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□サイレント悲喜劇
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だから、もう。

君なんか、死んじゃえばいいのにって。

無理して笑ってる。その顔を見て。

思うんだよ。






どうして、連絡くれなかったの。って。

久しぶりに会った隆一は、ぷうっと頬を膨らませた。

いい年こいて、そんな顔すんじゃねえよ。

気持ち悪い。

嘔吐しそうになったけど、言葉には出さない。

「俺、これにしようかな。ブラッド・オレンジ。」

相変わらず。変なもの、注文してる。

「ずっと、連絡くれないんだもん。いのちゃんに、嫌われたのかもって。焦っちゃった。」

嫌いだよ。

ずっと、前からね。

「俺と居るの、楽しくなくなった?」

顔色を窺うふりをして、問い尋ねてくる。

楽しくないよ。

最初から。

でも。

「そんなこと、ないよ。」

そう、答えて。俺は、笑った。






「食べても、食べても。埋まらないんだって。」

注文したパスタが、運ばれて来ても。隆一はいつまでも、それをフォークでかき回しているだけだ。

「そういう病気が、あるんだって。」

「ふうん。」

「自分に似てるって、思った。」

「そう。」

先に食べ終わってしまって。俺はフォークを、皿に置く。

その様子を見た。隆一の眼差しが、暗く翳る。

「何それ。」

がちゃん、と。

時計の針みたいに際限なく、ぐるぐる回っていただけのフォークを。激しく叩き付ける音が、響いた。

店内の視線が、一気に集まってくるのを感じる。

「なんで。俺が食べ終わるの、待っててくれないの。」

荒げられた声は、静かな音楽が流れるだけの店では、大きすぎた。

「ひどいね。」

君は。本気で、怒っている。

こうなってしまうと。誰も、止めることができない。

俺が、謝るしかない。

「ごめん。」

定型通りの謝罪をすると。顔に何かを投げ付けられて、反射的に瞼を閉じた。

冷たい、と思った。

水をかけられたのだと、気付いた。

「俺のこと、バカにしてるんでしょ。」

「してないよ。」

してるよ。

軽蔑、してるよ。

心の底から。

本当のことを、伝えたところで。どちらにしろ、君を怒らせる。

だから。答は、なんだっていい。

「新曲だって。この前出したのと、そっくりだって。思ってるんだ。」

支離滅裂だ。

それは。俺が思ってることじゃなくて。

君自身が、思ってることなんだよ。

才能、無いんだよ。

バカだから。気付いてないんだね。

かわいそうにね。

さっきまで、突き刺さるようだった。君の眼は。

今はもう、零れ落ちそうなくらい潤んでいる。

死ねばいいのに。

込み上げた感情は。たった一つの音すら、成すことはできなくて。






ああ。

次に目覚めたら。

俺は、君を。ちゃんと愛せるように、なるのかな。

偽りの中で。空っぽな俺たちだけれど。

君は、いつだって。俺の笑顔が、畸形だって。罵るけれど。

それでも。

君の、傷だらけになった手首は。轢死した、猫の臓物を思わせて。

鮮やかで。とても、きれいだ。

ねえ。

死にたいなら。死んだって、いいんだよ。

お葬式くらい、行ってあげる。

泣くふりだって、してあげる。

心配しないで。

奥さんと、子供の面倒なら。ちゃんと、誰かが見てくれる。

君の代わりなんて。

きっと。いくらでも、いるんだから。






泣き出しそうな。君の眼輪筋が、ぴくぴくしている。

つまらない俺を、鏡のように覗き込んで。苛立っている。

自己を開示することは。とても怖くて、恐ろしすぎて。

俺たちには、到底。できそうにない。

欺瞞だ。

愛されることを、望んでいるはずなのに。

君を愛するひとを。君は、愛し返すことができない。

「こんな人間を好きになるなんて、異常だ。」

「気持ち悪い。」

「くるってる。」

自分を愛してくれるひとを、蔑みながら。

君は。いつも、ひとり。

哀しみたくて、愛されたくて。

絶望を夢見て、果敢なんで。

幸せになりたくて。

そうやって。ずっと、ひとりぼっち。






びくびくしながら近付いてきた給仕係に、君は言った。

「デザートは、いらない。」

その声があまりに低すぎたせいで、聞き返そうとする彼の先手を制し。

「大丈夫です。」

俺は、静かに告げる。

そうして。

皿に置いたフォークを、君の喉に突き立てた。

まっすぐ。

さっき、君を怒らせた元凶で。

君の声を、奪った。

拍子抜けするくらい。あっけない手応えだったのに。

滑らかな喉からは。とろりと一筋、赤いものが流れ出す。

なんだ。

全然、大丈夫じゃないじゃん。

金魚みたいに。唇をぱくぱくさせる、君を見て。

その瞬間。俺の中からも、全ての音が消えた。

そして、わかった。

もう二度と、音楽を奏でることは無い。

ずっと、望んでた。平穏な生活。

君という、障害の無い。

とても、静かな生活。

破滅した世界のように。

ようやく。それが、訪れたのだ。

さようなら。

俺が憎んだ、君は。

もう。どこにもいない。






気に入っていたレストランの内装は、ビスケットのように、ぼろぼろと崩れ落ちてゆく。

消え去った壁の向こうで。高層ビルが、巨大なべっ甲飴と化し。ぐにゃりと折れ曲がっている。

テーブルの下を、ふと見遣れば。白い粉雪が、円錐形に積もっている。

頂上を掬って、口に入れると。ひどく甘い味がした。

舌に残る、かすかな怯えで。さっきの給仕係なのだと、理解した。

見渡した。全ての椅子に、白い円錐。

どうやら。

この世界は、砂糖でできていたらしい。

俺と、君以外。

『デザートは、いらない。』

廃墟になった現実で。君の最後の声だけが、永遠に回り続けている。

吹き抜けになった天井から、澄みきった空が覗いている。

磔の太陽が、照らしている。

瓦礫の上の、黒い鳥が。俺と君を、笑っている。

次に、目覚めたら。

俺は、君を。ちゃんと愛することが、できるのかな。

その時は、一緒に。デザートのプディングを食べよう。

ケーキに蝋燭を立てて、君の誕生日を祝おう。

クリスマスには。教会で、祈りを捧げて。

なんでもない日には。映画を観て、海へ行って。

キスをして。セックスをしよう。

血を流し、もがき苦しむ。黒い瞳を見つめながら。

熱い希望が溢れ出し。俺の頬を濡らした。

かなしかった。

君と居ると。とても、哀しかった。






砂糖菓子のフォークは。偽の世界を、終わらせてしまった。

ふたりだけの、宝物。

甘く、やさしく。抱きしめた。









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