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□ビューティフル/ワールド 1
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ある日。

隆一の左眼は、白いガーゼで真四角に切り取られていた。

「どうしたの。それ。」

「ああ。これ?ちょっとね。」

ものもらい、と答える。君の嘘を。

俺は。知っている。

知っているのに。知らないふりをして。

ありきたりな台詞を。ありきたりな調子で。読み上げた。

「お大事に。」





小野瀬は、隆一を殴る。

どうしてなのかは、わからない。本人でさえ、わかっていないのかもしれない。

けれども。小野瀬が隆一を殴り、隆一が小野瀬に殴られる。その構図は変わらない。

最初に気付いた時は、やめさせようとした。もちろん。

それを拒絶したのは。

小野瀬ではなく。隆一だった。

「ごめんね。いのちゃん。」

赤く腫らした頬を、不器用に歪めて笑いながら。隆一は、意味のわからない謝罪をした。

俺はその時。自分が完全な傍観者であると同時に。全く無力な存在であることを、理解したのだ。

それから俺は。一切の感覚を閉ざした。

気付かないふりを続けることに決めた。

小野瀬は隆一に執着し。隆一は小野瀬に依存している。

俺にできることは、きっと何も無い。

そう。なんにも。





一度だけ。尋ねたことがある。

どうして隆一を殴るのか、と。

責めていると言うよりも、純粋に疑問だった。

ムカつくから。愛しいから。あるいは、気分で。ただの腹いせに。

でも。

小野瀬の返答は、期待したどの答とも違っていた。

「奴が。望むから。」

当たり前のように。でも、どこか苦しげに。そう答えた、彼を見て。

それ以上。何も聞けなくなってしまった。





表面上は無関心を装いながら。実際俺は、彼らの関係に興味津々だった。

隆一の傷は、いつだって俺の眼を惹いたし。

白い眼帯は。彼の顔立ちに、とてもよく似合っていた。

ガーゼの下に隠された、生々しい傷痕を。きっちりと身に着けたシャツの下に広がるかもしれない、無数の青痣を想像して。

胸の辺りが、ざわざわするのを感じた。

見たい。と、思った。

何もかも。白日の下に晒して。暴ききって。そして。

切れた唇の端を。血の味が滲むだろうその箇所を。舌先で撫でてやりたい。

小野瀬はおそらく、隆一に。性的暴行だけはしていない。直感的に思った。

それどころか、キスさえ。いや、たぶん。指先を繋ぐことさえも。

なぜしないのか、と問えば。また。「隆一が望まないから。」そんな答が返ってくるんだろう。

自分じゃない、誰かの望むことをして。

望まないことは、しない。自分を犠牲にしてでも。

それが、愛情じゃないなら。一体、なんだって言うんだろう。

たとえ、隆一が望んでも。俺にはきっと、応えられない。

俺のはまだ。愛じゃないから。





控え室で。真四角に切り取られた左眼を見つめている。

ぶしつけな視線に気付いたのか。隆一と眼が合った。

「どうかした?」

なんでもないことみたいに言って。一つしかない瞳で微笑む。

どうして。君は。

そんな風に。笑えるんだろう。

立ち上がり、傍に寄っても。しれっとした顔で、見つめ返されるだけだ。

俺には何も。望んじゃいない。

そんな顔だ。

胸が、ざわつく。

哀しみなのか。怒りなのか。

ただの欲情なのかも。わからない。

わからないんだ。

肩を掴んで。座っていた床の上に、乱暴に押し倒した。

背中を打ち付けて、隆一の唇から悲鳴が洩れる。

小さく響いただけのその声に。全身が総毛立つような興奮を覚えた。

床に散らばる黒い髪を。左眼の欠けた、無防備な白い顔を。下に見て。

蹂躙したい欲望が、湧き起こるのを感じる。

小野瀬に殴られて。君はどんな風に、鳴くんだろう。

その声が。聴きたい。

大事そうに隠している、服の下の傷を。全部、暴いて。

ひとつひとつを。俺の痕跡で、塗り替えてやりたい。

外側だけじゃなく。内側にも入り込んで。傷を付けて。

深く深く。抉り取って。

そんな、耐え難い衝動に。抗うことさえできぬまま。

唇に。齧り付くような、キスをした。





「俺。隆ちゃんと、寝たから。」

そう告げた時の、幼なじみの顔を。

一生。忘れることはできないと思う。

数秒間の沈黙の後。へえ、と。いかにも気の無い返事を装った、その瞳が。

一瞬、深い絶望の色に染まるのを。俺は見逃さなかった。

いいんだ。これで。

隆一と、寝たなんて。

そんなのは、嘘だ。

あの日。押し倒して、キスをした。

それ以上のことを。俺はできなかった。

唇が離れた後。隆一は、顔色一つ変えずに。

ただ黙って。俺をじっと、見つめるだけで。

そして。

君は。言ったのだ。

さっきの言葉を。小野瀬に告げてほしいと。

何もかもを、壊してもらうためには。

生きていることの醜さも、忘れてしまうくらい。めちゃくちゃに。汚してもらうためには。

より深い。絶望が必要なのだと。

俺は、君の願いを。叶えてあげたいと思った。

だから、君に請われるまま。嘘をついた。

嘘をつくことで、俺は。

間接的に。君を、犯した。





それは、たったひとつ。

君が。俺に望んでくれたことだった。





ある日。

君の左眼は、白いガーゼで真四角に切り取られている。

「どうしたの。それ。」

「ああ。これ?ちょっと。」

ものもらい、と微笑む。嘘つきの君に。

俺はまた、いつもの台詞を。いつもの調子で。読み上げる。

「お大事に。」





せいいっぱいの。愛をこめて。









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