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□あいのわざ
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本日は。
この俺、杉原が。隆と付き合い始めて一ヶ月の、記念すべき日。
とてもじゃないけど。ひと月前には。
隆と、こんなことになるなんて。夢にも思わなかった。
こんな。
君と、恋人同士になるなんて。
俺はずっと前から、隆のこと好きだったけど。
何回告白しても。隆はさっぱり、俺のこと意識してくれる素振りすら無くて。
さすがに。これはもう、ダメかもなんて。絶望しかけていた矢先。
なんと。信じられないことに。
君の方から、俺に言ってくれたんだ。
「俺、杉ちゃんのこと。好きみたいなんだけど。」
差し入れの苺大福を頬張りながら。あんまり、普通に呟かれたせいで。
うっかり、聞き逃してしまうところだった。なんてのは、ここだけの話。
事の重大さに気が付いて。動揺しまくりながらも、意図するところを聞き返して。
隆が。もう一度、同じ台詞を繰り返してくれた時も。すぐには、信じられなくて。
アナザーワールドに吹っ飛んでゆきそうな感動を、ぐっと堪えて。
ひょっとして、からかわれているんじゃないか。
そうでなければ、これは。とんでもなく残酷な、悪夢なんじゃないか。
はたまた、今日が。四月一日だったとか。
もう、凄まじい勢いで。あらゆる可能性を網羅し、潰していった結果。
ようやく、隆から。決定的な一言を引き出すのに、成功したのだ。
「ちゃんと。からだのお付き合いも含めての、好きって意味だよ。」
卒倒するかと思った。
もちろん。幸せすぎて、だ。
一日やそこらじゃ語り尽くせないくらい、長くなりそうだから。割愛するけど。
ここまで来るには。そりゃもう大層な、紆余曲折の数々があった。
俺に至っては、3750回も告白して。3750回とも流されるという。目も当てられない惨状に陥っていたし。
だから。今になって、隆が振り向いてくれるなんて。
ほんと、生きてて良かったと。心から実感する。
考えてみると。
俺が風邪をひいて寝込んで、隆が看病しに来てくれた。奇跡みたいな、あの日から。
何かが、変わった気がするんだ。
とにかく。今でも、信じられないけど。
あの隆に、告白されて。両想いになって。
晴れて、付き合うこととなり。早くも、ひと月が経過しようとしている。
わけなんだが。
いまいち、気分が。快晴とまではいかない。
原因は。わかってる。
隆は、俺に。からだの付き合い込みの好き、だなんて。大胆かつ、嬉しすぎることを言ってくれたけど。
その割には。どうしてか。
ちっとも。そういう雰囲気に、なりやしないのだ。
一緒に食事に行ったり、買い物に行ったり。
デートらしきことの、回数は重ねた。
でも、これじゃ。
恋人になる前と、なんら大差無い状態で。
ちょっとなあ。
期待が膨らみすぎてただけに、へこみも大きい。
ふたりとも、もういい大人なんだし。
せめて、キスくらいしてたって。いや、しまくってたって。
おかしくないと思うんだけど。そのへん、どうなんだろう。
最近。明らかに、ため息の回数が増えた。
別に。『まず、からだありき』なんて。断じてそんなことは、思ってないけれど。
やっぱり、俺は。隆に、触りたいし。
キスしたいし。
それ以上のことだって。きっと、したい。
どうしたら。現状を、打破できるんだ。
さり気なく、えっちな雰囲気に持ち込もうとしても。天然なのか、計算なのか。隆は、ちっとも。そういう反応してくれないし。
ここに至るまで、相当曲がりくねった道を歩いてきたせいか。
健全すぎるお付き合いへの、限界は。思ったよりも、ずっと早く。訪れてしまいそうだった。
今日も。俺のうちに遊びに来た、隆は。
『お付き合い一ヶ月記念日』だなんて、かけらほども頭に無さそうな顔をして。
俺が面白いとお薦めしたアニメ映画を。恋人そっちのけ、興味津々で鑑賞してる。
でかいスクリーンの中では。機械の身体を持つヒロインが、鮮やかな戦闘シーンを繰り広げていた。
俺はもう、何十回も見てるから。知っている。
この後の展開も。彼女の行く末も。
隆は普段、こういうの観ないだろうから。物珍しさもあるんだろうな。
子供みたいにわくわくした眼は、素直にかわいいと思えるんだけど。
それだけじゃ。物足りない。
ああ、やっぱ。こんな作品、選ぶんじゃなかった。
いや、作品自体は最高だけど。恋人と二人で観るセレクトとしては、最悪だった。
もっと、こう。自然とロマンティックな空気、醸し出せるような。たとえば、わかりやすい恋愛映画とか。
個人的興味は、あんまり無いけれど。隆は、そういうの好きそうだし。
こんな時くらい。趣味に走るのは自重すべきだったってことに。
どうして、気付かなかったんだ。俺のばか。
いくら。俺の好きなものを、隆にも気に入ってほしかったとはいえ。
だめだめだ。ほんと。
「ねえねえ。これって。アニメなのに、随分難しい話だよね。」
「ああ、うん・・・子供向けじゃないからかな。」
微妙に空気の読めない隆は、俺の生返事も全く気に留めてないみたいで。
「あとで。杉ちゃんに解説してもらわなくちゃ。」
「うん・・・」
そんなことより。
映画の内容なんて、どうでもいいから。
今は。キスがしたい。
とうとう意を決して、俺は。
隣に座っていた隆との距離を、あからさまに縮める。
それから。
左腕を伸ばして。そろそろと、肩を抱いてみた。
普通、だよな。これくらい。
そう。これくらいなら。
仲の良い友人同士だって、することだ。
ここから、先が。難関なのだ。
俺の頭が不純な妄想でいっぱいになっている、その間も。
当の本人は、相変わらずスクリーンに釘付けで。
ここまで無反応だと、いい加減、不安になってくる。
隆、ほんとに。
俺のこと。好きなのかなあ。
付き合い始めて一ヶ月の、恋人の部屋で。ふたりきりで。
こんなに、くっ付いて。肩を抱かれてるってのに。
この無関心さは。ぶっちゃけ、無しだと思うんだけど。
恋人になる前が、長かったせいで。距離感がうまく掴めないってだけなら、俺も同じだ。
本当に、それだけなら。まだ、救いはある。
何か別の理由が、存在することの方が。俺は、怖い。
でも。
もう、無理だ。
我慢できない。
そもそも。我慢する必要があるのか。
俺と隆は。恋人同士なんだから。
当たり前のことを、するだけなんだ。
まだまだ、先は長い。
ここでびびって、どうする。杉原。
そうだ。頑張れ、俺。
映画に夢中な隆の視界を、遮るみたいに。
思いきって。顔を近付けた。
きらきらした瞳は。一瞬、不意を突かれたみたいに。丸くなったけど。
すぐに。柔らかな微笑みに変わって。それから。
ゆっくりと、瞼が下りる。
温かな、隆の気持ちが。
俺の中にも、流れ込んでくる。
心が、通い合ったんだ。
隆が俺を、受け容れようとしてくれてる。
恋人同士になって。はじめての、キス。
感激した。
どきどきしながら。
ほしくて仕方なかった、唇の感触を。確かめる。
大切なものだから。壊してしまわないように。
焦らず、時間をかけて。
柔らかさを啄ばむだけの、口付けを。何度も何度も、繰り返した。
隆の唇。温かくて、ふかふかしてて。
気持ちいいなあ。
角度を変えて、少しだけ強めに押し付けたら。
つるりとした、硬いエナメルの質感と。濡れた舌先に、唇が触れる。
隆が、かすかに口を開いて。迎え入れる準備をしていたことに。
驚いた、俺は。
咄嗟に、顔を離してしまった。
なんて勿体無いことを、とか。
据え膳食わぬは男の恥、とか。
よぎったことは、事実だけれど。
でも。
これ以上、したら。歯止めが効かなくなってしまう。
せっかく、ここまで。辿り付けたんだ。
些細な失敗で、全てを水の泡になんて。したくない。
あんなに。早く全部をと、欲しがっていたくせに。
いざ、そういう状況になってみると。
育てたものを失うことへの恐れが、勝った。
ようやく叶えることができた、最後かもしれない恋に。
思いのほか。俺は、慎重になっている。
我ながら。情けないとさえ、感じるくらい。
恐る恐る、距離をあけてしまう。俺の顔を。
隆は、じっと見据えていた。
何を言われるのか、計り知れなくて。
ものすごく、怖い。
「杉ちゃん。」
「うん。」
ごめん、と。意味もわからず謝ろうとした、俺の台詞は。
穏やかに紡ぎ出された、隆の声で。
結局、音になることは無かった。
「やっと。キスしてくれた。」
予想を遥かに凌駕する、怒涛の展開に。
不覚にも。凍り付いてしまった、俺をよそに。
「いつ、してくれるのかなあって。ずっと、待ってたんだよ。」
そう、続けた。隆の顔は。初めて目にする表情で。
なんていうか。ものすごく。
色っぽい、顔。
そういうこととは無縁そうな、いつもの笑顔からは。
想像も付かない。
「でも。杉ちゃん。全然、えっちなことしてくれないし。」
いやいやいや。
待て待て待て。
「俺って、色気無いのかなあなんて。ちょっと、自信無くしちゃってたんだから。」
「ちょ、隆!ストップ!!」
「え、なに。」
「色気無いとか、マジありえないし!!つか今だって、すぐにでも押し倒したいくらい、誘ってんのかこのヤローってくらい、めちゃくちゃ色っぽい顔してるし!!」
「・・・あ・・・りがとう。」
「えっちなことなんてすげーしたかったけど、隆に引かれたら困るからもう死ぬほど我慢してたし!!」
「俺は、構わないのに。」
「ダメ!!絶対、構うって!!俺の頭の中なんて覗いたら、隆、俺のことなんか好きじゃなくなっちゃうもん。そんなのいやだ!!」
言ってることが支離滅裂で。自分でもわからなくなってきて。
隆の口から何か。ものすごく優しくて、嬉しい告白を聞いた気がしたんだけど。
脳内の悪魔が、絶賛暴走モード稼動中で。惜しいことに、それを堪能する余裕すら無かった。
だけど。
「大丈夫。」
これだけは、しっかりと。
心に、届いた。
「杉ちゃんの、そういうとこ。だいすきだから。」
俺に。夢中になってくれるとこ。
付き合って、一ヶ月の。記念すべき日に。
この俺、杉原は。恋人の隆と、はじめてのキスをした。
それから。
他にもたくさん。大切な思い出を。
隆と出逢うことができた、俺は。
世界一の。幸せ者に違いない。
泊まってく?と尋ねた、一世一代の大勝負にも。
快く。隆は、頷いてくれた。
そうして。
俺の耳元に、唇を寄せて。
「一緒に、お風呂。入ろっか。」
悪戯っぽく囁いた、きみの笑顔に。
今度こそ。俺は。
恋をして。死んだのだった。
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