
桜色の。血液だった。
「きれいだね。」
不謹慎かもしれないけれど。
本当だ。
君の、細く長い指先を伝う薄紅色は。とてもきれいで。
そっと。手首を捧げ持って。顔を寄せると。
ほのかな。桜の花の香がする。
櫻花病に。こんな症状まであったとは。
なんだか。おかしな気分になりそうで。
花酔いって。いうんだろうか。
頭がくらくらしてきたので。ティッシュの箱を引き寄せて、指を濡らす血液を拭ってやった。
話には聞いていたけど。実際に見るのは、初めてだ。
血がピンクになるって。本当なんだ。
本当に。君は。
病気、なんだ。
どうしよう。
こんな時って。
何をすれば、いいんだろう。
何を言えば、いいんだろう。
実感なんて。湧くはずが無い。
目の前の君には。いつもとなんら変わったところは見受けられず。
顔色だって悪くないし。立ち居振る舞いも完璧で。
そんな君が。
治療法の無い。いわゆる『不治の病』、だなんて。
俺にはどうしても。信じられない。
信じたくない。
俺にとっては勿論だけど。君にとっても。こんなことは突然だったはずだ。
君も俺と同じで。実感が無くて。
だから。こんなにも普段と変わりなく。冷静でいられるのかもしれないと思う。
いや。俺がどんなに推し量っても。
現に感染した当人じゃなきゃ。気持ちなんて、きっとわかりゃしないんだ。
理解しようとするなんて。相当おこがましい。自己満足で。
「いのちゃん。大丈夫?」
あれこれ考え込んで、黙りこくってしまった俺の顔を。
隆一が心配そうに。横から覗き込んできた。
大丈夫、なんて。それはこっちが言うべき台詞だ。
病人に気を遣わせるなんて。俺はそんなに、ひどい顔をしてたんだろうか。
ポーカーフェイスは得意なはずだったのに。
「ごめんね。こんな話、重いよね。」
重いとか軽いとか。そういうレベルじゃない。
生死に関わる問題なんだ。
俺は医者じゃないんだし。隆一の症状が、どの程度進行しているのかなんて。わかるわけないし。
こんなところで。こうして呑気に、話をしている場合じゃないと思う。
そうだ。そもそも。どうして君は。
俺の部屋なんかに、いるんだ。
こんな。人生最悪の、一大事に。
「どうして。」
「え?」
「どうして。俺んとこ来たの。」
「迷惑だった?」
「違うけど。こんな大変な時にさ。俺んとこなんか来てて、いいの?」
「だからだよ。」
隆一は、ふわりと笑んで。肩を揺らした。
「こんな時だから。いのちゃんがいいって思ったの。だって。杉ちゃんとこなんか行ったら、俺そっちのけで泣いて喚いて動揺しそうだし。挙句、一緒に死のうなんて言われても困るし。」
なるほど。ありえない話じゃない。
「だからって。Jくんだったら、甘ったれんなって突き放されそうだし。真ちゃんは常識人すぎて、即行うちに帰れって言うか、救急車呼んじゃいそうだし。」
確かに。小野瀬は、病人だからって特別扱いしたり、差別したりするような奴じゃない。
真矢は真矢で、自分も家庭を持つ身だから。隆一がこんなことになってるの知ったら。有無を言わせず、家族の元に帰らせそうだよな。
「いのちゃんなら、俺に同情してくれて。かわいそうって慰めてくれて。冷静に。優しくしてくれると思ったんだよね。」
なんだよ。それ。
図星は図星なんだけど。おもしろくない。
こういう時は。たとえ嘘でも。
俺のことが好きだから、とか。言うべきだってこと。
教えてやりたい。
つか。そうだ。真矢の話で思い出したけど。
君には。家庭があるんじゃないか。
「隆ちゃん。家族にはもう、話したの?」
聞きづらい質問だったけど。
あえて問えば。隆一は、首を横に振る。
「まだ話してない。哀しむ顔見る決心が、どうしてもつかなくて。」
その言葉に。
胸が。痛んだ。
これは。同情なのか。嫉妬なのか。
どっちなんだろう。
「家には帰りたくない。」
この部屋へ来てから初めて見せる。沈痛な面持ちで。
ぽつりと。呟かれた。
櫻花病は。人から人へは感染しないとされている。少なくとも政府の発表では。
でもそんなこと。100%かどうかなんて。実際、誰が証明できるっていうんだろう。
もしかしたら。隆一は。
家族への感染を恐れて。俺のところへ来たのかもしれない。
たとえそれが。無意識の行動だとしても。
残酷な話だ。俺にとっては。
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