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□シュレディンガーは、そらを知らない。
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ねえ。いのちゃん。

お願いが、あるんだ。

俺の。

「恋人に、なってくれない?」






助けに来て、と乞われるままに。車を飛ばして、駆け付けた先では。

なんていうか。いわゆる 『修羅場』 の、真っ最中だった。

予測していた事態とはいえ。もう、いい加減。うんざりしてしまう。

季節は、初秋。

日没前で、弱い陽射しが残る。人の往来も少なくない、通りの真ん中で。

見知らぬ男は。隆一の手首を掴んで、離してはくれないらしい。

なんとも。空気の読めない、光景だと。呆れる。

隆一は、ああ見えて。実は、結構タフだ。

だから、その気になれば。男に一発、お見舞いして。

いや、お見舞いしなくても。振りほどくことくらいは、できそうなもんなのに。

こんな時にまで。キャラづくりか、なんなのか。

ただ、騒ぎにしたくないだけなのか。俺には、わからないけれど。

困った顔をして、やんわりと。

身なりばかりは整っている、一見紳士の。いかにも必死な拘束を、押しやるだけで。

とりあえずは。精一杯なようだった。

まあ。来てしまったからには。

俺は俺の、役割を果たす以外に無い。

車を歩道につけて。ウィンドウを開くと。

深呼吸を、ひとつ。それから。

二人に、ちゃんと聞こえるくらい。大きめの声で。

君の名前を。呼んでやった。






一応、俺は。隆一の恋人を、やっている。

正確には。恋人の、「ふり」 をしている。

その任務は、全くの不定期で。いつ入るのかも、わからない。

隆一からの、救難信号が。俺の携帯を揺らす。その瞬間に。

俺は、まさに。時間限定の 「恋人」 へと、変身させられるのだ。

最初に、この話を持ちかけられた時は。

絶対、わざとだろうけど。まるで、告白みたいな言い方をされたせいで。

なんて返事したらよいのかも、わからずに。

それ以前に。君がゲイだったなんていう、衝撃と。でも、どこかで薄々は勘付いていたような。

とにかくおかしな感覚に、捕われて。

君のことは、嫌いじゃないけど。

いや、むしろ。友人としては、「好き」 なんだけど。

だからって。いきなり、こんな。

とにかく、色々と。まずいことが、多すぎる。

つか。君を傷付けないためには。どう断れば、いいんだろう。

そんなことを、一瞬で。ぐるりと脳内に、駆け巡らせていたら。

ようやく、君は。真意を説明してくれたのだ。

欲望溢れる男どもから、君を守る。

正義の味方。

正直。冗談じゃない。

君と付き合うことよりも。数億倍、ありえない。

俺は、少なくとも。君よりはまともな思考回路を持つと、自負しているわけで。

即座に却下しても、よかった。

笑い飛ばしても、よかった。

はずなのに。

どうしてなんだろう。

君の話を、聞いてあげる気になったのは。

今、考えれば。本当に。

あの頃の自分が、優しすぎたとしか。言いようが、無い。






隆一には、不思議な魅力がある。

それは。出逢った、当初からで。

言葉では。うまく、表現できなかった。俺は。

かつて。それを、音にして。君のまわりを、彩った。

君の、不思議な存在感は。

メディアを通して見るよりも。実際、間近で会った時に。

最大限の力を、発揮する。

そして。何よりも、恐ろしいのは。

君が、自分の武器を。

それを、利用する術を。

余す所無く、熟知している。その事実で。

仕事・プライベート、関係無く。君は。

出逢った人間に対し。手加減無用で、全力を行使してしまう。

もちろん、相手は。それが、君の性質だなんて。知る由も、無いわけで。

結果。老若男女問わず。勘違いの輩が、大量生産されてしまうのは。

もはや。いたしかたの無いことなんだろう。

無意識の属性、なのかもしれないけれど。

健やかな笑顔と、甘い声と。

次から次へ、くるくると変わる。豊かな表情。

その、豪華3点セットで。直にあれこれ、話しかけられたりしたことにより。

自分は特別なんだと、思い込んで。有頂天になって。

ゆくゆくは。もれなく、辛酸を舐めることになる人間を。

いったい、何度見てきたか。知れない。

当たり前だけど。そういう、ある意味。気の毒な人種の中には。

隆一に、固執するあまり。ストーカーみたいな行動に、走ってしまう者もいて。

つまり、俺の役割は。

隆一に付きまとう、はた迷惑な輩の前に登場し。

いかにも、恋人といった素振りを見せて。

彼らに。隆一のことを、あきらめさせる。

そんな。考えただけで、うんざりするような。

説明するのも、恥ずかしい。究極的に馬鹿馬鹿しい、役回りだ。

大体、こんなことをしても。

俺が得することなんて。全く何一つ、ありゃしないのに。

それに。こういう役を頼むなら。

もっと、身体がでかくて。強面の。

そう。たとえば、小野瀬みたいな奴の方が。

と、言うわけで。

どうにも、腑に落ちなくて。以前、尋ねたことがある。

「隆ちゃん。ほんとに、俺でいいの?」

「うん。」

即答、だった。

「いのちゃんが、いいんだ。」

「なんで?」

君は。なんとも、軽い調子で。微笑みながら。

「だって。いのちゃんみたいな、かっこいい恋人がいるってわかったら。誰だって、戦意喪失しちゃうよ。」

まったく。

本気なんだか、どうなんだか。

単に、俺が。たまたま、君の近くにいて。

わがままを行使して、許される雰囲気だった。

それだけ。なんじゃないのかなあ。

そもそも。最初から。

君が。誰彼構わず、愛想を振りまいたりなんかしなければ。

こんな役割。必要無いはずなのに。

誰からも、嫌われたくない。君の。

最大の犠牲者は、俺だと言っても。多分、過言じゃないと思う。








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